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青鬼からのアドバイス。まずは体を鍛えよう。

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ヨガの修行で書写山の僧坊で眠っていたときに、金縛りにあいました。

すると障子が勝手にガラっと空いて、怖い顔をした青い服のオッサンが入ってきて、ぼくの顔面を蹴り上げました。

 

「お前はこんなところで何しとるんじゃ! 帰れっ!」

 

ほどなくして、ぼくはヨガから身を引きました。

そこには「解」がなかったのです。

あのおじさんは青鬼、たぶん地獄の門番だったんだと思う。

 

 

神経や心理、ストレスや記憶という、人類が数千年に亘って夢想し、推論し、研究し、実験し、それでもいまだ回答を得られていない「超高難度の問題」にトライすることは、確かに偉大。

でもそんなところに突っ込んだら、青い服を着た、地獄の門番が待ち受けています。

こんなところで何をしている、お前はここに入るな! と、その鬼に叱らて、蹴られて、殴られる。

おまえはこんなところに来る前に、せっかく授かったその肉体をまず鍛えよ。

そしておまえができることをして、しっかり生きて、人のために働け。

って、怒られる。

 

外出が苦手、暑いのが苦手、電車が苦手。

パニック障害をこじらせてから、苦手なものが目白押しなのでした。

 

最近は「とにかく、動こう。」というスローガンのもと、方法や形式にはこだわらず「そのときにできること」ならなんでもいいので、運動をすることにしています。

なかでもやっぱりお手軽なのが、歩くこと。

電車や外出が苦手になって、在宅でも完全に仕事ができるようになってから、ぼくは最寄り駅にさえ2年近く行っていませんでした。

最寄り駅と言っても、けっこうな坂を歩いて下って15分かかりますから、まあまあの距離ではありますが。

今日の朝は久々に、最寄り駅まで歩いてきました。

愕然としますよね。

「おわ、こんなにシンドかったのか」

 

往復で30分、そこそこの坂を上り下りして行く、この最寄り駅。

ぼくは今日この往復を「シンドイ」と思ったけど、高校生、大学生のころは毎日往復していたのです。

それどころか、放課後には柔道までして帰ってきていました。

ぼくの家の近所にも、高校生や大学生がいます。

彼ら・彼女たちも、毎日この道を往復しているのです。

運動部だけでなく、帰宅部のヤツら、ガリ勉のヤツらでさえも!

ということはですな、かつてはゴリゴリの体育会系で体力自慢だったぼくは、ふと気がつくと、ナヨナヨの帰宅部の青白いオタク野郎にさえ、体力が劣ってしまった、ということです。

なんということか!

まだ50歳にもなっていないオトコが、たかが往復30分の坂道で音を上げそうになるとは。

 

だらか思ったんですよね。

青鬼的に。

神経をどうこうするまえに、まずは体力つけろやこのアホンダラが!

 

パニック発作など自律神経不調が原因で → 外出が苦手になり → 運動不足になり → 体力が低下した。

と、ぼくはそう考えてきました。

なので、まず真っ先に改善するべきは、これら一連のストーリー中の最初のステップ「自律神経」だ。

……と、論理的に考えていたところがあります。

それで、長年、ヨガだの瞑想だの自律訓練法などを必死でやってきました。

アタマで考えると、そうなってしまうのですよね。

確かに因果論としては、上記のストーリーは正しいけれど、「現実」はすこし違う。

そんなバカみたいな一本道ではないのです。

現実的には、以下のストーリーのほうが正しい。

体力が低下したので → 自律神経が弱体化し → ストレス耐性が激下がりして → パニック発作などを誘発し → 外出が苦手になり → 運動不足になり → さらに体力が低下した。

 

ぐるぐるまわる、因果の輪廻。

体力低下(A) → 自律神経の弱体化 → ストレス耐性減少 → 心理的不具合 → 活動量低下 → 運動不足 → (A)に戻る

この「因果の輪」の、どの部分をプスっと刺しても、それは原因です。

ぐるぐる回っているのだから、どの部分も原因なのです。

 

それなのに……

ぼくときたら、「最も難易度がたく、わけのわからない」、ヌエのような「自律神経」をなんとかしようと考えていたのです。

そんなことして、治るかボケ!

難しすぎるのですよ!

専門に研究をしているお医者さんや学者さんたちでさえ、まだよくわかっていないのが神経の世界です。

そんなものを、ただのど素人のくせに、民間療法やヨガ、呼吸法なんかでなんとかしようと考えることじたいが「病のあらわれ」だったのです。

はっきりいって、その行動原理こそが、病気だ。

 

ふつうに考えれば、上記の円転輪のどの分をぶっ刺すのが最も安易か、ということは、すぐわかるはずなのです。

もちろん「体力向上」「活動量の増加」です。

これは、ほかの一連の要素に比べて、とてもカンタンに、それも「確実に」達成できます。

・自律神経の改善……よくわかんない。

・ストレス耐性の強化……よくわかんない。

・心理的不具合の解消……よくわかんない。

・活動量増加……動けばいいだけ。

 

そしてこの「動く」という方法は、選ぶ必要も、探す必要も、考える必要もないのでした。

無理をする必要はなく、ていうか、むしろ無理したら続かなくなってダメなんだから「そのときに、できること」「そのときに、なんとなくしたいこと」をすれば、それでいい。

最初のうちは、外出ができないから家でストレッチ、筋トレ、というので全くかまわない。

いや、もういっそ、「家じゅうを全部拭き掃除する」とかでもいいのかもしれない。

すこし外に出ていく気持ちが湧いてきたら、軽く家の周りの散歩にでも行けばいい。

そして歩くのに飽きてきたら、走ればいい。

そして「走る」まで体力が戻ってきたら、すでにもうずいぶん、考え方が変わっているはずです。

くずぐず、クヨクヨ、理屈っぽいこころは、徐々にナリを潜めていく。

そして因果の円転輪は、次のように変化していく。

 

体力増強(A) → 自律神経の強靭化 → ストレス耐性向上 → 心理的不具合の減少 → 活動量の増加  → (A)に戻る

 

たぶん重要なのは、どんな運動でも「体力向上」という目的を持って行うことだと思います。

「リラックス」とか「神経の安定」「副交感神経の優位化」などということを目的にしてしまうと、一切体力は向上しないばかりか、体力も精神も、埋没の一途をたどります。

静かにしていることだけが、平安ではないからです。

動中静あり、静中動あり。

内なる平和は「動」のなかにこそ、しっかりと存在していたりもする。

とくに運動不足が恒常化してしまっていて、こころの不具合があるのなら、リラックスは「動」のなかに逃げ込んでしまっているのだと思います。

 

体力さえ向上すれば、些細な問題は張り倒すことができる。

すくなくとも、そう思えるようにはなってくる。

かなしみはこころの問題なんかじゃなくて、純粋に肉体(体力)の問題であることも多いです。

体力と筋力が向上すれば、それと正比例して、必ずココロも強くなる、前向きになる。

結局人間というものは残念ながら「じぶんにできる範囲で、すこしだけハードルが高いところ」から攻めるしか、じつはソリューションを持っていないのですよね。

だからまずは、今確実にできることを、確実にやろう。

 

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