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きれいなヨガ、きたないヨガ

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どーしてヨガがあまり効かなかったのか、ちょっとわかったような気がする。

4年間もくそまじめに、ヨガをしていたのですけれど。

 

最近掃除にはまっておりまして、しょっちゅう床をゾーキンで拭いたりしています。

朝起きてすぐホウキでそーっとホコリを取り去り、部屋の隅や家具の裏など、見えないところこそ重点的に掃除をしています。

さて、そうやって非常にキレイになった部屋で、ヨガをしてみる。

 

ぜんぜんちがうじゃねーか。

 

掃除をあまりしていない部屋でやるヨガと、とてもキレイに掃除した部屋でやるヨガ。

これはもう、はっきりいって、全然別物なのでした。

4年近くも、くそまじめに続けたヨガが、どうしてあまり効かなかったのか。

単純に、薄汚れた部屋でやっていたからなのかもしれません。

反省をしています。

ヨガに、効果があるのではない。

「掃除を徹底的にした部屋でやるヨガ」に、効果があるのかもしれません。

それも「だれかが掃除した部屋でやるヨガ」ではなく「わたしが掃除した部屋でやるヨガ」に。

 

ここにきて、突如として「まともなヨガ」を見極める方法を思いついたのでした。

先生が「掃除をきちんとしなさい!」ということを言ってくれるヨガ教室は、きっといいヨガ教室。

ぎゃくに、ノウハウやメソッド、理論、精神論、哲学ばかりを教えるヨガ教室は、きっとだめなヨガ教室だ。

オウム真理教のサティアンも、非常に不潔だったらしい。

不潔な環境でヨガをやると、神秘やオカルトに傾倒していくのだと思うのです。

場の「わるい気」を、呼吸法や瞑想で、ふんだんに吸い取ってしまうから。

パワーストーンや線香、何かのオブジェで場の浄化なんかできない。

部屋の浄化は、使う人の掃除「だけ」が頼みの綱です。

人やモノにやらせたら、もう意味がない。

 

やってみると、一目瞭然なのです。

掃除がゆきとどいた部屋でやるヨガは、そうではない部屋でやるヨガと、なにもかもが、ちがう。

とても心地良く、心身が浄化されていくように、本当に感じる。

ああヨガというのは本来、こういうことを言っていたのか。

そんなことが、なんとなく理解できるような気がしてくる。

禅が、瞑想よりも掃除を重要視することにも、納得がいきます。

 

瞑想も、ヨガも、まずは掃除なのですね。

むしろ、それをしなければ、瞑想も座禅もヨガも「してはならない」のかもしれません。

危険すぎる。

 

そういえば、ちょっと種類は違うけど、柔道もそうでした。

最初の頃は掃除と受け身ばっかりをやらされて、技なんか一切教えてもらえませんでした。

掃除は一年生の仕事だったのです。

今の風潮なら、掃除を一年坊主にばかりやらせるのは「差別だ」とかヌカすヤツも多いかもしれません。

しかしおそらく、これはとても合理的な方法だったのだと思います。

格闘技のような、究極的なまでに細心の注意力と集中力を必要とされる肉体操練において、「掃除」こそが脳のトレーニングになっていたのかもと思います。

掃除を続けると、観察力や注意力が身につきます。

どこが汚れていて、どこが汚れていないか、それを一生懸命に見つけなくてはいけませんから。

そういったことが意外とケガの防止にもなっていたのでは、と思ったりします。

掃除が甘いと先輩に蹴っ飛ばされるし、技も教えてもらえない。

だから必死で、キレイにしようと頑張る。

ぼくが最近掃除に目覚めてから、いまだに飽きが来ず、むしろとても楽しく感じるのは、もしかするとあの1年間の掃除地獄を味わったからなのかもしれません。

掃除って、なんかいいな。

そのときも、少し感じていたのです。

 

掃除は、すべての基本だ。

大げさではなくて、今ほんとうにそう感じています。

仕事の進め方さえ、掃除を習慣にすれば大幅に変わってくる。

理屈をぐずぐず言うまえに、高等な知識を仕入れる前に、小難しいことを考える前に、まずは1年間、底的に掃除しろ。

話は、それからだ。

そう言ってくれるひとが、今の時代は少なすぎる。

 

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