怒るのも罪、怒らせるのも罪

ほんとに、もう、わかりました。

ごめんなさい。

 

っていうぐらい、参ってます。

せっかく治りかけてたんですよね、風邪。

まあ、風邪かどうかわからないけど、とにかく熱と腹痛があって、先週末にはもう、ほとんど治っていたんです。

これはもう、あと1日でまず間違いなく治るな、そう確信していました。

 

しかし。

 

ちょっとつまらないことで、激怒してしまったんですね。

それはもう、近年まれにみる激怒で、その日の夜はワナワナふるえて、ほとんど眠ることができなかったぐらいです。

たぶんうまれてこのかた、こんなに怒ったことないんじゃないか、ぐらいでした。

まあ、風邪で体力もおちていたし、そういうのも関係あるのかもしれませんが。

 

ほんとにね、怒ったら、ダメ。

せっかく治りかけていたのに、バッチリぶりかえしてしまいましたよ。

熱の方は、むしろヒドくなっているぐらいかもしれません。

 

ヨガなんかでも、殺してはいけない、盗んではいけない、などという戒律がありますけれども、ぼくはこれにぜひ「怒らせるな」というのを、明示的に追加してほしいぐらいです。

まあ、人を怒らせるのはだいたいことばの暴力だから「非暴力」にあてはまるんでしょうけど。

ただ最近は暴力をふるうというのはあまりないと思うから、「怒らせるな」に変えてもいいんじゃないかとは思う。

 

ふだんから、イライラすることはあっても「激怒する」なんてことはほとんどない性格なので、びっくりしました。

「怒りの効用」に。

こんなに、強烈なんですねえ。

そりゃあこんなもん、病気するし、寿命も縮むわ。

あるいみ、ひとを不用意に怒らせてしまうのは「傷害罪」に分類してもいいんじゃないかな、とさえ思いました。

怒りは、人を、内部から破壊する。

おそるべき兵器だ。

 

ほんと、怒らないようにしよう。

そして、怒らせないようにしよう。

 

どうして、ひとを怒らせてしまうのか。

これはもう、かんたんです。

「情けがない」からですね。

相手に対して情けが少しでもあれば、イラっとさせるぐらいなことはあっても、激怒させることにはならないと思います。

相手の気持ちや置かれている状況、そんなのを鑑みず、思っていることをペラペラペラペラしゃべってると、怒らせてしまう。

自己中心的なものの考え方をしていると、ひとを激怒させる確率が、ぐっと上がりますね。

 

そして、どうして、怒ってしまうのか。

それは「過度な期待」だと思います。

相手に、神経症的な要求をしているから。

わかってくれるだろう、わかってくれて当然、こうしてくれてあたりまえ、ああしてくれるべき。

そんな神経症的・妄想的要求をしているから、裏切られたときに、激怒する。

んなもん、わかってくれるかっつーの! ナメんな!

だれでもみんな、じぶんのことで、せいいっぱいなんだ。

ときには期待に答えてくれないことがあって、あたりまえですよね。

 

過度な期待はしない。

相手を変えようとしない。

ひとには、情けを。

この3点セットで、かなり「激怒」は、避けられるように思いました。

 

もう、怒らない。

こんなになるんだったら、マジで割に合いませんわ。

怒ったって、結局なーんの解決にもならんし。

よけいに、生きにくくなるし。

からだ壊すし。

ほんと、怒りって、ろくなことないですね。

こんなもん、削除、削除だ。

 

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