都市と田舎の終わりなき抗争

先日から「親父に心ない中傷を受け、激怒してしまった」という件をたくさん書いてきましたが、けさフトあることに気がついて、すっかり氷解しました。

もうまったく、以前とかわりなく、親父と接することができます。

 

親父は、自分が激昂していることについて、「もう先が長くないから」ということを主たる理由にしていましたが、おそらくこれは核ではなかったのです。

親父もストレスを抱えていた。

それは、自分の妻すなわち、ぼくの母親のストレスが、最初の原因です。

母親のストレスが父親にまで伝染し、爆発した。

ここが、ポイントです。

 

簡潔にいうと、ぼくの両親、とくに母親は、ぼくの娘に対して、モヤモヤを抱えているのです。

どうも娘の欠点ばかりが目に留まって、ああさせたほうがいいのではないか、こうさせたほうがいいのではないか。

そんなことばかり、気になってしまうのです。

もちろん嫌いとかではなく、孫娘ですし、とても可愛いとは思っているのです。

なのに、どうしても「なんか、合わない」感覚が拭いされないようなのです。

そしてそんな感覚を娘も感じ取るのでしょう、とくにぼくの母親とは会話さえしません。

険悪というほどでもないですが、なにか、壁のようなものをお互い作ってしまっています。

 

そんへんのストレスが、まわりまわって、親父を介してぼくの方面に向かって爆発した。

そんな感じだったのです。

 

さて、では、これはどういうことなのか。

この奇妙な状態を表面的に解釈していると、たぶん回答が出ない。

ぼくは気がついたんです。

これは、都市と田舎の終わりなき抗争だ

 

ぼくの父は四国のクソ田舎でうまれ育ち、母は九州の、これまたクソ田舎で生まれ育ちました。

その二人が成人してから田舎をとびだし、神戸の三宮という、関西でも屈指の大都会で出会うという奇跡をなしとげ、ぼくが生まれた。

ぼくは生まれたときから神戸の三宮〜元町で遊んでいて、一応シティボーイなわけです。

ただぼくには色濃く田舎の血も流れているわけで、いわば「都市と田舎のハーフ」ということになります。

ぼくは四国弁、関西弁、九州弁が入り混じった独特のイントネーションでしゃべることがあります。

だからたまに「沖縄か、どこかのひとですか」と言われることもある。

だから、神戸のシティボーイだっつーの。

 

さて、そんな両親は、ぼくからすれば、とても人嫌いに見えます。

ひじょうに人の好き嫌いが激しい。

両親は田舎から出てきて、結局都会になじめなかったのです。

ステレオタイプな、こんな言いまわしがありますね。

東京のひとたちは、つめたい

もちろんこれは、田舎者の目線からの物言いです。

つまり、田舎者からすると、都会のひとたちは冷酷で不親切な生き物に見える、というアレです。

両親によれば、これはかなり的を射ているようで、都会の人が何を考えているかサッパリわからなくて、戸惑うのだそうです。

ぼくの両親があらゆる人間関係をぶった切っていったのには、この件が背景にある。

結局両親は、都会と折り合いがつかなかった。

だからたまに、いうのです。

「山奥にでも引っ越そうかな」

 

しかし「東京(都会)のひとたちはつめたい」というのは、大いなるまちがいです。

ぼくからすれば、東京のひとたちは、とても人懐こくて、親切で、おおらかな人が多い。面白いひとも多い。

江戸っ子気質とでもいうのでしょうか、一見つっけんどんな感じでもほんとうはあったかくて、なによりもスカっとしている。

ケンカしてもすぐ仲直りできるような、そんな気風のよさもある。しつこくないのです。いわば、陽性。

東京だけでなく、大阪も、京都も、神戸も、名古屋も(これらの地域でぼくは営業をしていました)、もちろんそれぞれ特性は違いますが、都会の人たちには、やっぱり似たところがあります。

共通点は、人慣れをしているということ。

 

