めずらしく、大声で怒鳴って怒ってしまいました。
風邪は治ったと思ったけど、まだ本調子ではないのですかね。
そのせいかまた熱が上がって、腹の痛みも少し戻ってしまいました。
父と言い合いになってしまったんです。
もともと一軒家に一人暮らしだったのですが、10年ほど前から、一緒に住むようになりました。
パニック障害で苦しんでいるぼくを気遣ってというのもありましたが、両親が元住んでいたマンションで揉め事のようなものもあり、また都心のマンションで空気が汚れているせいで、父は何度も肺炎にかかっていたというのもあります。
ぼくの家は、ちょっと不便なところにあるけれど、空気はかなり綺麗なのです。
もともと両親とは仲がよいのですよ。
しかしどうも、父はけっこうストレスを抱えていたようなのです。
ぼくは病み上がりのためシラフでしたが、父は酒を飲みながらこんなことを言うのです。
「ワシらももう、長くない。お前いったい、どうするつもりだ」
両親は80歳なので、そんなこともよく言うのです。
「どうするつもりか」というのはつまり、病気のことと、再婚するつもりはないのか、ということです。
ぼくはパニック障害をこじらせて、外出ができなくなってしまっています。
それに仕事が忙しく、女を追いかけているヒマなどないというのもあり、結婚云々については当面の課題としては考えていませんでした。
・お前のメシを作ってやっているが、俺が死んだらどうするつもりだ
・親を安心させるために結婚をするというのも考えろ
・娘を同居させているけれど、しつけや教育はどうなっているのか
・いつになったらカネで楽をさせてくれるのだ
・お前のせいでこちらは迷惑を被っている
普段はそんなことは絶対に言わない父ですが、お酒が入るとたまにスイッチが入って、そういうことを言うことがあります。
いつもぼくは「悪いなあ、病気が治ったらなんとかなると思うから、もう少し待ってくれ」などといってお茶をにごしていました。
普段なら、まあ半分冗談交じり的な感じもあるので、早々に別の話題になるのですが今日はそうではなかった。
日頃から溜まっていた鬱憤を、この場で一気に吐き出そうということのようです。
30分、1時間、ずっとその話を、シラフのまま聞いていました。
そしてぼくは申し訳ない、心配かけてすまないと、謝っていました。
申し訳ないとは実際思っていましたが、正直なところでいくと、腑に落ちないところもあります。
父は「お前のために同居してやっている」というのですが、ぼくは一度だって、それをお願いしたことはありません。
それに、そもそも同居の理由には両親の都合も確かにあったのです。
光熱費は自分たちが払うからおまえは家賃(住宅ローン)を払ってくれればそれでいい、メシはこっちで作ろう、そんな感じの共同生活はどうだと持ちかけてきたのは、両親のほうだったのです。
当時、ぼくは正直、迷ったのです。
せっかく一軒家で広々と生活をしていて、たまに友人など呼んで家飲みとかしたり、そこそこ楽しかったし、ガールフレンドもよく家に来ていました。
両親と同居となると、当然そんな自由も効かなくなります。
しかし両親も困っていると言うし、ぼくは一人っ子で唯一の肉親でもあるから、最後の時間を一緒に暮らすというのは、親孝行かもしれない。
パニック障害などというヘンな病気のせいで心配もかけているし、一緒に暮らせば彼らも少しは安心するかもしれない。
もしかして、いまのことろでトラブルがあったというのも、ぼくを安心させる口実かもしれない。
そんなことも思って、結局同居を了承しました。
引っ越しが終わったあとは、両親にちょっと高価な茶道用茶碗をプレゼントして、これからお互いよろしくと、ふたたび「家族」として同居が始まったのでした。
なので、明らかに一方的にぼくの都合によって損害を受けている、そいうふうに言われると、すこし気分がわるいところはあります。
しかしお酒を飲んでのことだし、父にもストレスがあるだろうし、辛抱して説明し、謝罪をするのでした。
しかし今日は、ぼくも病み上がりでセーブが効かなかったのでしょう。
ある一言でぼくは「初めて」といってもいいぐらい、キレてしまいました。
父「お前と、お前の娘の面倒を、いつまで見ればいいのか、その病気はいつ治るのか」
ぼく「いつ治るかと言われても、もう10年以上も戦っているけれど、まだ完全じゃないんだ。それにそんなに大変だというのなら、おれと娘が出ていこうか」
父「そんなことより、治るのは来年なのか再来年なのか? そのへんをハッキリさせてくれなければ、どうしようもないじゃないか!
