いちおうIT関連の仕事なので、パソコンはデュアルディスプレイにしています。
21.5inchのiMacに、21インチの4Kディスプレイをつないでいます。
しかしこのたび、このデュアルディスプレイ環境をやめてしまうことにしました。
マルチディスプレイというのは、とても効率が良いのです。
サブ側でブラウザを開いておいて、メイン側でエディタとかデザインツールを開いておく。
そうすれば修正とほぼ同時に確認ができるわけで、とても具合がいいです。
また資料なんかもサブで開いておけば、コピペ作業もずいぶん楽。
効率、という点でいけば、マルチディスプレイはまちがいなく良いと思います。
しかしネット上などでは「マルチディスプレイは意外と効率的ではない」という話が出たりすることもあります。
https://samnotes.net/away-from-multi-display
https://www.lifehacker.jp/2017/10/171010-ditch-the-dual-displays-to-improve-your-focus.html
こういった記事をよく読んでみると、要するに「マルチディスプレイは気が散る」ということのようです。
つまり、不必要なウィンドウを開いてしまうために注意力が散漫になり、効率化を妨げることがある、と。
多くの人が、Youtubeなど仕事と無関係なウィンドウをサブディスプレイに表示していたりすることもあるようです。
よって気が散って、効率が悪化する。
なるほど、そういうことならば、非効率ということもうなずけます。
しかしぼくは、そういう使い方はしないのです。
YoutubeやTwitter、ニコ動、iTunesなど、仕事と関係ないウィンドウは一切開きません。
なんなら、音楽さえかけません。気が散るから。
だからぼくは、とても意外だったのです。
「そうなのか。世の中の人というのは、仕事しながら遊ぶのか。」
くそまじめな自分がバカみたいに思えて、そこそこショックを受けました。
もっと、ダラダラやるべきなのかなあ。
だからぼくにとっては、「気が散るから」というのは該当しません。
今回マルチディスプレイをやめたのは、あえて効率を低下させるためです。
性格的に、やりだしたら徹底的に集中してやってしまう、という欠点があります。
いや、一般的には長所ではあるのですが、この性格が災いして過労になってしまうのです。
今回、それはもうダイナミックに体調を崩してしまいまして、2週間身動きがとれなくなってしまったのでした。
慢性疲労症候群です。
マルチディスプレイには、じつは「労働的に」以下の欠点があると思うのです。
・効率が良いため、仕事を連続してやりすぎてしまう。
・前面から多くの光を受けるため、目が非常に疲れる。
・多くの情報が目から入ってくるため、脳疲労を引き起こす。
・眼の前をディスプレイで塞ぐために、精神的な圧迫感を感じる。
・顔を左右に振る必要があるため、首が必要以上に疲労する。
・便利なことに慣れてしまうと、幸福感が下がっていく。
マルチディスプレイは、
・労働効率としては抜群である。
・そのかわりに、カラダとココロに、非常に負担をかける。
ということが言えると思うのです。
「マルチディスプレイは楽で効率が良い」
とここまで書いてきましたが、じつはマルチディスプレイにしたことで「具体的にどの部分を楽だと感じているか」ということを、もう少しイヤラシく自分に詰問してみました。
自分のこころが、どのような反応をしているのか。
そうすると、楽というよりも、じつは「作業速度が高速化したという体感に満足をしている」ことがわかりました。
つまり「楽」ではなく「楽だと感じている」。
じぶんの「感覚」に、満足をしているだけなのです。
効率化についても、じつは微々たるものであったりします。
実際にストップウォッチで測ればわかることですが、実際には、体感しているほど高速化にはなっていないのです。
体感的高速化 >> 実質的高速化
むろん、少しは早くなりますが、それは「改善」と呼ぶにはあまりにも物足りない程度。
実際、マルチディスプレイの人が、シングルディスプレイの人よりも圧倒的に作業スピードが早いということはありません。
仕事が速い人は、画面数が1だろうが2だろうが、速い。
1画面でも作業が速いひとに、仕事の遅いひとが2画面で対抗しても、結局はボロ負けします。
これはどういうことかというと、「急ぐ気持ちの溜飲を下げた」ということに、過ぎないのかもしれません。
わかりやすくいえば「焦っている気持ちを慰めるためだけのもの」。
そういう意味では効果は確かにあるともいえますが、楽だ、楽だというわりには、結局肩こりも眼精疲労も改善はしません。
むしろこれらの事実から考えれば、最大の問題は「とても急いでいる」というその人の心理状態なのではないでしょうか。
これは、ストレスフルですね。
長年使っていたデュアルディスプレイ環境をやめ、シングルディスプレイにしたところ、えもいえぬ開放感を感じます。
圧迫感、焦燥感、閉塞感というものが一気に減るのです。
そして、
「おれは、あんなに嫌な感じがする環境で仕事をしていたのか」
と、ちょっと驚きを禁じ得ないところもあります。
そりゃあ、ストレスも溜まるわなあ、必要以上に疲れるわなあ。
「あえて非効率化する」
サスティナブルに物事を行う場合には、これは必要なことだと思います。
ここ数年だけ、がんばることができれば、それでいい。
あとは野となれ、山となれ。
そういったジャンボリーな決意であれば、とにかく効率化を目指すことで良いのだと思います。
しかし人間は、機械ではありません。
効率的すぎることは、逆に非効率を招く(こころが折れる)こともあるかもしれませんよね。
というか、はっきりいってマルチディスプレイで実現できる効率程度で一喜一憂していることじたいが、ダサすぎるんだと思います。
もっと根本的な部分で効率化をしないといけないのだと思います。
目指すなら、10%の効率化ではなく、10倍の効率化だ。
コピペが楽になりました。左右で同時に確認できるようになりました。
そういうのも、もちろんとっても、大事です。
でもそれは、結局現状のストラクチャ内での相対的改善にすぎません。
それ「だけ」をもってして効率化だと言うことは、すこし情けない気もします。
根本的な構造的業務改善を行わずに、小手先の効率化を行っても、それは改善とはいえない。
からだと、こころが、資本です。
ちょこざいな効率化を図るよりも、むしろ非効率化を行って、心身の健康と元気を培うほうがよほど有意義かもしれません。
マルチディスプレイをやめたことで効率が下がり、結果納期が遅れるというのなら、もうそれでいいのではないのかなあ。
納期が2日早くなったけど、そのかわりにイライラするようになりましたでは、元も子もないし。
そもそもの話、人間は「一方向からの情報」しか、まともに受けられない可能性があります。
目が2つあるのは、なにも2箇所から情報を得るためではなく、1つの対象を立体的に把握するためです。
基本的に、人間はマルチタスクに対応していない。
授業でノートをとるときに、ノートを2つも3つも開くひとはいません。
だから「複数の情報元」を目の前にチラつかせることは、想像以上に脳神経に負荷をかけている可能性もあります。
机の上には、パソコンがひとつだけ。
そのほうが机の上も広々して、スッキリします。
電気代も削減できて、環境にもいいですよね。