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ひょっとして「ややウツ」だったんじゃないの

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きょうは最後までとっておいた1Fのトイレをガチコーンと掃除をしまして、ぼくの「大掃除大会」は、いったん終了となりました。

いえ、掃除じたいは今後も続けていくのですけどね。

「がっつりと全部やる」というのは、いちおう達成いたしました。

 

さて、そういうことだから、今日の午後からはのんびりと過ごしております。

あったかいノンカフェインのコーヒーなどを啜りながら、ふと思いました。

「おれって、『ややウツ』だったんじゃないのかな」

ほんとうのウツということではないが、プチウツよりはもう少しだけ上、みたいな。

 

最近「運動をしよう!」と思い立った。

最近「全面的に大掃除をしよう!」と思い立った。

 

……いや、よく考えてみたら、ぼくはもともと「運動好き」だし「掃除好き」なのです。

思い立つも何も、もともとは、なんやかんやで運動はしていたし、掃除だってしていた。

思い立ったということは、逆に言えば、「それまでは運動や掃除をしていなかった」ということにほかなりませんよね。

 

ウツの人の多くは、部屋が汚いのだそうです。

また、運動不足の人も多い。

「掃除をしないからウツになるのだ」「運動をしないからウツになるのだ」というのは、ちょっと乱暴かも。

ほんとは逆で、ウツになっちゃったから、あらゆることが億劫になって、掃除も運動もしなくなっちゃった。

というほうが、「正規のルート」だと思う。

 

さて別件ですが、パニック障害について。

ぼくは長年これと戦ってきたのだけれど「パニックはウツのひとつの表現である」ということに気づきました。

ぼくの場合は、ですけれども。

とにかく、ほんとうのところは、「なんにもしたくない」のですよ。疲れてしまって。

でも「しなくてはならない」ことが、たくさんある。

それをゴリ押しでやると、苦痛で苦痛でしかたがありません。

あまりにもつらすぎて、パニック発作が出てしまっていたようなのです。

 

基本的に(というかばかみたいに、のほうが正しいかな?)目標達成志向が強くて、「やらねばならぬことは、どうあってもやらねばならぬ」的なアレが強いのです。

なので、恒常的、日常的に、無理をしていた。

そのストレスに耐えかねて、ぼくは大量に飲酒をしていました。

この飲酒も引き金となり、ウツが出たのだと思います。アルコール性ウツ、というやつですね。

じぶんがウツっぽいということにも気が付かず、そのまま走り続けた。

結果、限界に来たときに「パーン」といってしまったのだと、思います。

それが、パニック発作だった。

 

思い出してみれば、ぼくがパニック発作を起こしたすこし前ぐらいから、確かに掃除も運動もしなくなったのです。

それまでは、たまに少林寺拳法や空手の道場、柔道場などに顔を出したりして、軽く練習したりしていたのです。

しかしある日から腰痛がひどくなってしまって、まったく運動ができなくなりました。

そのあたりを境に、掃除も全くしなくなっていった。

どんどん太っていき、もともと65kgぐらいだったのに、80kg弱の巨漢になったこともあります。

 

運動を、しよう。

そう思い始めたのが、昨年の冬あたり。

「したほうがいい」というのはわかっていたけど、どうしてもできなかった。

だからそれまでは、ヨガなどでお茶を濁していたのです。

ヨガだって運動だもんね、そうだよね、みたいに言い訳をしながら。

でもぼくにとっては、実のところ、ヨガは「やりたい運動」ではありませんでした。

ほんとうは、汗を飛び散らせながら、暴れたかった。

でも、できなかった。

そういう気分に、まったくなれなかったのです。

 

運動をしよう。

掃除をしよう。

「したほうがいいから、する」とかではなく、「したい!」と思うようになった。

 

 

やや強度の高い運動や掃除には、ウツの改善効果があるという説があります。

個人的な経験でも、それは確かにそうだと思います。

でも大事なのは「効果があるからといって、無理にやるべきではない」ということだと思います。

やはりウツっぽくなるということは、カラダちゃんのほうからの「今は動くな」という、司令というか、サインなのかもしれないからです。

それに歯向かい、抵抗し、ケンカをするようなことをすると、一時的には良くなったとしても、またぶり返す。

本質的な部分を解決していないから、それは結局「ごまかし」に過ぎない。

 

からだも、こころも、エネルギーが枯渇している。

それが、ウツとかパニックの根源的な原因だと思います。

ではなぜ、枯渇するのだろう?