治す努力をいているというが、治っていないのなら、努力していないのと同じだろう。
俺はもう、耐えられないぞ、ほんとうはずっと腹が立っていたんだ!
本来なら、お前が俺たちを楽させてくれるはずなのに、俺たちがおまえの飯を作ったりして、面倒をみている。
もう、いい加減にしてくれ!
先のことをちゃんと考えているのか、おれたちのことを、少しでも考えたことがあるのか!」
父は「自分が吐いた言葉によってさらに激昂する」という、酔っぱらい特有の展開になっていきます。
それはわかっていたのですが、温厚なぼくも、さすがにここでキレた。
治る時期がわかるなら、
こんな苦労をするもんか!
ふだんから、両親は、とにかく親族への愚痴が多いのです。
「親切にしてあげたのに、裏切られた」
というようなことを、しょっちゅういいます。
だから親戚との付き合いは、一切ありません。
親戚の数は非常に多いほうなのに、すべての親戚づきあいを、きれいにやめてしまったのです。
親戚に対する愚痴を、ぼくはいつも聞かされてきました。
こどもの頃から、ずっと、ずっと。
今回の件も、似たようなものです。
善意でしたことなのに、わかってくれない、うまくいかない。
また、このロジックです。
ぼくも頭に血が登ってとうとう、言ってしまったのです。
あなたたちは、いつもじぶんたちの親族のことをひどく悪くいうが、どうして親族と仲良くできないか、その理由を今教えてやる。
じぶんが思っていることは、きっと相手も理解してくれるなどと、甘ったれた根性を持っているからだ。
今に始まったことじゃない、もう30年40年も前からだ。
実際には、人は、人のことをほんとうに理解することなんかできない。
その証拠に、あなたは、あなたの息子の苦しみさえも理解できていないし、何を言えば傷つくかも知らない。
頼んでもいないことをおせっかいして、その苦労を助けると申し出ても拒み、結局最後の最後にこのように悪態をつき、人のこころを傷つける。
そんなことを、なんども、なんども、繰り返している。
すべきことをしているからといって、相手を傷つけて良いということにはならない。
あなたたちは、善意でしてあげたことに対して、相手がお礼を言わないといって、悪口を言って、付き合いを拒否する。
気に食わないからと言ってすぐに門戸を閉ざして、会うことさえ拒否する。
自分は正しく、ひとは間違っていると、いつもいう。
見返りを期待して行う親切は、親切とは言わない。取引だ。
うちに、お客さんが来たことがあるか?
なぜ来ないか、これが理由だ。親切ではなく、取引をしているからだ。
おれの友人もみな、うちに来なくなってしまった。
人を家に呼んでほしくないと、いうからだ。
あなたたちが長い時間をかけて親戚との縁をすべてぶった切ってくれたおかげで、あなたたちが死ねば、一人っ子のぼくは、天涯孤独になる。
あなたたちこそ、じぶんたちがしてきたことの帰結と、子孫の将来を考えたことはあるのか。
ぼくは家を飛び出しました。
せっかく下がっていた熱も、37.6度まで戻り、腹痛も復活し、発作さえ出かけました。
それでも悔しいのと、結局は10年同居して日頃の努力を伝えていてもわかってもらえていなかったんだというハートブレイクと、じぶんの不甲斐なさで、家にじっとしていることができなかったのです。
公園に行き、ひとりでブランコをこいで、頭を冷やしました。
夜の公演なんてロマンチックだし、景色も綺麗だけど、もうどうでも良かった。
しばらく黙想をして、思いました。
親父が間違っているわけではない。
そうなのです。
人は人を、根源的に理解することはできないのですから。
パニック障害の苦しみは、家族とさえも、共有することはできないし、理解してもらえることはない。
これはたぶん、どんな病気でも、おなじだ。
そして、ぼくはぼくで、親父のことを理解していない。
理解していないから、こうして声を荒げた。
人と人とは、そうしたものなんだ。
そして、ぼくは父に、父はぼくに甘えているからこそ、ケンカになる。
言い合いができるということは、こころとこころの距離が、近いからだ。
ほんとうに嫌いだったり、まったく縁のないひととは、言い合いさえ、することはない。
