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欲の強さと自律神経

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なぜ、芸能人にはパニック障害が多いのだろう。

芸術的な感性が豊かだから?

仕事のストレスが多いから?

生活が不安定だから?

 

たぶん全部そうなんだろうけど、もしかすると、もうひとつあるかもしれない。

欲が強いから。

芸能人になろう、そう思う人は、きっと誰よりも欲が強いと思う。

人前に出て、有名になりたい、認められたい。

そんな気持ちが強くなければ、芸能人なんて、やっていられないでしょう。

 

べつに芸能人だけの話でもないのです。

ぼくの身近なひとたちにも、自律神経がおかしいひとはとても多いです。

ぼくも含めて、そんな人達に共通する要素。

欲が強い。

ひとぞれぞれ、対象はちがいます。

ある人はお金に対してだったり、ある人は異性に対してだったり、ある人は趣味に対してだったり、ある人は社会的地位に対してだったり。

「求めるちからが強い人」が、自律神経を不調にする傾向があるような気がします。

ぼくのオカンも自律神経が不調だけど、彼女もやっぱり、欲が強い。

 

なにも、周囲のひとたちの共通項だけから持ち出した意見ではありません。

論理的に考えても、たぶんそうなんだろうなあと思うのです。

「欲が強い」ということは、「強く求めようとする」ということです。

求める、という心理じたいが、すでに交感神経をコーフンさせるのですよね。

たとえば狩りをするときに、「うふ〜ん。あーあ。平和だなあ。ヒマっすねえ」なんて、アホみたいにノンビリするひとはいません。

「獲物はどこだ!」

「外敵はいないか!」

「この痕跡は獲物か!」

「何か動いたぞ! 物音がしたぞ!」

「!」の連続、神経ビンビンで些細な物事にも集中するはずです。

「求める」というのは、緊張を生むのです。

 

あと、不安について。

自律神経の失調では「不安」はもう、セットのようなものです。

なんかしらんが、妙に不安を感じる。

これも、冷静に考えてみる。

じつは不安とは、期待の裏がえしなのであります。

期待するから、不安があるのです。

なーんにも期待していなければ、不安なんか持ちようがありません。

物事の帰結に対して、なんの興味関心もないのですから。

不安が多いということは、期待が多いということ。

期待が多いということは、とどのつまり、欲が強いということです。

心配性は、じつは強欲のあかし。

 

パニック障害が最も多い年齢層は、思春期だそうです。

思春期も、これまた「欲がパンパン」な時代でもありますね。

ガキのころはまだ欲が反射的で不定形ですが、成長し、青春期も迎えた頃、「欲」はカタチを持ちはじめます。

異性に対してだけでなく、社会的な欲求も強くなる。

 

ぼくのばあいは、「治したい!」という欲が非常に強いのです。

だから年がら年中、神経とか病気とかについて、目を皿のようにして、本やネットを探し回っていました。

この「探す」というのも、完全に「欲」のあらわれです。

探す対象がなければ、探すわけがないですからね。

探す、調べる、それはつまりようするに「欲のあらわれ」だったのであります。

 

まあパニック障害なんていうナゾの病気になってしまったら、だれだって「治したい」と思いますね。

それは、ふつうだと思います。

でも「ふつうだから、しかたがない」では、やっぱりダメなんでしょうね。

だって「欲」が最も根源的な原因だったとしたら、「治したい」という欲求を非常に強く持ちづつけるというのは、完全に論理的に矛盾している。

構造的に、破綻している。

だからぼくは、長年パニックを引っ張りつづけたんだと思ったりするのです。

原因は神経がおかしい、では、なぜ神経がおかしいのか?

突き詰めれば、それはつまり、強欲であったということなのかもしれません。

 

しかしぼくは自分で、こう思っていました。

「ぼくは、人に比べて欲が少ないほうだ」

うそつけ。

じぶんを冷静に見てみたら、そんなことはありませんでした。

「バカは、じぶんをバカだと思っていない」のと、まったく同じ構造だったのですよ。

欲の深い人こそ、じぶんを強欲だとは思わないものなのです。

 

じぶんがじぶんをどう思っているかなんて、クソくらえじゃ。

「いまのじぶんの状態」こそが、事実だ。

神経が落ち着かない、それは多分に、強欲のあらわれだと思います。

たしかにぼくは、お金や社会的地位などに、あまり強い欲は持っていないようです。

しかしぼくは、じぶんの表面意識では検知できない種類の強欲を、たぶん持っている。

とにかくこだわりが、ひじょうに強いのです。

もしかしたら「プライド」とか「価値観」とかいうような、概念的な方面の欲求なのかもしれません。

いや、もしかしたら、じつはそんなことはなくて、もっと簡単で低俗で、即物的な欲かもしれない。

バカが己のバカを検知できないように、じぶんの欲の矛先は、なかなか検知できないのかもしれませんね。

じぶんでは、まだわからない。

 

さてそこで、ではなぜ「欲」を「強く」持ってしまったのでしょう。

欲を普通に持っているぶんにはたぶん問題はないのですが、それが「過剰」になると、よくありませんよね。

思うに、これは単純に「情報の多さ」なのではないか、と思ったりするのです。

情報と言っても、べつに本やネットやテレビということだけではありません。

モノの多さや、念の籠もったモノの多さなど。

そういった「モノ」も、情報の一種だからです。

 

先日大規模な断捨離を行って、大切にしていた数百冊の本を、ほとんど売り飛ばしてしまいました。

そのあたりから、どうも「欲」のレベルが、すこし落ちてきているようなのです。

神経の不調は確かにあるのですが、「収まるのが早くなった」。

不調が、消えたのではありません。

厳然と不調はあるのだけれども、微細な波を繰り返しながらも、結局はかなり早く神経が落ち着くようになったのです。

あと、眠りがとても深くなりました。

じぶんでは見えない「何か」があって、その「何か」が、最近すこし、変化してきている。

そんな感じがしています。

 

あまり、じぶんを買いかぶらないようにしよう。

ぼくは強欲ではない、それは「じぶんがじぶんに貼った、レッテル」だ。

そんなことはない。

ぼくはおそらく、強欲なのです。

そうでなければ、日夜いろんな情報を「探し回る」はずが、ありませんものね。

じぶんをもうすこしだけ、遠目で眺めてみよう。

重要なのは「どう思うか・どう感じるか・どう考えるか」ではなく「起きている事実」だ。

 

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