……ここが、最大限に難しいところなのですよね。

人によっても違うし、本人にも、お医者さんにもわからない。

 

ぼくの場合は、「ファーストステージが、ストレス」「セカンドステージが、体力低下」だったのだと思います。

ファーストステージのほうは、わりと早々に解決しました。

しかしなかなか、というか、全然治らなかった。

だからいっていたのです。

「ストレスなんか関係ない」

と。

今は、これはおそらく「セカンドステージ」を全く解決していなかったからなのかな、と思っています。

第一段階と、第二段階の、両方が解決の方向に向い始めた時、こころが変わるから。

「やろう!」

という、気力が復活してくる。

 

だから、ほんとうに思うのです。

ウツとかパニックは、修行だ、と。

じぶんを客観的に見て、どこに原因があり、どこに解決策があるか。

じぶんは、何に対して、どのように反応しているか。

そういう「観察と整理」を、医者だより、人頼り一辺倒ではなく「自分自身でも模索していく」必要がある。

これは、とても苦しいです。

 

しかし、この苦しみがあるからこそ、人間として成長できるとも思います。

ウツを経験し、そこから立ち直った人は懐が深くなり、一回りも二回りも、オーラが大きくなるそうです。

お経を読んだって、本をたくさん読んだって、成長はほとんどできません。

だからこの病気というのは一種の密教(Tantric Method)のようなもので、強引にある地点まで引っ張り上げる不可抗力の修行なのかな、と思ったりします。

というのは、ま、わかりませんけどね。

言ってみただけです。

 

ただ、今、確実に言えるのは、

「運動と掃除は、こころとからだに、とてもいい。」

べつに病気ではない人にでも、おすすめです。

ていうか、運動と掃除を全くしない人には、はっきり言って、だめな人が多すぎる。

これは、テッパンだ。

病気だろうが、健康だろうが、男だろうが、女だろうが、関係ない。

運動と掃除は「人生のキホン」なのですからね。

どちらも「できる範囲」で「無理はせず」、粛々と続けていこう。

 

  • ぽぽんた より:

    >とにかく、ほんとうのところは、「なんにもしたくない」のですよ。疲れてしまって。
    でも「しなくてはならない」ことが、たくさんある。
    それをゴリ押しでやると、苦痛で苦痛でしかたがありません。
    あまりにもつらすぎて、パニック発作が出てしまっていたようなのです。

    うんうんうんうん… って うなずきました(_ _)

  • TERA TERA より:

    ぽぽんたさんも、そうですかー。
    やっぱアレですかね、ようするに「疲れてる」。
    カラダなのか、ココロなのかは、別として……。
    ボクの場合は、やっぱりどうも「カラダの疲れ」っぽいです。

  • ぽぽんた より:

    あらためて 思い出しました…
    初めて あの 感覚を体験 したのって まさに
    掃除と洗濯 それもかなり限られた時間内に 焦って急いで
    やらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃ
    わしわしわしわしわしわしわしわし
    みたい な 状態 に
    なってた 最中 途中 だった …のでした。(_ _)
    ほか にも
    自分 に とっては ですけど
    ある 大きな こと を
    その翌日に 決行˘ ˘ゝしよう と 考えていて
    その 準備 の ひとつ でも
    あったのですけど。それら も。