都会には、ひじょうに多くのひとが住んでいます。

また数だけでなく、それぞれの人の価値観や文化、歴史もさまざまで、多種多様なひとが同じエリアで過ごします。

そのなかで調和をとろうと思ったら、適度な距離感というものが、とても重要になってきます。

だから「お節介」というのは、あまり無理にはしなくなる傾向があります。

こちらが良かれと思ってした親切が、必ずしも相手を喜ばせるとは限りません。

それどころか、親切でやったつもりなのに、相手はひどく傷ついてしまった、ということさえありえます。

だから無理にお節介はしませんし、無理な接近も行わないというのが、どうしても原則になります。

ただし、これは冷酷や無情、無関心だからではなく、相手を気遣ってのことなのです。

なので「助けてほしい」と素直に言えば、じつは都会っ子というのは「待ってました」とばかり、親切にしてくれることも多いのです。

ほんとうは、だれでも人に、やさしくしたいのです。

 

しかし田舎者には、都会人の特性がときに「冷酷」に見えてしまう。

田舎というのは、基本的に同一の文化、同一の価値観を持つ人たちで構成されることが多いです。

だから、とてもすなおに、人に親切をします。

むしろ、そうすることには「儀礼」のような側面さえあり、お節介をすることは義務のひとつともいる感さえあります。

田舎のおばあちゃんの家に行くと、ハクサイだのぶどうだのを、頼んでもいないのにいっぱいくれることがありますよね。

これをして都会のひとは「田舎の人って、やさしいな」と思ういっぽうで、じつは「お節介だな」「迷惑だな」と思うことも正直あります。

困るんですよね、荷物が重くなってしまうから。

それでも田舎のひとは、おかまいなしです。

 

「田舎のひとは、やさしくて、あったかい」

これは、必ずしも正確ではありません。

むしろ人間の本質をそのまますなおに持ち続けているために、都会の人よりもより冷酷で、より残酷で、身勝手で、拒否感がつよく、頑固で、自己中心的なとことがあるのは事実です。

村八分に代表されるように、異文化や異質なものへのアレルギー反応も、都会の比ではありません。

じつは、田舎者のほうが怒りを溜め込みがちで、腹黒い。

ぼくはパニック障害で離婚をしましたが、両親はそのことを九州、四国それぞれの田舎に、「いまだに隠している」。

恥、なんだそうです。

何が理由でそうなったか、ということなんか、どうだっていい。

ただ「離婚は悪いこと」「恥ずかしいこと」なのです。

ね? 「冷酷」でしょう?

血統を重視し、ほんとうにやさしい気持ちがあるのなら、正直に離婚を報告した者には、何らかの助けの手をさしのべるのが本来的ではないでしょうか。

しかるに田舎者は「出ていったもの」「掟を守らなかったもの」を、まるで秘密結社かマフィアかのごとく、冷酷に切り捨てる。

 

田舎の人はやさしくて、都会のひとはつめたい。

これは、完全なる勘違いです。

文化的に違うところも確かにあるけど、同じヒトなんだから、いやなことを言えば怒るし、褒めれば喜ぶ、きちんとわかりやすく説明すれば、納得する。

 

むしろ都会の人こそ、田舎者を「包み込む」余地を持っています。人に、慣れているから。

だから、都会において田舎者が孤立するのは、じつは田舎者のほうに、大いなる原因があることのほうが多いです。

かたくなに、こころを開こうとしないのです。

自己の持つ価値観に異様に拘泥し、おまえたちのほうがおかしい、そんな考えを、捨て去ることができません。

なんど拒絶されようがお節介をし、期待通りの反応が得られないたびに「あいつはおかしい、あいつは冷たい、あいつは非常識だ」と考える。

そして、その考えを変更したり再解釈したりすることも、できない。

相手の気持ちをきちんと汲み取れていないのは、じつは田舎者のほうだったりします。

「世界には、はちきれんばかりの多様性がある」ということを、どうしても根っこから理解できないのです。

 

