「じぶんを客観的に見てみよう週間」を実施中です。
パニックだの自律神経失調症だのという病気になる人は、じぶんの主観に頼りすぎるところがあることを発見したからです。
さて、客観視週間におきまして、意識として自分を客観視するだけでなく、物理的に客観視することも試しています。
それはようするに「写真にとる」ということです。
ぼくは自分で「猫背である」と感じています。
これはもう10年どころか20年近くそう思っているところがあって、姿勢を正しくすることを常に意識したりしています。
そこでこのたび、娘にたのんで、自分がデスクワークしている姿勢を横から撮影してもらいました。
1)自分で「かなりだらしない」と感じている姿勢
2)自分で「ちょっとだらしないかな」と感じている姿勢
3)自分で「これが正しい姿勢だ」と感じている姿勢
この3つをとってもらいました。
そしたら、びっくりしましたよ。
1)かなりだらしないと思っていた姿勢……実際にはそれほどでもなく、すこしだらしない程度
2)ちょっとだらしない、と思っていた姿勢……ほぼ正しい姿勢
3)これが正しい、と思っていた姿勢……かなり反っていた
ううむ。
そういえば、このブログでもたまに書いていたけど、よく考えれば矛盾があるのです。
ヨガ教室に通っていた頃、先生やほかの生徒さんたちによく言われました。
たとえばリラックスしてあぐらをかいているときに、こんな会話によくなります。
「いいなあ〜。骨盤がちゃんと立ってますよね。いいいなあ〜」とはヨガの生徒さんたち。
「そう、あなたは姿勢がとてもいいのよね」とは先生。
「いや、これ骨盤立ってないでしょう。ぼく猫背ですよ」と、ぼく。
整体などに言っても、よく言われるのです。
「いい姿勢ですね。とてもいいカラダの使い方をしています。ちょっと左右にクセがありますけど、まあ、だれでもこんなもんです」
つまり、ぼく以外の人のほとんどは、ぼくの姿勢を「良い」と評価してくれるのです。
そういえば、柔道をしていたころも「姿勢をちゃんとしろ!」ということだけは、怒られたことがなかったのです。
ほかのみんなは顔を上げろ、姿勢姿勢と、よく怒られていたのに。
それなのに、ぼくは頑固に、こう思っていました。
「ぼくは猫背である」
写真をとってみて、よくわかりました。
すくなくとも、猫背ではない。
とくだん「姿勢がわるい」ということはないのです。
むしろ、ちょっと反りすぎているぐらい。
自分の感覚としては、リラックスして、ちょっとだけ腰曲がってんじゃないかな……程度が「ただしい姿勢」だったのでした。
異様に背中が凝る、というのがあるのです。
最近気がついたのが、この「背中の懲り」が、自律神経を不調にして、パニック発作などを誘発しているということです。
背中が疲労すると、あちこちに不具合が出るのです。
それもそのはずです。
「姿勢が悪いからだ」と思っていた。
だからいっしょうけんめい、からだを反らせようとしていたのです。
ネットなどでも、背中や肩のコリは猫背のせいだ、という話がよく出てきます。
日本人のほとんどは猫背です、とか。
アゴを引け、脳天を天井につけるようにしろ、腰にや腹筋に力を入れろ。
筋力低下が猫背の原因なのだ。
みたいな話。
「だまされていた」のでは、ないのですね。
「じぶんの状態を、よく知らなかった」ところが最大の原因なのです。
ぼくはべつに、猫背というほどではないのに、かってに猫背だと決め込んでいた。
まさに「決めつけ」「思い込み」です。
ぼくはむしろ、反っていた。
そういえば、母親がそうなのです。若い頃は「ホッテントット」というあだ名で、「おまえの尻に子どもが座れる」というぐらいの反り腰でした。
いまは80歳を超えていますが、いまだに背中はまっすぐです。
もう亡くなった祖母も、そんな反り腰で、亡くなるまでとても姿勢が良かったのだそうです。
しかし母親も、そして祖母も、自律神経の調子がとてもわるかった。
だからぼくの不調は、もし姿勢に原因があるのだとしたら「反り過ぎである」という可能性があるのですよね。
それなのに、むしろ逆の「猫背の改善」を20年以上もやってきた。
「客観性」は、ほんとに大事だと思いましたよ。
主観に頼ると、むしろ逆のことをしてしまうかもしれないのです。
おそろしいことです。
だからぼくの方針は、今日から逆になるのです。
「もっとリラックスして、まるくなろう」
ぼくの性格と、よく似ています。
一見やさしそうに見えるけど、じつはひじょうに頑固で、攻撃的で、喧嘩っ早く、ちょっとトラみたなところがあります。
「火」がひじょうに強い。
これもまた、母譲りです。もしかすると、姿勢と性格は連動するのかもしれませんね。
この性格には「落ち込みにくい」という利点は、確かにあるのです。
原則として、あかるい。
だから何度も何度も、もう何百回もパニック発作を起こしても、ぼくは決してあきらめませんし、自己卑下することもありません。
負けるかちきしょう、そういう闘争心がなかなか消えない。だからわりと、ウツにはなりにくいです。
これはまあ、良いところではあるのです。
しかし「反りすぎで緊張している」ということが、そもそもの問題である可能性もあるのですね。
反り腰による不要な緊張が、不要な怒りを生み、不要な不安や恐怖を「自家発電」しているのかもしれません。
もっとじぶんを、客観的に見よう。
あらためて自戒した次第です。
そして思った。
「姿勢って、がんばるものじゃないんだ」