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そうじ疲れと好転反応

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先週、先々週は「大掃除週間」でした。

年末と間違えてるんじゃないの、というぐらい、徹底的にやった。

すると本日は、ドカーっと疲れが出ましたよ。

むっちゃくちゃシンドクて、なんにもする気が起きない。

どころか、ちょっとまた例のパニック発作的なアレが、出そうになるほどでした。

じゃっかん、ウツっぽくもなった。

 

大掃除をすると、一時的にとても調子が良くなるいっぽうで、そのあとに逆に体調が悪くなるという人は、けっこういるようです。

これを「そうじの好転反応」と表現することもあるようです。

 

ぼくはパニック障害と闘いながら10年近くいろんな健康法を試してきました。

その結果この「好転反応」という概念は真実ではない、と思っています。

ウソということではないが、すくなくとも「真実」ではない。

というかむしろ、この好転反応という考え方こそ「断捨離」したほうがいいです。

これはあくまで起こっている現象の「表現方法の一種」なのであって、「真実を述べている」のではない。

そういう表現がぴったりあてはまるから、便宜的にそう言っているだけです。

これを盲目的に信じてしまうと、事実が見えなくなってしまって、マジで具合悪いのに「好転反応だから我慢しよう」などという危うい行動原理を生み出すことになる。

そーゆー考えは、やめといたほうがいい。

 

がっつり大掃除をする → 非常にスッキリする → しかしある日から、非常に体調が悪くなる → これを経過すると、以前より体調がよくなっていく

 

この一連の流れは、じつは「どんなことにでも」でもあてはまる。

運動習慣をはじめる → 非常に調子が良くなる → しかしある日から、非常に具合がわるくなる → これを経過すると、以前より体調がよくなっていく

ヨガをはじめる → 非常に調子が良くなる → しかしある日から、非常に具合がわるくなる → これを経過すると、以前より体調がよくなっていく

 

これは何かと言うと、べつに「好転反応」とかではない。

 

疲労だ。

 

なれないことを急にたくさんやったので、疲れちゃったんである。

良いのは、この「疲れが出た」ということ。

「出る」からこそ、解消もできるから。

からだというのは、疲れが「器いっぱい」になってしまうと行動を全面的に抑制して、疲労を治そうとします。

どうやら、このときに「ついでにほかの悪いところも治してしまおう」とするようなのです。

「そうじで疲れた部分だけを選択的に治癒する」などという器用なことはできないから、「ぜんぶ一括解決」しようとするのかもしれません。

だからこれを経過すると、とても体調がよくなったりするのだと思います。

 

この一連の変化を「毒が出た」という言い方をすれば、確かによく当てはまります。

「なにかわるいもの」が「出ていった」ので、前より調子が良くなった。

この表現アイデアは、なかなかだと思う。

だからべつにそれはそれで良いのですが、危険性がある。

「本当はえらく疲労をしているのに、毒出しという概念が原因で無理をする場合がある」

という危険性が。

だからこういうときの正しい対処法は、

「疲れが取れるまで、おとなしくしておく」

だと思います。

 

運動も、掃除も、よく似てる。

この一時的な疲労による不快感のために「やめてしまう」と、またもとの木阿彌。

疲れが取れたら、また再開するべきだ。

そうすると、最初ほどではないけど、そのうち必ず、また少し具合がわるくなる。

そしたらまた、休めばいい。

調子が戻ったら、また再開する。

そんなことを何度も何度もくり返していくうちに、運動も、掃除も、その習慣が「本物」になっていく。

 

するといつしか、こころも、からだも、すっかり別物のように変化していく。

これを「マイクロ・シフト」という。

最初だけワーーーっとやって、具合が悪くなったらやめちゃう、という方法論は、結局なんにも変化しない。

そんな刹那的な方法よりも「できる範囲のこと」をながく継続し、無理があったら立ち止まり修正し、陣容を立て直してまた再開する。

とにかく、無理せず、すこしだけしんどいことを、続けていく。

休んでもよいし、立ち止まってもいいが、必ず続ける。

これが、どのようなことでも重要なんだと思います。

 

「そうじをずっと続けたら、運がよくなった」

あたりまえだわ。

マイクロ・シフトを、ずっと継続してきたんですもの。

少しぐらいしんどくても、めんどくさくても、絶対に続ける。

休んだり、立ち止まったりしたとしても、必ずすぐに再開し、また継続していく。

ずっと、ずっと、続けていく。

そんなことができるようになったら、なにもかもが変わるに、決まっているではありませんか。

そうじが、すごいんじゃない。

じぶんで決めたことを、ずっと続けられる、そのひとがすごいのだ。

よいことを積み重ねていけば、そのうち良いことが起こるのは、この世の必然。

良いことを発作的にやって、わるいことを積み重ねてきたら、わるいことのほうが多くなるのもまた必然。

 

だから、「いいこと」であれば、結局はなんだっていいのだと思います。

掃除だろうが、運動だろうが、ヨガだろうが、筋トレだろうが。

だいじなのは、どんなことでも、続けるということ。

ただ掃除には、いろんなメリットが複層的にあるのも事実。

家がきれいになる、根っこの体力がつく、根性がつく、菌由来の病気のリスクを減らせる、菌抵抗力がつく、前頭葉が鍛えられる、整理整頓する能力がつく、観察力がつく、集中力がつく、俯瞰視点が身につく、気分がよくなる、まっとうな考え方になる、傲慢が減る、妄想が減る、爽快感がある。

いずれにせよどうせ一生しなければならないことで、からだと、こころを鍛えていく。

これはとても、合理的ですよね。

 

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