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パニック障害の人には、信用できる人が多い。

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ぼくは個人事業主のWebデザイナーなのですが、パニック障害持ちです。

もう、10年超えたかな。

いや、まあもっと正確にいうと「元」パニック障害で、発作じたいはかなり落ちつているけど、自律神経の具合のわるいことが多い。

 

さて、そんなぼくのお客さんのうち、とても安心して仕事ができる人にはパニック障害や不眠症、自律神経失調の人がとても多いのです。

そしてこれはたぶん、偶然ではないと思われます。

最初はもちろん、お互いにパニックだのどうの、そんな話はしていません。

仲良くなって、なにかのきっかけで「じつはぼく、パニック障害でしてね・・・」というと、「えっ! ほんとうですか! じつは私もなんですよ」「そうなんですか! 私も昔そうでしたけど、いまは不眠症なんですよね」「ぼくはウツになったことがあります」「貧乏ゆすりが止まらない病気でしてね」。

そんな展開。

だからまちがいなく「神経的にオカシなひとを選択的にお客さんとして選んだ」わけではありません。

「この人は、とても信用ができる。安心して仕事を任せられる」そう感じた人こそ、神経がおかしい人が多い。

 

ここでいう「信用できる」とは、どういうことか?

 

・ウソをつかない。

・約束を守る。

・約束を守れなくなくなった場合は、事前に必ず連絡をする。

・時間や期日に正確である。

・責任感が強い。

・相手の都合や事情も斟酌し、最適解を模索する。

 

・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。

 

あたりまえやろーも

 

思わず佐賀弁が出てしまいますけどね、そう、ほんとにあたりまえのことなのです。

「社会人の定義」といっても、もはや過言ではありますまい。

しかし、どーゆーことなのでしょうか。

この「あたりまえ」のことを、ほんとうにキチンとできているひとには神経がおかしい人が、めちゃくちゃ多いのです。

しかしいっぽうで、神経的に健康マンタンなひとは、どういうわけだか、信用できない人が多い。

連絡がつかなくなったり、きゅうに逃げたり。

てきとうなことを言い回って、結局なーんにもしなかったり、なんにもできないやつだったり。

 

だからつまり、極論をいうと、こういうことになってしまうのですよ。

 

神経的にとても健康な人は、人間的に信用ならない。

 

よのなかには、クソ野郎がごまんといるのですよね。

ここでいう「クソ野郎」とは、どういう人たちか?

 

・へいきでウソをつく。

・約束を守らない。

・約束が守れなくなることがわかっていても、連絡はしない。

・時間や期限にルーズである。

・責任感がない。

・相手の都合など斟酌しない。自分にとっての最適解だけを優先する。

 

まさに「信用できる人たち」の「真逆」ですよね……。

 

そしてこのクソ野郎どもは、おおむね神経がめちゃ健康なんだ。

あたりまえだ!

だって、なーんも考えとらんのだもの。

じぶんの都合しか頭になく、人との対応は表面だけサササと流して動いとるだけなんだもの。

目もココロも、あっちゃ向いたまま。

そりゃあ、神経はすり減らんわなあ。

健康だわなあ。

「憎まれっ子世にはばかる」とは、よく言ったものです。

でもはっきりって、邪魔なんだよな。

そーゆーやつらは。

「信用できる人」に、コバンザメみたいに、ペタっとくっついているだけなんだもの。

 

なのでこのブログを読みに来ているひとで、パニックや自律神経なんかで参っている人には、大声で言いたいのです。

 

あなたはたぶん、人間的には価値が高い。

 

「神経的に健康的な人と比べる」のは、もうやめたほうがいいですわ。

「神経的に健康になろうとする」のも、やめといたほうがいい。

それはもしかすると「自分のランクを落とす」ということと、おなじかもしれないから。

 

あたまがおかしいのは、いっしょうけんめいにやっている、証明みたいなものですからね。

責任感とか、協調性とか、愛情とか、気遣いとか、そういう才能をハイレベルで持っているあかし。

クソやろうのほうをスタンダードにして、それと比べて自己卑下するなんて、もったいなか。

クソやろうと比べて「うらやましい」だなんて、そんなわけが、なかろーも。

宝の持ち腐れじゃ。

せっかくの「人間ならではの最大の強み」この「宝」を放棄して、わざわざクソ人間になり下がりに行かんでもよか。

 

こっちのほうが、正義だ。

こっちのほうが、正統だ。

俺たちみたいなのが消えるときは、

世界が壊れるときだ。

 

ぼくはさいきん、ほんとに思うのですよね。

ちびっと神経がおかしいぐらいで、やっとこ正常。

まともな人間である、あかし。

心身ともに超健康だなんて、人間としてはなんの価値もないっていうのと、ほとんどおんなじなのかもしれないぞ。

理由はなんだっていい、悩みを持っているひと、考えてしまうひとのほうが、より人間らしいですものね。

それで、よか。

 

神経がおかしくなったというのは、世界の「中枢」側にやっと回れた、ということかもしれませんね。

軸になった。

末端でぷらぷらしているぶんには、神経は健康でいられます。

無神経で、責任感なく、ルーズでのんきでやっていけるのも、じつは「軸」があるおかげ。

親がいないと生きていけない、ガキと同じだ。

ちょっと神経がアレなひとは、たぶん役目としては「枢軸側」のヒトなんだと思います。

「ちゃんとすることができる」という、たぐいまれなる才能を持っているから。

部品があるからこそ、故障することができる。

部品が元からなかったら、故障すらできないのです。

 

 

カテゴリー

  • ぽぽんた より:

    てらちゃんは やさしいね

    ありがとう

  • イヌピト より:

    私は個人事業主のフォトグラファーなのですが、パニック障害持ちです。

    もう、18年超えたくらいでしょうか?

