ネットでけっこうよく見る記事があります。
”スーパーネズミ”は、なぜ死んだ?ー残業代ゼロは過労死促進法であるー
https://news.yahoo.co.jp/byline/kawaikaoru/20140423-00034736/
大本は「日経ビジネスオンライン」に掲載されていたようですが、現在は掲載されていません。
ぼくは個人的に、これは捏造記事ではないかと考えています。
記事によると、ネズミで過労に関する実験をした、ということです。
1日に30分泳がせるという、ネズミにとってはかなり過酷な試練を、連日与えるというもの。
<1日目>
水槽で30分泳ぎ続けると、その後ネズミは疲れ果てた様子でぐったり寝てしまい1時間ほど起きてこなかった。
<2日目>
この日も初日同様、仕事のあとは1時間程度、寝入ってしまった。
<3日目>
ネズミの行動に変化が起きる。仕事後は初日、2日目と同じように寝てしまうのだが、40分程度で起き上がり、1週間たつと、寝るには寝るが睡眠時間はわずか5分と急激に減少した。
<10日目>
30分泳ぎ続けるという過酷な“労働”を終えたネズミは、寝ることもなく平然と動き始めたのである。10日間過重労働を経験することで、過酷な労働に耐えられる“スーパーネズミ”が誕生してしまったのである。
上記の結果について、記事ではこう書かれています。
「へ~、ネズミも鍛えられるんだね」などと解釈しては大間違い。
“スーパーネズミ”は、何も泳ぎ続けたことで筋力がついたとか、体力がついたことで誕生したんじゃない。そうではなく、脳の中にある「疲れの見張り番」と呼ばれる、危険な状態になることを防いで安全装置の働きをする部分が機能しなくなった結果、誕生したのである。
一瞬「ほお! なるほど!」と、思いますよね。
強くなったのではなくて、「疲れセンサー」がバカになったので、疲れを感じなくなっただけだ、と。
確かにいわゆる「過労死」と、システム的に似ている気がします。
しかしどうも腑に落ちないのです。
前頭葉だの脳幹だのセロトニンだの、疲労のメカニズムを医学的に説明してくれてはいるけれど、肝心な部分が書かれていない。
それでそのネズミは、その後どうなったんだ?
30分泳いでも平気になったネズミは、結局寿命が縮んだのか、病気とかしたのか。
その肝心なところが、書かれていないのです。
もしとくに寿命の差が有意でなかったら、結論は真逆になってしましまうのです。
「継続は力なり」の科学的証明であり、進化論の正しさを後押しするものにもなりえます。
しかるに、最も肝心の部分を書かずにおいて、
「鍛えられたのではない。疲労センサーがバカになったのである。気をつけろ」
と、言われてもなあ……。
なんじゃ、この記事は。
申し訳ないけど、働き方改革法案に反対したいがための、ただのプロパガンダ記事に見えてしまいます。
出展がどの論文なのかも記載されていなくて、それも怪しい。
疲労って、難しいです。
好きなことなら全然疲れない。……と思ったら、じつは全然そんなことなくて、ただ「体力の前借り」をしているだけだったりして、やりすぎたら結局好きなことでもぶっ倒れます。
これは、経験あります。
楽しい・楽しくないということだけが、問題ではないのですね。
またいっぽうで、では、つらいこと、イヤなことなら必ず疲労するのかというと、これまた、そんなことはない。
不便なほうが幸福度が高いという研究結果もあったりして、一筋縄でいくようなことではないようなのですね。
疲労というのは、どうにも「実験」というものと、相性がわるいのかもしれません。
複雑な要因で生まれる事象を単純化した条件で再現すると、無数の結論が生まれてしまう可能性があるような、気がするのです。
科学的な視点でいろいろ論ずるよりも、ここはふつうに、一般常識で考えたほうがスっと腑に落ちる気もしました。
疲れたときが、やすみどき。
休める時には、しっかり休んでおけ。
からだが疲れたら、うまいもん食え。
こころが疲れたら、きれいな景色を見ろ。
生物はたぶん、かなり過酷なことにでも耐えられるようにはできているんだと思います。
それを超えてまで過剰にやり続けてしまうのが、「疲れセンサーの故障だ」というのも、確かにそうかもしれない、とは思います。
疲れセンサーが故障する原因じたいが、疲労のせいだったりするとも、思います。
働き方改革、休む方法を云々するまえに、「なぜ生きるのか」「生きるとはなにか」「労働とはなにか」という哲学的なことが、重要な気もしますね。
信仰心の少ないひとほど、疲労を感じやすいという話も聞いたことがあります。
哲学がないから、疲れに負けてしまうというのも、あるのかもしれませんね。