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ハウスダストと、ウツの関係

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ぼくはそこそこ長いことパニック障害をやっているけれども、一回ちゃんと整理してみる。

まあ確かにパニック発作はときどき出たりするけれど、非常に頻度は低いです。

だからぼくを悩ませているのはパニック障害というよりは、「外出恐怖」です。

 

また、あの発作を出してしまうんじゃないか……。

この考えを「予期不安」という。

この不安のせいで、外へ出るのが怖くなってしまうのです。

しかしこれも、ちゃんと整理をしてみる。

たしかに、そういった不安は慢性的にある。

しかしふしぎなもので、そういった不安を全く感じない日も、なぜかあるのです。

うむ、なんだろう、今日はあまり何も感じないな。

ていうか、もうフツーなんじゃないか。

……おかしいですよね?

あの激烈な恐怖を何度も味わったのだから、寸断なく、ずっとその恐怖はもちつづけているはずだ。

たとえば戦争などで心的外傷を受けた場合、轟音などでフラッシュバックする、というのは絶対条件になってしまう。

なのにぼくのばあいは、「だめなとき」と「ダイジョウブなとき」が混在しているのです。

だから思うに、記憶の問題や、トラウマの問題ではないのではないか?

 

ああ、きょうは外出がとてもいやだ、怖い。

そう感じた時、じぶんのこころの内容物を、ちゃんとちゃんと観察してみる。

そうすると、じつは「怖い」というよりは「究極的に面倒くさい」というほうが、むしろ強いことに気がついたのです。

ようするに、「外が怖い」のではなく「いや」なのです。

もちろん、「怖い」を「いやだ」の言い訳にしているわけではありません。

そうではなく「いやすぎて、怖くなっている」のほうが近い。

 

だから、思った。

これはトラウマだとか、記憶だとか、考え方だとか、性格だとか、そーゆーアレではない。

そうではなくて「ウツの一種だ」と。

なーんか、めんどくせーなー。だりーナー。

などという、そんなおふざけルンルンの、うすっぺらい「めんどくさい」なのではありません。

「死を覚悟するほどの、めんどくさい」なのです。

もう、こころのエネルギー残量が、1%切ってる。

そんな感じ。

だから、外出することを考えるだけでも、めちゃくちゃに億劫。

 

正体は、ウツだ。

そう思うに至った理由はもうひとつあります。

徹底的に家を掃除すると、徐々にではありますが、外出が億劫でなくなっていくという事実を今まさに経験している最中なのです。

外出だけではありません。

何事をするにも、もう面倒だとはそんなに思わなくなってきたのです。

ヒゲを剃ることも、神棚のお供えを毎日変えることも、料理をすることも、片付けをすることも、運動をすることも。

もちろん、時にはなんかメンドクセーなー、それはもちろんあります。

しかしもはや「病的なめんどくさい」ではなく、ごく一般的な、あのうすっぺらい「甘えためんどくさい」です。

だから「よっこいしよ!やるか!」とひとたび気合を入れれば、そのめんどうは、いっぱつで消える。

いままでなら、ほんとに冗談抜きで「死ぬ覚悟」ほどの気合が必要でした。

 

そして、いらいらしなくなりました。

妙な不安や恐怖のようなものも、感じなくなってきました。

一回あたまに引っかかったことに拘束されて身動きがとれなくなるということもなくなりました。

思い込みやこだわりが、徐々に減っている。

 

・神経過敏である。
・ものごとをつい悪い方に考えてしまう。
・些細なことに拘泥してしまう。
・感情の浮き沈みが激しい。
・何事も、異常に面倒に感じる。
・じぶんの考えによって、ものごとを悪い方に考えてしまう。
・被害妄想が強くなる。
・疑う気持ちがとても強くなる。

これはなんのことはない、りっぱな「ウツ症状」だ。

 

そこでぼくは、自身の経験と併せて、以下の説を信じるのです。

「ハウスダストはウツの原因になる」

家が汚れると、精神も汚染されるのです。

ひとつには「呼吸」があります。

ウツになるひとは、非常に呼吸が浅いそうです。

家が汚いと、どうなるか?

「胸いっぱいに、大きく息を吸う」ことが、無意識にできなくなると思うのです。

天気の良い日に山に登って、とても空気が綺麗な森などに行けば、だれだって自然と深呼吸がしたくなります。

ああー、空気がおいしいなあ!