ぼくは家によく友人を呼びます。

両親は、なんとぼくの友人にまで、好き嫌いがあるのです。

そして衝撃的なことで、両親はぼくの友人を、基本的に「全員嫌い」です。

まあ、嫌いというか、正確に言えば異様に気をつかうから疲れるというのと、「なんか、合わない」と感じている。

ただし、例外が一人だけいました。

鳥取からきた、田舎者の代表のような友人が一人います。

仮にそれをKくんとすると、両親は、

「またKくんをうちに呼んでよ。あの子は、ほんとにいい子だ」

そしてKくんのほうも、「おまえの両親は、いいなあ! なんか、じぶんの両親と話しているみたいで、落ち着くわ〜〜」

なのです。

ぼくからすれば、ぼくのともだちは、みんな「ええやつ」です。

ええやつだと思うから友達だし、家にさえ呼ぶ。

Kくんのいったいどこが、ほかの友達と違うというのだろう?

なーんのことはない。

「田舎者同士、感じるものがあった」

のです。

そういえば、都会の悪口を、Kくんと両親はうれしそうに話していたなあ。

そのKくんは、やはり都会になじめなかったのでしょうか、その後ウツ病になって入院してしまいました。

ぼくによく、こぼしていました。

「おれは田舎者なので、みんなが考えていることが、よくわからない」

いまはもう退院して、元気にしているそうです。

 

ちなみにぼくは「都市と田舎のハーフ」なので、田舎者にも、都会っ子にも、友人が多いです。

なぜかぼくは、田舎者のひとに、とても好かれるのです。

ぼくの半分に、なにか感じるところがあるのでしょうね。

それに田舎者に対する対応というのを、無意識に行っているのかもしれません。

 

さて、ぼくの娘は「生まれながらの大阪っ子」です。コテコテです。

そして娘の母方のおばあちゃんつまり、離婚した嫁さんのお母さんは、かなりの田舎者。

聞けばどうも、母方のおばあちゃんも、娘に対してあまり良くない感情を持っているようです。

ぼくの両親と、まったく同じようなことを言う。

そしていっぽう、ぼくと娘は、「合う」。

なんの違和感も、ありません。

価値観がよく似ているし、娘のことについて、ぼくは何ら違和感を感じません。

 

ていうか、娘は自力で「返さなくてもいいほう」の奨学金を獲得してきました。

親に負担をかけず、予備校にさえ行かず、けっこういい大学に行ってしまうなんて、素直にすごいなあ、えらいなあと思います。

非行に走ることもなく、それなりに友人も多く、それなりに仲良くやっています。

大学生になったからといって急に学校をサボったり、「デビュー」して男漁りをするということもなく、きちんと授業に出ています。

飲み会があっても「未成年なので」といって絶対酒はのまず、無断外泊も一切ありません。

将来のこともある程度考えていて、最近はぼくの仕事も手伝うと言ってくれています。

とても、とても、いい娘なのです。

ぼくの子としては、はっきり言って、できすぎでもある。

 

なのに、僕の両親は、いう。

・あの子は何を考えているかわからない
・人の気持ちをわかっていない
・女性として欠落している素養がある
・冷酷で、無感情だ
・ひとを思いやる気持ちが、さらさらない
・ 将来、きっと後悔することになる
・とにかく、あの子とは、合わない

うんぬん、うんぬん。

 

これを「老人ならではの心配性だ」とか、「世代間の齟齬だ」とかいうふうに考えると、話がややこしくなる。

ましてや「それぞれの性格」などという、汎用性のない独自条件までぶち込むと、カオス状態になります。

 

