パニック障害から外出恐怖・広場恐怖に至る。
これはわりとよくあることで、ぼくがまさにそうです。
2年前にとうとう電車にも乗れなくなってしまって、自営業であるぼくにとってこれは「詰んだ」も同然です。
冗談抜きで、もう自己破産して生活保護をもらうしか道がないのでは、とさえ考えました。
しかし神はぼくを見捨てなかったようで、あれこれ考え努力していくちに「外出しなくても仕事ができる」ようになっていきました。
かれこれ2年、ほとんど外出をしなくても仕事を回せる生活を送っています。
これは大変、助かります。
そういうことで、仕事と生活のほうはなんとかなりました。
さて、ではぼくの外出恐怖はどうなったか?
2年間、苦手なことから逃げて生きていくと、どうなるか。
逃げていると、外出恐怖は一切治りません。
よく、言うのですよね。
「嫌なことからは逃げたたってかまわない」
ネットのつぶやきなどで、よく見られます。
しかし、こんなものには絶対に騙されてはいけない。
このことについては、ぼくはハッキリと言えます。
「たまには逃げたほうが良いこともある」だけ。
「逃げて避けることが正しい道」ではない!
いやなこと、つらいこと、苦手なことを避けつづけると、
・「いやなこと」を、いつまでも受け入れることができなくなる。
・「つらいこと」を、いつまでもつらいことと感じたままになる。
・「苦手なこと」を、いつまでたっても克服できない。
まず具体的な結果として、何一つ改善しないし、成長もしないという現実がうまれる。
そしてもうひとつ。
むしろこれこそが、最大の問題といえるかもしれません。
幸福感が、ダダ下がりになる。
どうも幸福感というのは絶対的なことではなく、相対的なことのようなのです。
「人生」ー「いやなこと」=「幸福」
そんな安直な、減算方式ではないのですね。
「いやなこと」:「幸福」=50:50
という、比率式のほうが正しいようなのです。
つまり、いやなこと、つらいことがあるからこそ、幸福がしっかりと存在できる。
いやなこと、つらいことの存在が薄くなってしまうと、幸福も徐々に消え去っていってしまうようなのです。
一方の極に集約していくことは「死」そのものなのですね。
相反するものごとが、同時に存在してこそ、両者ははっきりと存在できる。
やっぱり結局、嫌なこと、面倒なことからは、原則逃げてはならない。
むしろ、積極的にぶち当たっていくべきだ。
もちろん、場合によっては逃げたほうがよいことや、一時的に休止することも必要だとは思います。
しかし「逃げ」を原則にしてしまうと、状況は変わらないばかりか、成長もせず、生きていくのが全くつまらなくなってしまう。
一日に二回だけ、苦手なことにアタックしよう。
個人的には、これぐらいがいちばん活力的に良いような気がしています。
「きょうは調子いいぞ! 全然怖くない! だから外出しよう」
では、あまり意味がなかったのです。
逆に「ああ、いやだ。今日は絶対に、外出しなくない。」
そういう気持ちがある時こそ、「すこしだけ出てみる」ほうが、明らかに効果があるようなのです。
「いやなこと」にアタックすると、どうなるか。
あたまのなかで記憶をもとに考えていたことや、自身の体調に「反応」していた「怖いという感情」を、上書きすることができるようになる。
つまり「やってみたら、案外イケた」を重ねていくと、いままで持っていた「思考」と「反応」が誤っていたことに徐々に気がついていくのです。
時間は、かかる。
でも、これをしないと、もう永久に、なにも変わらない。
がんばるというよりも、「書き直し」「立て直し」というほうがいいのかもしれません。
ただあまりに無謀で強引なことをして、結局発作など起こしてしまうと「新規の思考と反応のセット」が生まれてしまうことがある。
だから無理は禁物、というのだと思います。
「きっと乗り越えられるであろうゴール」を設置して、それを必ず、超えていく。
それを繰り返していくうちに、いずれは苦手は克服されるはず。
だから最も大切で、最も時間をかけて丁寧に計画するべきは「目標設定」なのだと思います。
ほとんどの場合は
「あたまで考えていることは大げさである」
「脳みそはビビりである」
というのがあります。
だから「ここまでが限界だ」とじぶんが脳内で想定していることに、ほんの少しだけプラス・アルファした目標を掲げると、必ず達成できるようです。
この達成を積み重ねることで、自信がつき、いずれ「だいじょうぶだ」と本心から思えるようになる。
いくらがんばっても、全然治らない。
それは、
・焦って無茶をしている
・苦手に対して、完全に逃げを決め込んでいる
のどちらかかもしれませんね。
ぼくのばあいは、前半が前者、後半が後者です。
「と、と、と、とにかく、は、は、早く治さねばっ!!!」と焦り、分不相応な努力や、苦行のような、むちゃくちゃなことをする。
そして結局ズタボロになってしまって、
「ああ、だめだった」と自己判定し、こんどは完全なる「逃げ」を決め込む。
この繰り返しなんだ。
なにごとも、真理は「中間」にあるといいます。
完全に逃げているわけでもないが、無茶なことをしているわけでもない。
しかし人間とは、原則的に怠惰で弱いいきものです。
ほんとうにそのとおり「逃げもしないが無茶もしない」などという、リベラルっぽいことを考えていると、必ず易きに流れていくようになる。
それでは、だめだ。
わたしは絶対に負けない。
原則としてこの気持は持っていないと、悪魔の囁きに一発でやられる。
一日に2回だけ、少しいやなこと、ちょっとつらいこと、ややめんどうなことに、アタックしよう。
そのへんがなんとなく、いちばん効率の良い感じかもしれませんね。
そしてこれは病気とか関係なく、どのようなことにでも当てはまることだと思います。