しかし電車やタクシーの中で無性に深呼吸したくなる人はまずいません。

掃除をガッツリとやると、ほんとうに空気が変わるのです。

これはぼくがそう思い込んでいるのではなく、家族もそう言います。

「なんだろう。なんか空気までキレイになったな」

オトンもオカンも、そう言います。

だから呼吸が、楽になるのです。

ウツの原因のひとつが呼吸の浅さなら、家の空気を綺麗にして、効果がないわけがないではありませんか!

 

もうひとつには、純粋にハウスダストのアレルゲンです。

いくらアレルギーがないとしても、ホコリ飛び交う部屋にいて粘膜などに違和感を感じないわけはありません。

(ちなみに掃除を徹底的にしてから、ぼくは眼精疲労がすこしマシになりました)

痒くなったり痛くなったり、咳やくしゃみが出なかったとしても、「なんか気持ち悪い」ことは否めません。

この微妙な違和感が永続的に蓄積したら、どうでしょう?

そんなもん、精神に良いわけがないじゃないですか。

 

ちなみにぼくは小学生までは、とても具合のわるい子供でした。

性格は暗いし、素直さがないし、先生の言うことを一切聞かないし、しょっちゅう高熱を出し、喘息で、蓄膿で、入退院を繰り返し、あたまも運動神経も悪かった。

しかし中学に入ってから、ぼくは突如として健康体になりました。

ぼくはこのことについて「柔道を始めたからだ」と考えていました。

しかし、よくよく思い出してみたら、柔道部に入る前にぼくたちは引っ越しをしたのです。

それまでは古い作りの団地に住んでいましたが、中学に入学後、借家ではありましたが一軒家に引っ越したのです。

その後しばらくして、ぼくは「柔道をしよう!」と思い立ちました。

それまでは、運動をしょうだなんて、思いつくことすらなかったのに。

 

じつは小学生まで住んでいた団地はとてもカビが生えやすく、日当たりも悪く、ホコリも溜まりやすいところでした。

いまでも家具の裏などに綿状のホコリがドッサリ溜まっていたり、家の中にホコリが飛び交っていたのを思い出します。

ぼくは年中病気がちで、オトンとオカンはイライラしてしょっちゅう喧嘩をしていました。

その団地には自律神経がおかしい人がたくさんいたし、アレルギーがひどくて全身を布で隠している、ミイラのような女性もいたぐらいです。

もしかすると、ホコリやカビだけでなく、なにか建材などに悪いものが使われていた可能性もありますね。

ちなみにその女性は引っ越しをしてから、すっかりそのアレルギーは治ってしまったそうです。

ぼくはぼくで引っ越しをしてから突如強健になり、柔道をはじめ、小学生時代はおちこぼれ寸前だったのが、とうとう学年で1〜2位の成績になるほど学業のほうも伸びまくったのでした。

柔道という、そこそこハードな運動をしはじめたことがこの原因だ、と考えていましたが、ほんとうはそれだけではなかったのかもしれない。

あの団地のせいで、ぼくも、両親も、「なんかおかしかった」のかもしれない。

引越し後、両親は仲が良くなり、オカンは創価学会を脱会し、オトンは出世していった。

 

ホコリとカビが、人生をだいなしにする。

このことについて、ぼくはそろそろ「確信」に変わりつつあります。

ぼくが過敏なのではなく、ぼくが弱いのではなく、ぼくの意思が薄弱なのではなく、ぼくの体質がわるいのでもない。

「掃除をちゃんとしていなかった」、ただこれだけのことが、いろいろなことに暗い影を落としていたような気がしてならないのです。

 

うつ病のひとに、とにかく掃除をすすめるお医者さんもいるそうです。

それはじつは、とても合理的なことだろうと感じています。

理屈ではなく、実体験として。

可愛いは正義だ、などというけれど、ぼくは思う。

「清潔こそが正義だ」。

 

ココ・シャネルも言っています。

「醜さは許せても、だらしなさだけは、絶対に許せない」

ぼくもそうだ、と思う。

カタチや性能がイマイチなのは、これはしょうがない。

しかし「怠惰である」ことは、罪だ。

それだけは、絶対に許してはいけない。

 

毎日掃除をするひとを、だれが怠惰だというだろう?

怠惰ではないこと。

それは、まじめであることでも、仕事を優先することでもない。

きちんと毎日掃除をする人のことを、いう。

 

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