「からだにいいこと」を継続すると、途中まではなんとなくいいけど、決まってそのうち具合がわるくなる。
「治そう」と努力すると、途中まではなんとなくいいけど、決まってそのうち具合がわるくなる。
パニック障害系ではもはや「あるある」ですね。
どうして、そうなるのか?
「いいこと」をしているはずなのに、どうして決まって、ダメになるのだろう?
この命題は果てしなく難解です。
しかし、この不可解なるテーマについて、明快な答えを示唆する仮説があります。
努力そのものが原因である。
治そうという努力。
健康になろうという努力。
よい状態を維持しようという努力。
「努力」という行為そのものが、じつは最大の原因かもしれないのです。
そもそもの話として、パニック障害やウツ、自律神経失調などの神経・メンタル系の不具合を引き起こしやすい人というのは、以下のような特性を持っていることが多いです。
・まじめ。
・勤勉。
・努力家。
・誠実。
NEO-PI-R検査という性格診断テストがあって、この統計には、じつに興味深い結果があります。
拒否率の高い人は、誠実生が高くまじめで勤勉な人が多い
パニックによる恐怖症や、各種のウツ症状には、共通点があります。
強烈な症状に隠れてウヤムヤになりがちですが、じつはその根底には明確な核があります。
「拒否」。
自分に対して、社会に対して、ある事象に対して、要するに、ひじょうに強い「拒否」の感情を持っている。
つまり、「NO!」と言っているのです。
恐怖だとか、やる気の低減だとか、不安だとか、いろいろ言うけれど、ようするに心が「NO!」と言ってる。
まじめで誠実で、努力家な人というのは、脳の背側縫線核のセロトニントランスポーターの密度が低い傾向があるそうです。
おそらくそれが影響して、拒否の感情が生まれやすいのだろうと言われています。
すこし、意外でもありますね。
まじめで誠実で勤勉な人のは、拒否の感情なんてむしろ少なそうな気もします。
しかし実際には、そうではない。
まじめで誠実で勤勉な人のほうが、じつはドス黒い。
ちなみに、努力でのし上がって来た人、つまりまじめで勤勉で誠実な人というのは、他人の才能を潰す傾向が強いとも言われています。
相手の行動に、すぐにブレーキをかけようとする。
「やめとけば?」「それは無理じゃない」「そんなことに意味はない」「あぶないよ」
本人はいたって、親切なアドバイスのつもりなのです。
しかし客観的に見れば、ひじょうにネガティブに、相手の行動を抑制する発言をします。
これはどういうことかというと、自分では経験則に照合して客観的なアドバイスしているつもりだけれども、じつはポジティブに行動しようとしている人に嫉妬をおぼえどす黒い感情が表面化し、主観的な拒否感情を言語化しているということです。
逆に、それほどまじめでなく、勤勉でも誠実でもない人は、ポジティブな応援をすることが多いそうです。
「やってみろよ!」「面白そうじゃん」「やろうやろう」「お前ならできるよ!」
つまり、ぼくたちが後生大事に守ってきた「努力」というのは、諸刃の剣だということです。
確かに、強い威力はある。
しかし努力とは、実は大変にネガティブなエネルギーでもあったのです。
健康に良いことをしようとか、病気を治そうとか、なんとかしようという「努力」は、ネガティブを強化してしまう、ということです。
そもそもまじめで、勤勉で、努力家という、ネガティブな素養を持っていた。
それが理由で、こころもからだも、ネガティブに疲弊しちゃったんである。
それなのになおかつ「治す努力」をしようとしてしまう。
ネガティブなエネルギーが原因でそうなったのに、またネガティブな方法論をブチ込む。
この自己矛盾。
なぜこうなってしまうかというと、とてもかんたんです。
バカとかではないです。
努力中毒なのだ。
努力は良いものであるという洗脳を受けて、どっぷりハマってしまった。
努力すれば、きっと成果が得られるという、努力カルト教に、汚染されてしまったのです。
イチロー選手も言っています。
「努力が報われるとは限らない。もっといえば、努力と感じている状態はまずいです。」
おそらくこれが「真理」だと思います。
努力というのは、良いとか悪いとかのまえに「報われるかどうか不明なしろもの」である。
だから努力をするときには、もう見返りなんか期待してはならない。
努力の結果に成果が現れなくても、なにひとつ不思議ではないからです。
それなのに、まじめなひとは、こう思う。
「こんなに努力をしているのに、結果が出ないなんて、おかしい!」
いいや。 おかしいのは、おまえのアタマだっつーのっ!
努力なんて、成果が出ないほうが、むしろあたりまえなんだから。
「努力カルト教」に、きょう、脱退届を提出しよう。
より良いのは、努力なんかじゃなくて、「好きなことをする」ということなんだと思います。
好きなことなら、見返りがなくたって、何なら損をしたって、失敗したって、続けることができるから。
そもそも話、見返りのためにがんばるなんて、人間が小さすぎますよね。
「こんなに頑張ったのに……」
なんて、いつまでもガキみてぇなこと言ってんじゃねえよなあ。
努力に成果を求めるなんて、それじたいがすでに、神経症的要求だ。
ちなみに、ヒトという生き物は、そもそも意志がとても弱いのだそうです。
不自然なことをしているから、疲れるんでしょうね。
ヒトが強い意志を継続的に発揮できるのは「好きなことをしている」「愛の感情があるとき」だけなのだそうです。