WEBLOG

ブログ

大切なことは全部、柔道が教えてくれていた

記事 大切なことは全部、柔道が教えてくれていたのアイキャッチ画像

中学生から大学生まで10年間、そこそこまじめに柔道をしていました。

ずっと気が付かなかったんだけど、オッサンになった今、じつは大切なことは柔道が全部教えてくれていたんだなあってことに、いまさら気がつきました。

 

1.礼に始まり、礼に終わる。

すべてのことは、礼に始まり、礼に終わる。

礼というのは感謝と敬意の総称で、これを物事のアタマとケツに据え置くだけで、いろいろなことがうまく運ぶようになる。

自己啓発セミナーやスピリチュアル的なナニガシでも「とにかく、ありがとう、といいましょう」というようなことがよく推奨されます。

これも「礼に始まり礼に終わる」と、全く同じことだと思います。

ぼくはこれをガキの頃から骨の髄まで叩き込まれていたおかげで、ずいぶんトクをしたこともあります。

営業マン時代、営業能力はどちらかというとダメなほうなのに人並みには売れていたり、独立した今パニック障害だの外出恐怖だので一切外出ができなくても全く仕事が途切れないのは、よく考えたら結局はこの「礼に始まり例に終わる」ことを続けていたせいかもしれません。

よく人からは「おまえは人徳商売だな」などと言われることもありますが、はっきり言って、ぼくにはあまり人徳はありません。

礼儀というものを大事にしていたおかげなんじゃないかな、と思います。

 

2.精力善用

精力というのは「能力」と言い換えても、あるいは単に「ちから」と言い換えてもいいと思います。

コンピューターの世界ではウィルスなんかを作って世界にバラまいたり、ハッキングを仕掛けて大損害を与えたりする人がたまにいます。

IT世界でなくとも詐欺などの知能犯罪を犯す人もいます。

じつは、ウィルスを作ったりハッキングをするというのは、かなり高い能力です。

詐欺だって、かなり能力が高いです。バカにはできない。

そういったせっかくの高い技術や能力、知能を「悪用」すれば犯罪となり、世界から逃げ回って生きていくはめになり、「善用」すれば優秀なビジネスマンになり、何を恐れることもなくお天道さまの下を歩ける。

自分が持っている「ちから」を善用するか、悪用するか。

たったこれだけの二者択一で、それ以降の人生が、極端な分岐をしてしまうのです。

なんのために勉強し、努力し、がんばっているのか。

そこに「善用」という概念があれば、大きな過ちを犯す可能性がグンと減りますね。

 

3.自他共栄

日本人によくありがちな「自己犠牲精神」を否定するものなのかもしれません。

やさしさや慈悲、協調性、社会性、そういったものを曲解して、じぶんを犠牲にして働くようなことで過労死が生まれることもあると思います。

しかしじつは、自分も人間、相手も人間。

自分と人は「本質的に同一である」という基本概念がスッコ抜けてしまうと、自己犠牲などという愚行が生まれてしまうように思います。

自己犠牲を遂行する人は、ほんとうは根っこで孤立し、分裂している。

本来同一であるはずの自と他の接合をぶった切っているからこそ、じぶんは損をしてでも、相手にトクをさせるなどという概念を持つに至る。

しかも、そういったことをする人は、じつは意外とのっぴきならない利己主義者であったりする。

「こういうことをしていれば、神様や仏様が功徳をくれる、天国に行ける」というようなことを信じていたりして。

もしそうなら、結局のところは相手のことなんかほんとうには真剣に考えておらず、自分のことしか考えていないのですよ。

相手を幸せにしたければ、じぶんも幸せでなければならない。

相手が幸せでなければ、じぶんも幸せではない。

幸福は占有するものではなく、共有するものである。

こんなに単純でわかりやすい至極当然のメカニズムを、「自他共栄」というのだと思います。

 

4.動かすのではなく、動いてもらう。

柔道や合気道の、もっとも基本的な概念ですね。

筋肉を鍛え、パワーアップして、強大なチカラもって強引に「持ち上げ、動かす」ではなく、「動くように、もっていく」。

重力、加速度、テコの原理、重心移動、回転、モーメント、そういったものを器用に使って、できるだけ自分のチカラは使わずに相手を投げ飛ばす。

柔道の技は、じつは「投げている」ではなく「落ちている」のです。

回転するので、投げたように見えているだけ。

これは柔道の技だけではなく、人間関係や仕事など、いろいろなことに応用できそうですよね。

人をゴリッゴリに説得し圧力を用いて強引に動かすのではなく、「相手の希望(モーメント)を利用する」という方法もある。

ほんのすこしだけ角度を変えれば、じつは思ったような方向に人が動くこともある。

これはかなり高等な技ではあるけれど、この技を持っていれば「最強」になれます。

柔道の技じたいは、あれは若い間でないとできないことも多いけど、オッサンになってきたらこっちの技を磨くべきだと思います。

ていうか、オッサンになっても「背負投が得意技です」「黒帯でしてね」とか、じゃかましいわ。クソの役にも立たんだろうが。

「人を動かして」なんぼのもんじゃ、と思う。

 

5.道場と道具を大切にする。

柔道着は、サムライでいうところの「カタナ」だ。

だから自分で洗濯し、破れたら自分で縫い、人に持たせたりせず、自分で持ち運び、いつでも大切に扱えと、柔道では教えます。

柔道だけでなく、一流のスポーツマンはみんな道具を大切にするし、一流のビジネスマンや職人も、やはり道具を大切にするそうです。

道具を大切にするというのは、たぶんあらゆることの「基本」なのでしょうね。

それができない、というところに、なにか根源的な問題をはらんでいるのかもしれません。

そして道具だけではなく、その「場」ももちろん、大切にする。

とにかくよく掃除し、清潔にし、よけないものは絶対に置かないようにする。

整理・整頓・清潔。

これは武道やスポーツだけでなく、すべてのことに有用なことなのでしょう。

 

6.自己練磨を怠るな。

じぶんの能力やチカラを向上させる努力をしろよ、っていう。

これもまあ、なんだってそうなんですけどね。

じぶんのちからを向上させて、じゃあそれをどうするのか?

もちろん「善用」するのでありますよね。

じぶんとみんなを、弥栄に栄えさせるために、自己を練磨していこう。

 

柔道のスポーツ的側面もいいけれど、「哲学的側面」にも、もっと注目していいかもしれないですよね。

勝っただの負けただの、メダルの数がどーのこーの、もーどっちゃでもええわ。

勝者というのは敗者がいてこそ成り立つという、あくまで相対的概念に過ぎませんからね。

それも、せまい世界の中だけの話だ。

そんなことよりも、勝敗を通じて見えてくる「大事なこと」こそを、見逃さないようにしたいです。

 

どす黒い自己啓発野郎とか、スピ系のフニャチン野郎がゴニョゴニョ言うことを分散的・発作的に学習するまでもなく、合理的に統合されたメソッドが、昔から日本にはちゃんとあったんですよね。

もう、これでよくね?

本とかセミナーとか、いらなくね?

 

礼に始まり、礼に終わる。

精力善用、自他共栄。

これだけやっとけばまあ、だいたいのことは大丈夫ですもの。

 

 

カテゴリー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。