礼拝の時間ですよ。「五体投地」がけっこう効く

やっと熱も下がり、腹痛なども治りました。

あー、しんどかった。

何回か救急車呼ぼうかと思ったぐらい、キツかったです。

 

さて、そんなことで2週間ほとんど寝たきりみたいな感じだったので、そろそろ運動を再開したいと思っていたところです。

歩くのはもちろん、走るのもいいし、筋トレもいいし、ヨガもいいし・・・。

ただ、熱が下がり終わった時に出る、あの「口唇ヘルペス」が今は出ています。

体力が落ちている証拠なので、あまり急に強い運動はやめておこうと思います。

懲りたんだ、俺。

 

さて、ではどうしようかなあと考えていて、いいことを思いつきました。

五体投地だ!

 

カンタンにいえば、立った状態から土下座して、また立ち上がる。

そういう運動です。

いろいろやり方があるようですが、基本は以下のようなことみたいです。

 

1)立った状態で、頭の上で合掌(*1)する。

2)次に、額の前で合掌する。

3)次に、顎(のど)の前で合掌する。

4)次に、胸の前で合掌する。

5)土下座して、おでこを地面につける(*2)。

6)立ち上がって胸の前で合掌。

 

これを、繰り返していきます。

100回ぐらいやったら、ヘトヘトになれそうですね。

まずは、10回からスタートしました。

ちなみにチベットの人たちは、空気が薄く極寒の高山において、この動きかたで尺取り虫みたいに2,500kmを進むのだそうです。

お坊さんじゃないですよ。ただの一般人です。

はっきり言って、それはもう「超人」なのでは? ただただ恐れ入るばかりです。

 

*1・・・この合掌は「蓮華合掌」というのが正しいという説もあります。合掌して、両手の親指を手のひらの中に入れ込む形。

*2・・・土下座だけでなく、うつぶせに寝転んで全身をべたあっと地面につける、という方法もあるようです。

 

いわば筋トレの「サーキット・トレーニング」みたいなことですね。

全身をわりとまんべんなく使うし、血圧も乱高下するので血管も丈夫になるようです(だから高血圧のひとや心臓病のある人は、やめておいたほうがいいのかもしれません)。

自律神経も丈夫になっていくそうです。

 

もちろん、カタチだけでも効果はあると思います。

でもどうせやるのなら「祈る」というのも、セットにしたほうがいいような気もしますね。

どうも最近便利になりすぎて、神様とか仏様とかいうのを、コロっと忘れてしまいがちですもの。

なにも宗教団体に入る必要まではないと思いますが、神仏つまり、人間より高次の存在を感じるというのは、人間の本能の一種かもしれないのだそうです。

いくら文明が発達したところで人間は人間なので、こういった本能的なところを排除したり抑圧しつづけていると、なんだか神経的に問題が起きそうな気もします。

神様なんかいるもんかボケ、そう言っていられるのは、都市という城壁の中でのうのうと暮らし、意識も都市の内側で停止しているからだと思うんですよね。一種の甘え。

一歩そこから出てしまえば、世界はまったくもって人間の所有物ではなかったということが、痛いほどわかったりするそうです。

何らかの高次の力学というか、法則というか、そういったもので宇宙が動いていて、自分自身も動かされているということを直感的に感じる人もいるようです。

これはおそらく統合失調症とか神経症とかじゃなくて、「本能のめざめ」なんだと思います。

 

何も世界平和を祈るとか後生を願うとかそんな深刻なものでなくとも、1日に何回か神仏に祈るというのは、良いことのような気がしてきました。

今回2週間寝込んで、そういったことも必要なのかなと感じるようになりましたね。

生活習慣から起因する不調や病気の多くには「傲慢」が隠れています。

高潔であることと、プライドが高いのとは、ちょっとちがいます。

たまにはプライドや硬直した心をへし折って、神仏に土下座するという素直さや敬虔さを持つということが、じつは「こころの柔軟性」なのでは、と思ったりもします。

 

起きる時間、仕事の時間、ごはんの時間、遊ぶ時間、勉強する時間、お風呂の時間、寝る時間。

そういった一日の時間の中に、こっそり「礼拝の時間」があると、なんだか時間がゆったり流れる気もします。

きゅうに、生活の質がグレードアップしたような。

五体投地は本来「礼拝」ですし、良い運動にもなるので、一石二鳥かなとも思います。

 

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