そして、こうも思いました。
病気に甘えているところは、確かにある。
親父のことばを、「理解してもらえていない」と思えば、腹も立つ。
だがぼくはぼくでじぶんの体調ばかり心配して、両親が健康なことに甘えて、あまり気を配ってこなかったことも事実。
「客観的視点」だと気づけば、正直つらいけれど、怒ることでもない。
いやなことを言ってくれるのは、親ならではです。
赤の他人は、優しいことばかりいう。
甘いことを言って、かばってあげることだけが、やさしさではない。
ときには突き放し、傷つけることも、やさしさだ。
そもそもぼくがパニック障害を悪化させ、外出恐怖になってしまったのは、「親父を安心させたい」という気持ちから出た行動でした。
3年前、パニック障害を抱えながら個人事業でWebデザイナーをしていましたが、思うように売上が上がりませんでした。
息子がこんな感じなら、同居の親父も、さぞかし心配だろう。
そう思って、ちょうど募集のあったある自治体に、嘱託で働くことにしたのです。
公務員という肩書があれば、親父も安心するだろう。
そんなことも考えました。
しかし勤め出したものの、それまで10年近く続けていたWebデザインをすぐにやめるわけにもいきません。
そして間の悪いことに、こんなときに限って、たくさん発注が来たりするのです。
平日は9時〜5時で役所で仕事をし、夜と土日はWebデザインの仕事、そんな二足のわらじになりました。
そんな生活を送っていると、1年もまたずして、ぼくはもう電車にさえ乗れなくなってしまったのです。
親父の期待に応えようとすることで、悪化していく。
これは、親父がわるいのではありません。
ぼくのこころに「迷い」と「親孝行への執着」があったからです。
まだちゃんと、開き直れていなかった。
病気でも、できることはいくらでもある。
パニック障害だからといって、負けている場合ではない。逃げている場合ではない。
それなのに、今やっている仕事に不安をかかえ、集中せず、浮気して安定を求めた。
それに何より、親父を安心させるために生きていって、どうするか。
親父が死んだら、心の支えを失うことになる。
ぼくはぼくで、ぼくの人生を歩む。
そこにたまたま、病気という飾り物があるだけだ。
親父がわるいのではない。
おれがわるいのでもない。
よい、わるい、じゃない。
今からなにをするか、どこへ向かうかが、いちばんだいじなことだ。
計画を、たてよう。
そうするべきだとか、そうあるべきだとかじゃなく、「どうしてもしたい」と思うことで、計画をたてよう。
ひとつ、思いついた。
というか、思い出した。
ほんとうにしたかったことは、家で働くことじゃなくて、シャバを飛び回ることだった。
もういちど、親離れをするんだ。
もっと稼いで、この家は、両親にプレゼントしよう。
そしてぼくが、出ていこう。
へたに居場所があるからこそ、家に居着いてしまうというのはある。
ぼくは世界を、もとめてる。
幼少の頃、ぼくは両親に言ったそうなのです。
ぼくは大きくなったら、おとうさんとおかあさんに、一軒家を買ってあげるよ。
その時期が、そろそろやって来るのかもしれない。
人生に、締切なんてない。
でも締切がなければ、あっという間に日々は過ぎていく。
きょうのことは、神仏からのアラートだ、きっと。
家に帰って、親父に謝りました。
「ごめんな。やっぱ風邪ちゃんと治ってなかったみたいで、ついイラっとしてしまった。申し訳ない。親父のいうことはたぶんわかったから、またゆっくり考えてみるよ」
親父は、
「・・・お、おう・・・」
と、最近すこし丸くなってきた背中で、返事をしました。
ぼくは、決めた。
病気をいいわけにしない。
あるいみ、気合が入った。
家から出られないと悩んでいたくせに、
家から出ていこうと、強く思えた。
そして目標ができたら、なんだか気分があかるくなってきた。
今日の件は、親父の愚痴でも、ましてや呪いでもない。
親父の愛と、祝福だ。
親父があんなことを言えたのは「こんなことぐらいで凹むような息子ではない」ということを、よく知っていたからです。
長い付き合いですからね。