WEBLOG

ブログ

神鏡がこちらを向いている理由

記事 神鏡がこちらを向いている理由のアイキャッチ画像

毎日こまめに掃除をするようになって変わったことのひとつに「神棚のお供えを毎日変えるようになった」というのがあります。

それまではお恥ずかしながら、何ヶ月もほったらかしということがありました。

榊もプラスチックの偽物で、これはもう「メンテナンスしません」という宣言を、してしまっていたようなものです。

考えてみれば、ぼくがパニック障害を発症したころも神棚は放置していました。

その家を引っ越しするときにはなんと、神棚の御札を入れるところから「ゴキブリさんの死体」が出てきたぐらいです。

 

いえ、ぼくはべつに神棚を放置していたからバチがあたってパニック障害になったのだ、なんていうつもりはありません。

神様はそんなにケツのアナが小さな存在でも、嫉妬深い女のように邪険の報復返しをしてくるような存在でもないでしょう。

そんなことよりも、今回掃除をこまめにするようになって気がついたことがあります。

「神棚は、じぶん自身である」。

 

神棚には「神鏡」という、小さな鏡を設置するのがスタンダードです。

その鏡は、神殿のほうにではなく、こちらのほうを向いています。

鏡というのは通常自分のカオを写したりするもので、それは神様の鏡なのに、どうしてこっちを向いているのだろう?

「鏡は日輪を象徴している」というような説もあるようだけど、ぼくは思った。

じぶんを見るためじゃないのか?

 

神棚を掃除していないときは、じぶんの家もあまり掃除していませんでした。

家を徹底的に掃除するようになると、自然と神棚も清潔にするようになりました。

あたりまえですよね。

家はとても綺麗に掃除しているのに、神棚だけ特異的に放置している、というほうが不自然です。

ついでに……という言い方は適切ではないのかもしれませんが、家を掃除すれば、しぜんと神棚も綺麗にするようになる。

 

そもそもの話として、神棚のお供え(米・水・塩)の交換と、榊の水の交換は、そんなに面倒なことでもありません。

時間にして1分程度の作業、はっきり言って「楽勝」ともいえます。

「こんなに簡単なこともできない」ということにこそ、いちばんの問題があったのではないか。

もしこれが、たとえば「毎朝牛一頭を屠殺して供えなければならない」というような大仕事なら、サボってしまうのは仕方がありません。

時間にして1分前後、体力的にはテーブルを布巾で拭くよりも楽な作業。

それなのに「朝は忙しいの!」なんて言ったり、思ったり、忘れてしまうところに、おそらくは根源的な問題がある。

ようするに、余裕がないのですよね。

それだけ精神的に疲弊していて、焦って、生き急いでいる、ということだと思うのです。

どう考えたって、毎日神棚のお供えを変える時間ぐらいは、絶対にあるはずなのに。

 

「神棚は自分自身だ」と思うことには、もうひとつあります。

それは「敬意の象徴」でもあると、思うのです。

科学的・歴史的・学問的に検証して、神様がいるかいないか、そんな子供っぽい義論はこの際どうだっていい。

そんなことよりも、

「この世には、じぶんよりも偉い存在が山ほどいる」

という事実をしっかり認識しているかどうか、ということのほうが重要だと思います。

そう思えるからこそ、敬意、尊敬のココロも生まれる。

世の中には、ウエにはウエがいるのです。

一人ひとりが大切で平等な存在、それは確かにそうです。

しかしだからこそ、人それぞれには敬うべきところが必ずある。

じぶんが一番偉い、なんて思ってしまうのは、完全なる勘違いで妄想です。

この世には、じぶんよりも上等なところを持ち合わせているひとは、いくらでもいる。

 

人に敬意を払えないようなひとは、だれからも尊敬してもらえません。

人を大切にできないひとは、だれからも大切にしてもらえません。

だから神棚をきちんと祀るというのは一種の教育であり、一種のトレーニングであり、一種の行動療法だと思うのです。

人間の最も大切な素養のひとつ「敬意」を培うための。

いくら勉強ができて、運動ができて、仕事ができて、お金をいっぱい持っていても、他者に敬意を持てないひとは、結局なにをやってもいずれ失敗すると思う。

すなおに神仏に頭を下げ、手を合わせることができる。

そんなふうな敬意と素直さをともに持ち合わせているひとのほうが、どう見たって幸せになる確率が高そうです。

理屈っぽいと、自己中心的になります。

自己中心的で、自分のことしか考えられない人は、苦しみのうちに人生を終える。

……と、ダライ・ラマさんも言っています。

 

だからバチがどうこう、悪霊が寄ってきてどうこう、という話ではないと思うのです。

・家や自分自身を清潔にしていますか

・他者への敬意を失っていませんか

・余裕を失っていませんか

神棚や仏壇というのは、人生で大切なこの3つの行動指針を振り返るための「チェックツール」だと思う。

これができていなければ、そのうちどうせトラブルは起こるでしょう。

霊とかスピリチュアルとか運勢とか波動とかそういう大層なことじゃなく「あたりまえのこと」として。

家が不潔で、他者への敬意なく、余裕を失っている人がトラブルに巻き込まれないほうが、むしろ奇跡です。

逆に言えば、ちゃんと清潔にして、こころの整理がついていて、他者への敬意を持ち、余裕を失っていなければ、だいたいのことは、なんとかなるはず。

あたりまですよね。

 

だから神鏡は、心境を映し出す鏡なのです(しまった! またダジャレだ!)。

 

カテゴリー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。