ここ10年ぐらいの自分を客観的に見て、明らかに変わってしまったところがあります。
モテたいと全く思わなくなった。
女のひとにモテたい、などと思わなくなってしまいました。
もちろん、きゅうにホモになったとかではありません。
36歳ごろから、ある意味枯れてしまったのであります。
そしてこの年齢は、ぼくがパニック発作を発症した年齢でもあります。
ちょっと、早すぎるのではないか。
「落ち着いた」といえば、まあそうなのですが、「関心がなくなった」ことを「落ち着いた」というのは、すこし違うような気もする。
女ならなんでもええ、とにかくそこにケツがあったらとりあえず触る、みたいなのが無くなることを「落ち着く」というのだと思います。
ただ関心を失ったというのは、落ち着きなんかではなく、たんなるパワーダウンなのではないのか。
最近、筋トレをはじめました。
今回はむかしのように「一気にたくさんやる」ことはやめて、厳密に計画を立てていこうと思っています。
「何回やったか」「何日続けたか」そういう短期的で目先の数値目標だけではなく、
もうすこし長期の目標も立ててみようと思うのです。
つまり「どうなりたいか」。
発見したのです。
すげーカッコイイ人を。
ぼくはこの人を、目指してみようと思うのです。
シンガポールのチュアンド・タンさんというモデルさんです。
いい筋肉してますね!
イケメンですし、モデルさんなので、カッコイイのはあたりまえです。
しかしポイントは、そこではありません。
このひとは今51歳なのです。
50を超えても、なれるのですね。こんな体に。
中年になったら、中年太りになる。だらしなくなる。
べつに、こんな常識に従わなくてもよいのですね。
ぼくの身の回りにいる人でも、やはり日頃から体を鍛えている人は、実年齢よりかなり若く見えますし、イキイキしています。
いっぽうなんの運動もしていない人は、はやり自然当然のごとく、腹が出て、顔にも覇気がなくなり、愚痴っぽく、皮肉っぽくなって、「ザ・オッサン」になっていく。
ええ、べつに「ザ・オッサン」がわるい、ということではないんです。
オッサンにはオッサンの、オバハンにはオバハンの魅力はあります。
しかし、思う。
そうなれるのに、ならないのは、もったいないじゃないか。
せっかく生まれてきたのに。
もちろん、カオのパーツは変わりませんよ。
いくら鍛えたって。
でも、スタイルは確実に変わる。
そしてたぶん、表情も変わる。
自信なんて、じつはただの、肉体の問題なのではないか。
そんなことも、思ったりするのです。
「悲哀は肉体的問題である」
とも、名前は忘れましたが、有名な哲学者も言っています。
成功体験がないとか、カネがないとか、自由がないとか、トラウマとか、いろいろややこしいことを言うけれど、実際のところは純粋に体力の減衰が、そのまま自信の喪失に直接的に関わっている気がします。
男も女も、モテたいと思わなくなってしまったら、終わりですよね。
結婚していたって、配偶者がモテないよりもモテるほうが、きっとうれしいはず。
「どうせ逃げないだろうし」というような甘えで自分磨きを怠るというのは、ある意味相手にも失礼だ。
枯れてしまうのは、80歳になってからでも間に合うはず。
なにもまだ40歳の中盤で、干からびてしまう必要はないですね。
目標は、高く持とう。
もっと、ぴちぴちしようぜ。