「ねばねばの朝」は卒業しよう。朝は演出するものなのだ

朝から昼にかけての午前中、どーもイライラする。

いや、これはほんとうに、イライラなのかな?

そわそわ、のほうが近いかな?

とにかくなんかこう、名状しがたい、へんな気分があります。

べつに、イヤなことがあるわけではないのに。

 

たとえば明らかにイヤなことがあって、それでオカシくなっているのなら、まだ納得がいきます。

しかし、そんなことないんですよね。べつに、ふつうの日。

むしろ良いことがあったとしても同じようになります。

外的な条件には、あまり関係していないようなのですね。ただただ、気分がおかしい。

これをして「更年期障害」とか「自律神経失調症」とか言うようなのですけれども。

 

なので、こういう場合はおそらく更年期障害や自律神経失調のモトになっているであろう「ホルモンバランス」を整えていく努力が、本質的改善ということになろうかと思います。

……本質的努力、ねえ。

まあ、これはこれで当然、とても大事なことですけれども、でもまあ、なんていうか、あまり気張って考えなくてもいいんじゃないかな。

と、ふと思ったんであります。

 

午前中から昼にかけて、なんか調子が悪い。

このことを交感神経だとかストレスだとか、そういうことをメインテーマにして語りだすと、よけいにワケがわからなくなるんですよね。

そういう解釈もいいけれど、べつの解釈もできます。

 

むちゃくちゃ寝起きが悪いんではないか

 

寝起きが悪いと、だれでも機嫌が悪くなります。

ふつうは、この寝起きの悪さというのは、まあ1時間ぐらいで治るんでしょう。

しかしもしかして、ぼくのばあいは、これがとってもシツコイだけなのではないか。

 

寝起きが悪いというと、まず低血圧、という流れになりがちですけれども、じつはそうとはかぎらないんですよね。

とくにトシ食ってくると、朝になると、ぱっちりおめめが覚めてしまうのです。

いくら睡眠不足でも。

普通の社会人なら、朝いつまでも寝てて良いということはありませんからね、朝は無理やりにでも起きる。

そんな生活を何十年も送っていると、とにかく朝は起きてしまうようになるのでしょうかね。

カラダはほんとうはまだ寝ていたいのに、アタマとか神経だけが、いっしょうけんめいに覚醒しようとしている。

この二律背反が、どうも朝から昼にかけてのウダウダにつながっている気がするんですよねえ。

 

そこでですね。

これをホルモンとか神経とかストレスとかいう、うざくて堅苦しい理系視線ではなく、もっと文学的に考えてみる

そうするとですね、あるコトバが、ぽつんと生まれるのでございます。

 

 

 

すてきな朝

 

 

 

そうなんだよなあ。

ぼくにはもしかして「すてきな朝」が足りないんじゃないかな。

ええ、べつに、イヤなことは特にないのですよ。ほんとうに。至極平和なもんです。

でも毎日、起きたらすぐに「仕事せねばっ」と思う。在宅ワーカーですからね。

あるいは最近は「運動せねばっ」とか思ったりする。健康のために。

ほかにも、メシ作らねば。メシ食わねば。顔洗わねば。着替えねば。掃除せねば。ゴミ捨てねば。

ねばねば、ねばねば、あー、ネバネバ。

ああん、もうっ、ネバネバだーっ!

 

ぼくの朝は「ねばねばの朝」なのでありますね。なんか、きたないなあ。

「いまからすべきこと」に、支配された朝。

これはこれで、気分がわるくなってあたりまえなじゃんじゃないかな。

まあ、誰でもそうなんだろうけども。

 

ではどうすればいいのか、となると、よくわからないんですけどね。

でもひとつ思いついたのが、「音楽で、すてきな朝を演出する」ということ。

なんかステキな朝っぽい音楽を、かけてみるのです。

まあ、この音楽がそうなのかと言われたら、よくわかりませんが。

でもこういった、ゆったりした、なんかいい感じの音楽を流すと、すこしだけ「すてきな朝」に近づいた気がしないでもないです。

 

逆にいちばん鬱陶しいのが、NHKとかの、テレビのニュースですね。

神経質そうで胃の悪そうなアナウンサーたちが、ほら見ろ、きのうはこんな悪いことがあったんだゾ、こんな悪人もいたゾ、どうだみんな、怖いだろう。

みんな注意しろよ! この世界は、悪人だらけだゾー! 油断すると、あぶないゾー!

みたいなことを、朝からうれしそうに喋ってるんだ。

いやまあ、そういう情報も確かに大事かもしれないんだけど、「すてきな朝」には向いてないよね。下品だよね。

かといって「わぁあああ〜〜〜! 美味しそうなウナギ!」も、いらないんだよなあ。

落ち着きのない、エロい目をした女性アナウンサーが、キャッキャキャッキャとじゃかましくマシンガンのようにしゃべくりまくる朝は「にぎやかな朝」かもしれないけれど「すてきな朝」ではないよね。下劣な朝。うるさい。

 

そんなことで結局、朝はそっとテレビのスイッチを切るのでありました。もちろん、ラジオもね。

そして上品っぽい音楽をかけて、ぼんやりしてみる。

うむ、ちょっぴり「すてきな朝」に近づいたような気がする。

そうするとですね、あの妙なアワアワ感、どうしようどうしよう感、早く早く感というのが、すこしマシになる。

結果、気分もかなり、良くなってきます。

 

すてきな朝の演出。

意外とこれ、やってなかったんですよね。

ねばねばの朝。あわてる朝。はやくやり過ごしたい朝。

すてきな、さわやかな朝を何度も経験したら、朝が楽しみになるかもしれないじゃないですか。

ていうかそもそも、朝や午前中って、ほんとうは一日のうちで、いちばん気持ちいい時間帯でもあるんですよね。

とくにこの時期の、春のよく晴れた朝なんて、最高じゃないですか。

 

理系的・医学的・理屈的にものごとを捉えはじめると「ねばねば」が増えちゃうんですよね。

ほんとうのほんとうは、どうしてもしなくちゃならないことなんか、今の半分以下なのにね。

今日の朝は、一生に一回しか来ない朝。

惰性にかまけてやり過ごすなんて、もったいないです。

もしかすると朝は「演出するもの」なのかも、しれませんね。

すてきな朝の、演出家になろう。

 

 

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