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掃除は毎日するものである。

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そうだよなあ!

それって、あたりまえだったよなあ。

どうして、コロっと忘れていたんだろう。

掃除は毎日するものであーる。

 

最近、掃除がマイブームでして、とくに「床に這いつくばり、濡れゾーキンで拭きまわる」というのをやってます。

義務感でもないし、それをしたら運が良くなるとか聞いたから、でもないです。

純粋に、めちゃくちゃ気分が良くなるからです。

パニック障害というのは一種の「気分障害」なのだから、「気分が良くなること」をすればいいじゃねえか。

そんな単純な理由でもあります。

それにものすごーく運動になって、床のゾーキンがけは、秀逸なる筋トレ&有酸素運動です。

ゾーキンがけをしてたら、マジで、ヨガも瞑想もジムもいらねえ。

カラダにも、ココロにも、効くのですから、そんなしゃらくせえもの、いらねえや。

 

さて、掃除しながら、ふと思い出したんですよね。

……そういえば、掃除って、毎日するものだったよなあ。

高校までは、学校の終わりには「掃除当番」がいて、毎日掃除してましたよね。

ぼくは柔道部だったんですけど、練習のはじめには、全員で毎日道場を掃除していました。

しかしなぜか、大人になるにしたがって、そのうち掃除をしなくなりました。

家の掃除すら1週間に1回もすればいいところで、下手すると、1ヶ月ぐらい掃除しないこともある。

そして年末に「大掃除だ~」とかいって、ヘトヘトになりながら掃除したりする。

しまいには、その大掃除すら、やらないこともある。

 

あたまおかしいんじゃないの。

 

家の中というのは、いうなれば「窟」です。

いくら風通しが良いとか、日光が入るとか、抗菌だとかいっていても、そこは外界から隔絶された「窟」なのです。

そんな空間で生活していれば、フケだのアカだの髪の毛だの食べかすだのが散らばって、いずれぜったいに不潔になる。

だから、毎日掃除が必要。

むかしの日本人はほとんど、毎日家の掃除をしてた。

お寺でも、神社でも、毎日掃除してた。

道場でも、お城でも、毎日掃除してた。

 

なーにが「近代化」じゃあ「進化」じゃあ「合理化」じゃあボケ。

えらそうなことをヌカすわりには「生活が堕落」しとるやないかアホンダラが。

みたいな、ね。

 

だから、思ったのです。

「毎朝、掃除をしよう!」

ぼくは在宅の個人事業主です。

だから仕事部屋が、ぼくの「職場」です。

つまり、そこは「道場」ともいえる。

そこには、ちょうど神棚もありますし。

道場は、毎日掃除をするのが、あたりまえ。

だから仕事をするまえに、掃除をしよう。

できることならば、寝室とか、便所とか、玄関とか、そのへんも、もちろんやったほうがいいと思う。

でもまずは第一歩として「道場たるわが仕事場を毎日清掃する」、これをやろうと思うのです。

 

あたりまえのことを、ちゃんとやる。

それができないやろうは、いくら知識をつけたって、理屈ばーっかり言って、言い訳ばーっかりして、結局なーんにもできないのだ。

やらないのだ。

基本が、なってないからですよね。

 

自律神経ガー、病気ガー、健康ガー、ヨガガー、もうええわ!

そんな高邁なことを、あたりまえのことがなんにもできてないやつに、なんでできると思うねん!

傲慢すぎるやろ!

そんなことに時間を割くヒマがあるのなら、自分の家ぐらい、毎日掃除せいっ! コラっ!

ていう、ね。

 

考えてみれば、毎日掃除やってれば、大掃除なんかしなくたっていいですしね。

 

ある意味年末はラクができる、っていうことだ。

それに何度も言うように、掃除って、すげースッキリするんですよね。

瞑想なんか、いらないぐらいに。

微妙にホコリっぽい部屋で毎日過ごすのと、スッキリ掃除が行き届いた部屋で毎日過ごすのとでは、それが1年経ったら、どう違いが出るだろう?

「環境が大事なのよね」とか言って、きゅうに田舎生活を決め込む前に、「いまの環境」を掃除でスッキリさせるというのは、どうだろうか?

 

掃除は、毎日するものであーる。

ぼくたち日本人の多くは、へんに知恵をつけてしまったせいで、こんなにも当たり前のことを忘れちった。

伝統芸能を復活させるまえに、「毎日掃除」を復活させたほうがいいですね。

日本が世界に誇れるのは、文化でも経済でも勤勉でもなくて「清潔力」だと、ぼくは思う。

 

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