2週間ほど風邪でダウンしてしまいまいて、ずっと寝込んでいました。
そのあと1週間も体調がすぐれなくて、なんにも運動をしていません。
かなり体力が落ちてしまって、ちょっと歩いただけで息切れがする。
立ち上がったら立ちくらみ、少しからだを動かすと動悸がする。
これはいかんと思って、徐々にウォーキングやヨガを復活し、最近では筋トレも始めています。
筋トレ、すごくいいんです。
なのでもちろん、定期的に続けていこうとは思っているのですが、気がついたんですよね。
「掃除のほうが効く」
今日は天気もいいしよく乾燥しているので、掃除日和でございます。
寝込んでいる間、ほとんど掃除もできなかったので、久々に早朝からしっかり掃除をしました。
掃除といっても、掃除機なんか使いませんよ。
はたき、ほうき、ぞうきんの「三種の神器」で掃除をするのです。
とくにぞうきんで拭きまわるというのは、むちゃくちゃ筋肉に来ます。
床に這いつくばり、大きく拭き回り、立ち上がり、しゃがみ、雑巾をしぼり、また所定の位置に戻って這いつくばる。これを延々と繰り返す。
完全に「サーキットトレーニング」ですね。
トイレの便器の下にアタマを突っ込んで、からだをねじり、ほぼ逆立ちに近い状態で便器の裏を拭く。
完全にうつぶせになって、腕を限界まで伸ばしてベッドの下を拭く。
階段を一段一段、中腰の状態のまま拭いていく。
玄関の三和土に土下座して、下駄箱の下に頭を突っ込んで、あたまと腰をねじって拭きまわる。
でかいソファを「はあっっ!!!」と気合で動かし、突如床に伏せ、拭きまわる。
机を動かし、仰向けになってからだをねじり、限界まで腕を伸ばして机の裏、椅子の裏を拭きまわる。
拭き掃除はもはや「パワー・ヨーガ」です。
筋トレよりも拭き掃除のほうが効く箇所もあります。
汗まみれになる、息があがる。
そしてなにより、爽快感があります。
部屋だけでなく、心身も浄化されたように感じる。
気分も目の前もあかるくなり、気合が入ってくる。
もやもやした気分が、いっぱつですっ飛ぶ。
ふだん運動不足のひとがきゅうに大掃除をすると、ものすごく体調を崩すことがあります。
人によっては、寝込む場合もある。
これはつまり、掃除というのはそれほどにキツいということです。
筋トレと比べてみたら、わかりやすいです。
真剣掃除のほうが、からだの芯にくる。
筋トレなどの、エクササイズの、最大の欠点。
それは「強制力がない」「生活の役に立たない」ということです。
強制力がないがゆえに、よく言われることがあります。
「自分を追い込め! いじめろ!」
「計画を立てろ」
各種エクササイズは、心身の健康増進にはもちろん役立ちます。
でも「生活の役には立たない」。
そうじは、このへんが全くちがうのです。
一度やりはじめたら、途中でやめにくいのですよね。
もちろんやめたってかわまないのですが、部屋の半分だけで急にやめるとか、中途半端だし気色わるい。
なので辛くても、けっこうやってしまう。
「自動的に自分を追い込んでいる」ところがあるんですね。
「自分に厳しく! 自分に甘えるな!」とか、べつにそんなネガティブな感情を利用しなくても「やっちゃう」。
だから、ヘトヘトになります。
そして最も筋トレなどのエクササイズと決定的に違うところ。
「生活の役に立ちまくっている」
清潔なジムでヒイヒイ言いながらダンベルを上げたって、部屋もトイレもきれいになりません。
街中を走り回ったって、風呂は清潔になりません。
しかし掃除は、からだをかなりハードに鍛えながらも、しっかりと明確に、生活の役に立つのです。
生きてるっ!
掃除を真剣にすると、そう感じるのですよね。
だって自分の行動が、如実に、あきらかに、直接的に、わかりやすく、現実の役に立ってますからね。
自分だけでなく、家族の役にも立ちます。みんな喜びます。
清潔であることは、家族の笑顔と健康の最大基盤なのです。
筋トレやジョギング、ヨガなどが無駄だ、というのではもちろんありません。
それはそれでものすごく良いことですし、機会があればぜひともやるべきだと思います。
しかし「からだを鍛える」というのは、なにもそういった形式化された方法論にこだわらずとも可能である……ということは、忘れたくないと思うのです。
ふだん何気なく歩いている階段でも、気の持ち方ひとつで、大腿四頭筋と心肺機能を劇的に向上させるマシンになりえます。
掃除機などに頼らず、原始的な掃除道具を使うだけで、パワーヨーガに匹敵するトレーニングになる。
「心がけしだいで、どこでも道場になる。」
生活のジム化。
四六時中、いつだって、鍛えることが可能。
そして鍛えれば鍛えるほど、生活が豊かに、心地よくなっていく。
筋トレが好きな人は、こう言います。
「ダンベルは、裏切らない。」
掃除で鍛える人は、こう言うでしょう。
「ぞうきんは、裏切らない。」