ぼくも最初は、悩んだのです。

まあ、両親のいうことも、的外れとは、いえないところはある。

しかしどうして両親は、あの子の「とても、すぐれたところ」は一切見ようとせず、「欠けているところ」「足りないところ」ばかり、指摘するのだろう。

自力で奨学金を獲得し、優秀な大学へ合格したことは、もっともっと称賛してあげてもいいことなのではないか。

ぼくはパニック障害で収入が少ない時期があり、そのときに、娘は奨学金を獲得してくれたのです。

もしそれがなかったら、彼女は大学へ行けなかったかもしれないし、無理して進学させていたら、ぼくが大変な苦労をする可能性があった。

彼女にとってもよかったし、ぼくにとっても良かった。これは、すばらしいことではないですか。

もちろん、成績優秀で奨学金を取得すれば、それが免罪符となってすべての欠点を補えるということではありません。

しかしまじめに学校へ言っていること、わるいことをしていないこと、ちゃんと将来も考えていることなど、いろいろ美点はあります。

奨学金はとったが、それ以外の生活はクズで全くクソビッチで犯罪者である、ということではないのです。

それに何より、娘はまだまだ大学1年生、酒も飲めない未成年です。

「女性としての云々」というのは、それこそ今からじっくり身につけていけば良いことですし、人の気持ちやコニュニケーション能力は、親や親族が教えるものではなく「世間様に教えてもらう」ものです。

たせいつなのは、いますべきことを、きちんとしているかどうか。

彼女は学生、それも自分で学びたいという学問を学びにいった。

それならばいまは、勉学をきちんとしていれば、まずは80点、それでいいではないか。

何をいまから、先の心配をしているのだろう。

そもそもの話として、欠点がない人間など、この世に存在しない。

 

ぼくには、娘のふたりのおばあちゃんたちが、いったいどこを孫娘の成長のゴールに設定しているのか、さっぱりわかりません。

完全無欠のスーパーウーマンにでも、仕上げたいのでしょうか。

おれ、そんな娘いらねえわ。逆にきもちわるいし。

ていうか、じぶんのおまんこから出てきたものの子が、そんなにすげー奴なわけねーだろ。

じぶんの遺伝子を、どこまで過信しとるんじゃ。

犯罪さえやらなければ80点。それでいいんじゃない?

 

非常に解せなかったのですが、スカーと晴れた。

あの子の将来が心配だの、人間的な、あるいは女性としての素養だの、いろいろと屁理屈をこね回しているが、なんのことんはない。

これはいつもの、

都会と田舎の終わりなき抗争劇

の一部だったんだ。

時代にも、都会にも、なじめなかった両親たちの葛藤。

それがかたちを変えて、不安という反応にすりかわっただけ。

だから、安心してよい。

「孫娘がかわいい」

これは、消えていないのですもの。

 

このたびの、ぼくとオヤジの親子げんか(というか言い合い)にも、ベースには「都会と田舎の抗争」がひそんでいます。

都市型の病気の代表格でもある「パニック障害」なんて、おそらくまったく、理解ができないでしょう。

ぼくがじぶんの娘に違和感をまったく感じないということも、理解ができないはずです。

理解せよというほうが、無理な話なのです。

田舎者というのは、もはやほとんど、言葉の通じない外国人と同じ。

こちらの文化や考え方は、あたまではわかっても、こころでは理解できないことが多い。

 

こうなれば、ぼくの役目は、とても明確です。

ぼくは、都市と田舎のハーフだ。

だから、両親にも嫌われず、娘からも嫌われていない(いまのところ、たぶん)。

ぼくがすべきことは、「都市と田舎をつなぐこと。

ぼくは、ハイウェイ・バスだ。

 

お互いに、明確な敵意がわるわけではない。

お互いに、具体的な損害を与えたわけでもない。

お互いに、ただのヒトである。

ぼくは、両者の気持ちの翻訳者になればいい。

根っこに敵意があれば難しいが、ただの翻訳なら、なんということはない。楽なしごとだ。

 

そして、娘が都会でより洗練され、異質なものへの懐が広がってきたら、じいじとばあばがなぜそうだったかも、いずれ理解ができることだろう。

ぼくよりも都市型だし、賢い子だから、まちがいない。

翻訳と、待つこと。

それがまずは、ぼくのしごとだ。

 

先のことを心配して悩んだり怒ったりするなんて、ばかみたいだからな。

あしたの天気も、10年後のダウ平均株価もよくわかんないくせに、子どもや孫の将来を心配する資格なんてない。

 

……なんてことは、ぼくは両親には言わないよ。

田舎者にそれを言うと「キレる」から。

心配は正義

心配は愛のあかし

これもまた、田舎者独特の価値観であり、信条なのです。

 

だからそれを「ばかものがすることだ」というと、マジギレする。

気をつけろ!

 

 

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