WEBLOG

ブログ

成功者に少食が多い理由

記事 成功者に少食が多い理由のアイキャッチ画像

胃の調子をわるくしたことをきっかけに、最近「少食」ということを調べていますと「1日1食」や「ファスティング」「ビーガン」「糖質制限」などのキーワードがわんさか出てきます。

そして、いわゆるビジネスや政治、芸能などの世界で成功を収めたひとには少食のひとが非常に多いという事実にも行き当たるのでした。

ビル・ゲイツも、スティーブ・ジョブズも、オバマ元大統領も、プーチン大統領も、宮﨑駿も、ジャパネットタカタの社長も、タモリも、いわゆる成功者といわれるひとには少食が多いそうです。

 

そこで、ではなぜ少食が良いのか?

ということについては、いろいろなひとが、いろいろな角度で議論をしていて、少食やファスティングに関する書籍もたくさん出版されています。

 

そのへんの本を数冊読んでみたところ、共通するのは、

「少食は頭脳や肉体の機能を向上させる」

ということに、基本的には帰結していくのでした。

 

個人的にも、最近「おかゆと梅干し」的な、アホみたいなメシばっかりを少量食っていて、それも朝は食わずに1日2食程度にしましたところ、いろいろな変化がありました。

まず、肩こりや背中の痛み、腰痛について、急激にマシになりました。

ぼくはWebデザインのデスクワーカーなので、肩こりや腰痛というのは一種の宿痾、職業病のようなところがありますから、ヨガやストレッチなどでごまかしながら日々生きておりました。

しかし残念なことに、ヨガやストレッチよりも「食わない」ということのほうが、直接的かつ即効的に、肩こりや腰痛に効くことが発覚してしまったのでした。

 

また、イライラも格段に減少しました。

ぼくはスーパーというところが大嫌いで、とくにレジ待ちでムカつくのです。

はよせぇやボケ、なんで並んどるのに店員がレジにサッと来ぇへんねんコラ、 それに客よ、お前も並んどるあいだに財布ぐらい出しとかんかいやこのババア、コラ、などと、心の中で「呪い」ともいえるほどの、強烈なムカツキに発火をしてしまうのでした。

そんなじぶんがとてもイヤだし、精神的によくないので、極力スーパーには行かないようにしているのでした。

そもそもの話、ぼくが外出を厭うのは、この「いらいら」によるところも大きいです。

じぶんが想定しているスピードとじぶんの行動スピードに大幅な齟齬があり、目的地に到達するまでの時間すらが待てない。

そしてついには「待てない性格の自分」にいらいらしてしまったりして・・・イライラが外出を拒否させている、というのはかなり自覚していました。

 

しかし食う量を減らすと、このイライラが、極端に減るのです。

スーパーのレジで並ぶのも、それほどイライラはしませんし、目的地まで移動する時間にも、いらいらすることがありません。

少食にすると「待つ」ことがすこし容易になり、気長になれるのでした。

 

さて、では「なぜ」成功者には少食が多いのか?

このことについて、ぼくは天啓的に、ピコーン!とひらめいたのでした。

いろんな書籍やネット情報によると、少食による肉体的・精神的効果にフォーカスしていることが多いです。

ですが、ぼくはこのあたりの情報には、決定的な誤りがあることに気がついたのです。

少食だから → 成功した

この方程式は、完全ではない。

少食にしたからといって、ビジネスなどの世界で成功者になれるわけではないのです!

 

成功者がどんな生活をしているか、ではなく、成功者が何を考えているか、ということに注目すれば、これはとても単純なことなのでした。

 

三度の飯より仕事が好き

 

ただ、これだけの話なのではないか。

つまり、「飯なんかどうだっていい」という、生活構成要素の優先順位のことなのではないか。

 

今日はなにを食おうか、明日はなにを食おうか、健康によい食物は何か、どうすれば健康になれるだろうか、というような「どうでもいいこと」ことにアタマのリソースを費やしているようなやつが、仕事で成功できるとは思えないのです。

「仕事以外のメタ情報を、どれだけ【断捨離】できるか」

というところに、成功の鍵があると思うのです。

 

じぶんの健康のことなどに一喜一憂しているようなやつ、じぶんの食事のために多大な時間を割くような輩に、いったいなにができるでしょうか。

「何を食っているか」「何を食べないか」というような論争とは次元がちがう、「食うことを捨てている」という、もうひとつ上位階層の理論があるのです。

食うことを生活の最下層に位置づけ、仕事や学習などの「具体的活動・精神活動」のほうを最上位に位置づけているからこそ、食事の摂取量は必要最低限になっていくのではないか。

かんたんにいうと、「食うことをほとんど無視している」。

 

だから「成功者が少食なら、ぼくだって少食にすれば成功できるのではないか」みたいなことを考えているうちは、「何を食うか」「何を食わないか」という、レベルの低い世界で右往左往しているだけだから、次元世界を超越することができません。

「食うことを捨ててしまう」というところにこそ、「本義」があると思う。

 

食うことを捨てられるほどに、仕事に集中をしている。

人間の欲求のうち、最も強い部類の「食欲」を解脱しているからこそ、成功ができたのだと思うのです。

皮肉なもので、「少食が良い」というような本を書いている著者に、大成功者は一人もいない。

 

だから、結論としては、そんな本を読んだってぜってーに成功者になんかにはなれないのだと思うのです。

考えていることのレベルが低すぎるのですから。

どうすれば「メシを食うのを忘れるほど」じぶんのココロを鼓舞できるか・・・という世界での努力のほうが、よっぽど意味があることのように思いましたね。

 

ただ、成功者はある種の「サンプル」としては有用だと思うのです。

そんなにメシ食わんでも、じゅうぶん健康に生きていけるんや

ということの「生きた証明」であることは、確かなのです。

また、飽食時よりも空腹時のほうが、いろいろと体調が良いというのも事実ですし、内臓が元気であればサスティナブルに充実した生活を送れる可能性も高まります。

 

このあたりを包括的に考えれば、やはり少食を志すことは「百利あって一害なし」と言っても、それほど過言ではないのかもしれません。

食うこと以外に意識を向けることにより、結果食事量は減っていく。

 

我が身を「生かさず殺さず」程度に飼いならすことができれば、精神はきっと自由になれるのだと思います。

肉体のパワーが精神のパワーを上回ってしまったとき、精神は肉体の牢獄に閉じ込められ、光を失うのかもしれません。

 

本来必要ではないことに固執すると、人生は苦しみが多いものになっていく。

これがもし真理だとしたら、「生命維持にギリ大丈夫なメシの量」で過ごすことは、苦しみを大幅に減らす可能性は非常に高いと思われます。

飽食は、無駄な欲が原因だからです。

生きていくために仕方なく食うという正規のベクトルが、「食うために生きる・食うために仕事する」という逆転姿勢になったとき、無用の苦しみが増大するのかもしれませんね。

 

 

カテゴリー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。