ううむ。
なんかこう、最近調子悪いぞ。
息苦しいし、アタマフラフラするし。
イライラするし、なんか調子わるいなあ。
なんだろう?
また例のパニックが復活したんだろうか、自律神経の調子が悪いんだろうか、季節の変わり目だから、なんかアタマオカシくなったんだろうか。
そんなことを、またヌプヌプと考え込みそうになって、気がついた。
そういえば最近、全然歩いてねぇや
先月の下旬に、娘がインフルエンザにかかりました。
けっこうひどくて、きっちり1週間寝込んでしまいまして、かなり可愛そうでしたよ。
ちょうど時節柄インフルエンザが無茶苦茶流行っていたのです。
ぼくには感染しませんでしたが、微妙に風邪は引いていました。
ちょっとした咳、ちょっとした鼻水、ちょっとした熱など。
「インフルエンザが流行っている」「ちょっと風邪引いてる」これに加えて、仕事がとても忙しかった。
そんなことで、なんだかんだ言ってほとんど外出せず、ずっと仕事ばかりしていたのでした。
その証拠に、スマホの歩数計アプリには、1月20日〜2月16日まで、限りなく「歩数ゼロ」が続いています。
なんか具合悪いな……じゃ、ねえよ!
家からほとんど出ず、狭い部屋に閉じこもって、朝から晩までパソコンに向かって仕事して。
具合悪くならないほうが、どうかしてる。
むしろ1ヶ月もそれを続けて「なんか息苦しいな」で済んだというのは、たいしたものかもしれません。
ほんとはけっこう、あちこち丈夫なんだろうな。
原因不明の具合の悪さ。
そんなことでグズグズ悩んでいても、じつのところはけっこう「そんなのあたり前だろ!」みたいなことを、無意識にしていたりしますね。
この「無意識に」が、クセものなのです。
記憶になかったり、意識のなかで行動と結果がしっかり連結していないから「原因がない」なんて思い込むのです。
「症状」というのは、そもそもが主観的なものだから「主観の陥穽」には、かんたんに嵌まり込んでしまうのですね。
「何もしていないのに」とか言いながら、じつはガッツリと「運動不足」を実行していたり、「スマホやパソコンをいっぱい使う」「映画やテレビを長時間見る」「本をいっぱい読む」「長時間座りつづける」というようなことを、へいきな顔をして、しっかりやり遂げていたりする。
ボク自身、まさか1ヶ月もほとんど歩いていなかったとは、スマホの記録がなければきっと気がつかなかったと思います。
1ヶ月間、ほとんど歩かず、座っている。
そんなもん、下手したら、エコノミー症候群になってしまいますよね。
あたまがフラフラするなー、息苦しいなー、なんか動悸するなー。
それ、警告です。
その後、できるだけ歩くようにしたら、かなり良くなりました。
不機嫌のほとんどは「余剰エネルギー」である、という説があります。
怒りは、余剰エネルギー。
悲しみも、余剰エネルギー。
不安も、余剰エネルギー。
恐怖も、余剰エネルギー。
疑心暗鬼も、余剰エネルギー。
被害妄想も、余剰エネルギー。
落ち着かないのも、余剰エネルギー。
細かいことが気になるのも、余剰エネルギー。
そういえば「欲も得もない」という言葉があるように、ほんとうに疲労困憊したときには、へんな感情や思考というのは逆に出てきませんね。
無念無想で、泥のように眠るだけです。
確かに悪感情のほとんどは、余剰エネルギーなのかもしれません。
この余剰エネルギーの解消は、じつはとても容易なのだそうです。
「とにかく動く」ただ、それだけ。
なんでもいい。
歩くのでも、走るのでも、筋トレでも、ヨガでも、ケンカでも、掃除でもなんでも、とにかく体を動かせば、余剰エネルギーは早々に燃え尽きてしまうのだそうです。
貝原益軒の養生訓や、ヨーガでもこの「余剰エネルギー」はたいへん危険視されていて、少食と運動が強く推奨されています。
あらゆる病は余剰エネルギーから生まれる、とさえ言われていますね。
ありうるね。
たった1ヶ月じっとしていただけで、こんなにも体調が悪くなるなんて。
「体調が悪い」→「安静にする」
この手順だけに固執してしまうと、とんでもないことになりそうです。
余剰エネルギーが解消されなくて、悪循環になる。