LOOK ON BRIGHT

2018 - 01 - 15

是菩薩位

おわ、懐かしいな〜とか言いながら聞いていて、ふと思いましたね。

おや?

これはもしかすると、ものすごい歌詞なのではないか。

 

小さい頃は 神様が居て

不思議に夢を 叶えてくれた

やさしい気持ちで 目覚めた朝は

おとなになっても 奇跡は起こるよ

カーテンを開いて 静かな木もれ陽の

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる すべてのことはメッセージ

 

小さい頃は 神様が居て

毎日愛を 届けてくれた

心の奥に しまいわすれた

大切な箱 開くのはいま

雨上がりの庭で くちなしの香りの

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる すべてのことはメッセージ

 

「神様が出てきた」

こどものころは、よく感じたものでした。

なにが、どう、というのはあまりよくわからないのですけれども、よく感じたものです。

当時は我が家は創価学会だったのですが、仏様でも御本尊様でもなく「神様が」出てきたのです。

名前もない、かたちもない、大きさもない、目に見えない聞こえない「神様」が。

へんなことを言うと母親にビンタされるので、黙っていましたが。

多いのは冬や春のよく冷えた空気だけど晴れた日の、お昼すぎぐらいでしょうか。

あ、神様出てきた。

忽然と、無条件に、なんかそういうふうに感じるのでした。

なにも聖なる山に登らなくても、パワースポットに行かなくても、三宮でも元町でも出てくるのでした。

大人になってからも、ごくまれに感じることはあります。

それはたとえば、今日でした。

 

大学時代にインド旅行に行き、早朝のガンジス河で日の出を見たときも、全く同じことを感じました。

あ、神様でてきた。

なにが、どう、ということではないし、べつに太陽を神様だと思ったのでもなく、

あ、神様でてきた。

と、フツーにダイレクトに、感じたのでした。

 

感受性がとか、直感力がとか、錯覚がとか、うるせぇ。

そーゆーことでは、ないのですよね。

あかいものをみたらあかいと感じるように、ただそう感じる。

ただし、見えないし、聞こえないし、臭わないし、触れない。ただ、感じるだけ。

 

ひとついえるのは、

「あ、神様でてきた」

と感じる時、ぼくはおおむね、とっても心身の調子が良いときです。

二日酔いのときとか、イライラしているときとか、すごく疲れているときとか、寝不足のときとか、悩んでいるときとか、自律神経の具合がおかしいときには、まず感じることはありません。

落ち着いていて、機嫌が比較的良く、あったかい気持ちで、不安があまりないときにしか感じられません。

 

つまり感受性云々ということだけでなく、こどものころは「具合がよかった」だけなのかもしれないな、と思ったりもします。

体調ではなくて、こころの具合が。

 

目にうつることの、すべては神様からのメッセージ。

 

それは事実なのか? 錯覚なのか? そーゆー心理状態なのか? ばかじゃないの?

なんて問答は、疑問は、クソくらえなのであります。

そういうふうに「感じられる」とき、ぼくはいちばん平和な状態なのでありますから。

 

もしかすると、こういう感覚を「是菩薩位」と仏教ではいうのかもしれませんね。

これ菩薩の位なり。

すべての現象は正常にして清浄で、すべての現象は菩薩様の愛の現れである、みたいな。

たしかに「あの感じ」は、なんだかそんな感じなんだ。

 

「あの感じ」がずっと続けばいいのになあ。

理由はないけど、根拠はないけど、あの平和なあたたかい、安心な、やさしい感じが。

 

 

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