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命よりも大切なものは、ありますか

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ぼくはいつのまにか、こんなふうに考えるようになっていました。

「一番大切なのは、いのちだ」

 

これは特に、へんなことではないと思います。

いちばん大切なのは、いのち。

そう考えるひとのことを、ヘンタイだとかおかしいとか言うひとはいません。

ある意味、いたって常識的な価値観といっても良いでしょう。

 

この考え方が固定したのは、おそらくパニック障害を患ってからだと思います。

パニック発作というのは絶対に死なないものなのですが、当の本人にしてみればまさに「生か死か」というほどの激烈な、激烈な、激烈な恐怖。

「そんな、大げさな・・・・・・」

というふうにみんなは思う、家族さえも、思う。

巨大なる死を目前に感じて、全身が硬直し、青ざめ、恐怖にうちふるえ、身動きすらままならないほど、強い強い絶望感をいやというほど味わう。

数ある病気のなかでも、パニック障害は「死だけを純粋に感じる」という、まことに珍しい病気でもあります。

幸いなことに、じっさいの「死」とは無縁ではあるのですが。

 

ぼくは最初の頃、こんなことを考えていました。

「死を恐怖するから、だめなのだ。死の恐怖を乗り越えることができれば、この病気は治る」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・アホだったのです。

そんなことは、人間には不可能なのですよね。

というか、むしろ「死の恐怖を乗り越えよう」と考えるほどに、死というものは巨大化していくのでした。

「なぜぼくは死が怖いのだろうか、どうすれば死の恐怖を克服できるのだろうか」

そうやって「死の恐怖にうち勝とう」という気持ちを持ち続けた結果、10年以上も持ち越すことになってしまいました。

 

ソリューションは、そこではなかったのでしょう。

「なぜ、死が怖いのか」

この問いへの答えは、明確です。

「生きているものだから」

それ以外に、答えはないのだと思います。

おそらく世界最強といわれたアレクサンドル・カレリンでさえ、死はきっと怖いでしょう。

 

質問が、まちがえていたのです。

「なぜ死が怖いのか」

ではなく、

「なぜ死が『いちばん』怖いのか」

と、問うべきだった。

 

なぜ、死が「いちばん」怖いのか。

その理由は、「命が『いちばん』大切だ」という価値観にもとづいていたのでした。

 

そこで、さらなる問いがあります。

「ほんとうに、命が『いちばん』大切なのか?」

 

 

どうなんだろう。

ほんとうの、ほんとうに、命がいちばん大切なんだろうか?

大切であることは、まちがいがありません。

でも生まれてから死ぬまで、たかだか100年弱しか保たないこのいのちが、ほんとうに「いちばん」大切なのだろうか。

 

そこで、気がついたのです。

「命よりも大切なものがある」という人こそ、「いのちをしっかりと生きている」ということに。

そして「命のほかに大切なものなどない」と考えるひとこそ、「いのちをしっかりと生きていない」ということに。

 

命というものを、価値の最上位に据えた瞬間に、生き方はくだらないものになっていくのです。

まるで仕事の最上位に「お金」を据えたら、仕事がまったくくだらないものになっていくように。

 

死を異様にこわがるのは、臆病だからじゃなかった。

恐怖心が原因じゃなかった。

「価値観の違い」だったのかもしれません。

 

「わたしは、主のみこころを記すための短いエンピツです」

 

と、マザー・テレサはいった。

重要なのはエンピツのほうではなく「なにを書いたか」のほうですよ、ということなのだそうです。

なんのために、なにを書いたかが、大切なのですよ、と。

 

いのちが「いちばん」大切だということは、エンピツを「いちばん」大事にしているようなもの。

たしかに、エンピツがなければどうしようもないけれど、「いちばん大切なもの」ではないですね。

なんのために生きたか、なにを生きたか、ということこそが、いちばん大切なのでしょう。

 

 

「ぼくには、命よりも大切なものがあります。」

 

 

いつか堂々と胸を張って、そう言えるようになりたいです。

 

では、どうすれば、そういうふうに思えるようになるのだろうか・・・・・・。

この問いは、もちろん「無効」ですね。

なぜならば、じぶんの命よりも大切なものは、じぶんでしか見つけられないから。

 

親がせっかく産んでくれたこのいのちは、「じぶんのためだけに使う」というのも、決してわるくはないと思います。

でも「だれかのために使う」ことができれば、このいのちの価値は、2倍になります。

それを増やせば、もっともっと大きくなる。

父と母のふたりがかりで生まれたいのちの価値が、「1」で終わればP/L上では赤字になる。

「2」になって、はじめてトントンになる。「3」になれば、黒字化だ。

いちばんの親孝行は「じぶんのために生きる」のではなく「ひとのために生きる」ことなのかもしれませんね。

 

じぶんの命よりも大切な何かが見つかったときにはじめて、そのひとの命は光り輝きはじめる。

人生というのは、それを探す旅であるのかもしれませんね。

 

 

 

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