    こう しなければ。って
    自分 で 勝手 に
    決めてしまったこと
    おもいこんでしまったこと
    が そこに ありました。

    ひとこと で 言えば
    無理

    責め
    みたい な もの でした …

    それ が よい こと なのか
    適宜 な こと なのか も
    わからないのに。

    こうして 書いて みて
    つくづく
    はずかしい
    おろかな あほ な 
    話 なのですけど。

    無理 は 出来ない …
    しちゃいけない のだと。
    学びました。
    思い知り 至り ました。

    もしかしたら。
    なにか が

    いや
    いま は
    それ を しちゃ いけない。
    する とき では ない よ … っ て

    お知らせ と いうか
    戒告 … 注意 引き止め
    してる こと だっ て
    ある かも しれません …
    よ ね˘ ˘ と。

    いま は だから。
    ある 程度。
    わりきって と いうか
    肚 くくって と いうか
    ううん 単純 に。

    出来ない 無理 は しない。

    そんな かも です。
    ある 意味
    ふてぶてしい みたい だと しても。

    深い こころ に は

    罪悪感 の ような もの も あって
    いまだ に
    ほんとう には
    解決していない それ に
    くるしめられている の かも
    と おもったり も します …

    責め
    か ら
    解放

    そんな こと
    ねがって
    のぞんで も
    いるのです。
    たぶん ね。(_ _)

    一気に だーっ と 書いた。
    長くなってしまって ごめんなさい。

    てらちゃん とか ね。
    器 の 大きさ
    感じてる。

    象 が
    蟻の巣観察セット の なか に
    無理矢理 自分 を
    押し込めよう
    適応 させよう と する あまり
    そりゃ 必然的 だよ … って いう
    生じる 混乱 困惑 苦痛 悲痛 悲鳴 懊悩 みたい の
    感じる … 気が するんだよ わたし に は。

    なんだか ね。
    そんな
    こと
    も。

    ちょっと 前から
    おもって た の …
    言って みた よ。˘ ˘*ゝ

    • TERA TERA より:

      コメントありがとうございます。
      そうですか、わりと明確な原因があった、ということにご自分で気づかれたのですね。
      それはすごいことだと思います。

      「罪悪感」「無理な適応」
      それは、ぼくのテーマでもあります。
      なにかこう、じぶんを押し殺すというか、フタをしているところがあるのかもしれませんよね。

  • ぽぽんた より:

    昨日 たまたま
    罪悪感 責め 無理 って 3点セット?
    出て 来る 記事 目にして
    ああ… って。˘ ˘ゝ
    http://news.livedoor.com/article/detail/15486692/

    「部外者」が 言うのは あれなのかもだけど。

    わたし は この事を 知ったとき
    単純に 怒り のような おぼえた。

    こんなの ほめられた こと じゃない。
    美談 に するな。
    こんなまで せざるを得なくなる状況 って
    間違ってる。

    本人が 命がけでやっちまう なんて
    わかっているのだから。

    大人 が ちゃんと やめさせろ って。

    感動 … なんか じゃ なくて
    おそろしい 話 なんだよ これ って。

    おもうのだけれど。わたしは。 ね(_ _)

    • TERA TERA より:

      ぼくも思いましたよ。

      「これが、過労死の基本的構造だな」と。

      じぶんが止まると、みんなに迷惑がかかる。なので、がんばってしまう。

      もちろん選手がわるいんじゃなくて、監督がわるいのでもなくて「駅伝というシステム」がわるいんだとぼくは思いました。
      自主的に限界を超えるまで頑張る、というのは、とても素晴らしいことだと思います。
      しかしそれを「やらせる」システムは、明らかに間違えていると思います。
      それを見て喜んでいる観客も。

      スポーツや仕事は、そもそも何のためにやるものだったっけ、というのを、そろそろ考え直したほうがいい時期に来ているんでしょうね。

      どちらも勝つためではなく、なにかを「高めていく」ためにあって、勝利は、そのためのただの道具にすぎないというのが、ぼく本質だと思います。

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