    もう少し正確にいうと「元」パニック障害で、発作じたいはかなり落ちつているけど、自律神経の具合のわるいことが多い婦人です。

    いつもありがとう。

    • TERA TERA より:

      これはどうも皆様、コメントありがとうございます。

      やっぱりほら、ここでも仮説は証明されましたよね。
      見知らぬオッサンが書いたブログなんぞに「ありがとう」なんて、ほんとはべつに言わなくてもいいのです。
      でも、そーゆーことができる、してくれる。
      そういわれたら、ぼくだってうれしいです。

      神経がちょっとアレなひとは、スペックの高い人が多いんだと思います。
      常識とか、礼儀とか、気遣いとか、社会性とか、バランスとか、そういった機能を「強めに」持っている。

      「もっといい加減になりたい」「もっと鈍感になりたい」

      そう考えることも多々ありますが、よくよく考えたら、例えればパソコンについてるすげー高機能な部品を、わざわざ引っこ抜いて棄てるようなものですものね。
      もったいなか!

      棄てるべきは「弱気」「自己卑下」「自己否定」なのであって、この能力は磨きこそすれ、決して棄てるまいと思いました。

      ぼくから気遣いとか礼儀とかを差っ引いてしまったら、冗談抜きで天下無双のクソ野郎になってしまいそうです。

  • さち より:

    はじめまして。いつもこっそり読ませていただいています。

    この記事を読んで、なんだか救われたような、自信をつけられたような、そんな気がしました。

    私は1年半前の夏から自律神経の調子がおかしくなって、今は過敏性腸症候群と片頭痛にビクビクしている毎日です。

    自分では真面目なつもりもなく、どちらかといえば結構だらしないほうなのになぁ…なんて思っていましたが、
    たしかに、言われてみればクライアント様にはとても信頼していただいて、対応への褒め言葉をいただくこともしばしばで…。

    私が当たり前にやっていることは「誰かに褒められるほどのこと」で「私は人間的に価値が高い」という言葉。
    本当に目からうろこでした。嬉しい。そうだよね!コレはダメなことじゃない、自分の長所なんだ!と、心から思いました。

    新しい考え方を持つきっかけを、ありがとうございました。
    これからも記事、楽しみにしていますね。

    • TERA TERA より:

      コメントありがとうございます!

      > 自分では真面目なつもりもなく、どちらかといえば結構だらしないほうなのになぁ…

      「ちゃんとしている」人ほど、じつはそうなんですよね。

      例えるなら、天才は自分のことを天才だなんて一切感じていない、みたいな感じで。

      たぶん自身で設定している「定義」が、かなり高いところにあるんでしょうね。
      だからそれと比べて、じぶんはなんだかダメなような気がする。

      しかしこの高い設定があるからこそ、人間的な市場価値が高まるともいえます。
      目標が低ければ、到達できる地点も、低いままですものね。

      ただこの「高い設定」のおかげで、神経がオーバーワークしてしまうことも多々あります。

      そこで、「わたしが辛いのは、この『高い設定』のせいだ。だからもっと設定を低くしよう」だなんて、思うこともあります。

      むろんたまにはそれでもいいのかもしれませんが、でも、どうでしょうか。

      「飛行機で最も危険なのは翼だ」といって飛行機から翼をとってしまったら、田舎のバス以下です。まったくの、やくたたず。

      高度なものには、かならず危険や問題も、セットでついてくる。

      せっかく飛行機の才能があるのに、なにもわざわざ、クソダサいバスのマネをする必要はありませんよね。
      問題は問題としてきちんと把握しておいて、それとうまく付き合っていく。

      それがいちばん合理的……ていうか、たぶんもうそれしかできないんだろうなあ、と思ったりしています。

      飛行機は飛行機としてしか生きていけないし、緻密で複雑なものほど、メンテナンスが必要なんですよね。

  • ぽぽんた より:

    こんなふうに 書いておられる かたも。
    http://www.kaynotes.com/archives/9225681.html

    • TERA TERA より:

      コメントありがとうございます!

      リンク先の記事、読ませていただきました。
      正直……ちょっと極論すぎるし十把一絡げすぎるし、独りよがりすぎるかな……とは思いましたね。
      筆者様は、ちょっとムシャクシャすることがあったときに書かれたのではないでしょうか。

      > 敏感な人間というのは、純粋で、高貴なものを求め、向上心がある場合が多い。
      > 鈍感な人間は、決して聖なるものを求めず、俗に染まっている自覚もない。
      > そして、自分さえ良ければ何でもありで、周囲とチャラチャラやれる。

      ええと…
      すくなくとも、ぼくの周囲ではそんなことはないです。
      鈍感でも純粋で高貴を求める人はたくさんいますし、敏感でもゲスやろうはごまんといます。

      それに敏感なひとが突如鈍感になることは、よくあることのように思います。
      ていうか、いわゆる「敏感な人」は、ほとんどの場合「特定の物事に対してのみ特異的に敏感」なのであって、ターゲット外については普通の人よりむしろひどく鈍感で思慮に欠けていたりします。
      え、あんた神経質とか言うわりには、なんでそこは一切気にしないの?
      どして? 大丈夫なの? みたいな。
      つまり神経の集中と覚醒と興奮の方向が特別に偏っているだけで、総体としては取り立てて敏感ではないのかもしれませんね。いがいとバランスとれてる。

      ぼくも敏感で感受性が高いなんてよくいわれますが、じつは人からの評価や文句なんかはほとんど気にしないし、聞こえませんし、見えません。このへんについては、かなり鈍感だと思いますね。
      敏感だなんていうのは、とどのつまり「そーゆー勘違い」なのかなと、最近は思っています。

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