最近、気分的にちょっと元気になってきましてね。
春になっていろいろ具合が悪かったんだけれども、これも一種のデトックスだったのかな。
ちょっと元気になってきたら、いろんなことに興味が湧いてきますね。
とくに、仕事以外のどーでもいいことに、とても魅力を感じる。
たとえばこんな本に、妙に興味をそそられる。
うわ、いらねえ。
ぼくの生活には、なーんの役にも立たんなあ。
しかし、なんだろう! いいなあ!
そこで気がついたんだ。
無駄が許せなくなっているときは、こころのエネルギーが切れてる。
この世界の8割のことは、本来どうだっていいことなんだそうです。
とっても大事なことというのは、2割程度しかない。
と、いうことはですな。
数学的に考えれば「無駄が許せないというのは、この世の8割を許せていない」といえます。
大事なことさえ、していればいい、持っていればいい。
必要なことだけ、していればいい、持っていればいい。
そんなミニマリストっぽい考え方というのは、ちょっと俯瞰的に見れば、ただの世界への拒否感に過ぎないことも多いような気がします。
元気になったら、そう見えるのです。
元気が無いときは、ミニマリストの考えが、とても魅力的に見えるものなのですけど。
無駄を認める包容力。
これには、そこそこ精神的なパワーが必要なようです。
いや、もしかしたら、体力なのかもしれない。
無駄なことを、神経質に排除しようと画策するということは、心身ともに弱くなってしまっているのかもしれないのですよね。
あれはいらない、これはいらない。
そんな判断を始終行うということは、この世のいらないもの探しをしているのと、結果的には同じですからね。
余裕のない会社が、いらない人材を一生懸命に探してリストラするようなものです。
無駄なことをどれだけ含んでいるか。
それが、人生の豊かさなのかもしれませんよね。
そもそもの話として、そこにあるモノやコトについて「不要である」と認識しているのは、自分自身です。
モノやコトに、本来は、不要も必要もありません。
ただ、そこに「ある」だけ。
なのに、そこにただ「ある」モノゴトについて、イチイチ「私にとって要か不要か」と考え、レッテルを貼ることじたいが、すでに煩悩の始まりとも言えます。
それはそれで、ある意味病んでいるのかもしれませんよね。
たとえば、ぼくは大変調子がわるいとき「元号なんていらない」と考えていました。
いちおうIT系ではあるので、元号のせいでプログラムがややこしくなるというのを知っている、というのがあります。
またそれ以外のことでも、通年で何かを把握するのに元号は面倒くさいところがあります。
だから元号不要論は、べつにヘンなことではありません。
しかしいっぽうで、精神の調子が良くなって元気になってくると、まったく逆のことを考えるようになるんですよね。
「公的な時間軸」が2種類もある国なんて、めちゃ面白れぇなあ!
やっぱ日本って、文化的に豊かだよなあ。
なーんて、思うようになる。
いいじゃねえか、元号ぐらい許してやれや、この程度でめんどくさいとか頭弱すぎるだろうが、人間小さすぎるだろうが。
ていうか、その不便を解消するためにIT技術があるんじゃないか。なんのためのコンピューターだ。
なんて、そこまで思うようになる。
これはどういうことかというと、結局は主観的・感情的帰結なのですよね。
本人は、論理的に要か不要かということを客観的かつ慎重に検討した結果、意志が決定されたと捉えている。
でもほんとうは、そうじゃないです。
無駄を許せる・許せないという、ただの心理的傾向と特性に影響を受けて、意思決定をしていたのです。つまり、ただの「反応」だ。
理屈なんてあとからいくらでもつけられますからね、その後付け理論を手にかざして、あたかも「論理的に帰結した」なんて言ってる。
でもじつはけっこう、根っこでは体調や機嫌に左右される程度の「心理反応」で、意志を決めてたりするんですよね。
これは「知の欺瞞」に属する現象で、有能な科学者でさえ陥るジレンマです。
なので、必要か不要かについては、頑固に思い込む必要はないと思いました。
論理的帰結、意志決定の発露などと捉えるのではなく「じぶんのこころの状態を示す試験紙」程度に思っておけばいい。
いらない、いらない、不要、不要。
無駄を省け、空白を埋めろ、最短距離だ、効率化だ。
最小、最低限でいい。
そういうことにこだわりはじめたときは、それが正しいかどうかを確認するまえに、気をつけたほうがいい。
おいてめえ、ココロ弱ってんぞ。大丈夫か?
無駄なことができる、ゆるせる余裕が、人生に減ってきているんじゃないかな。
と、自分に注意してあげたほうが、いいかもしれないですね。
だから思うんだ。
逆もまた真なり。
元気なココロでいるために、
よけいなことを、たくさんしよう。
よけいなことを一切していないから、こころがカッサカサになって、毎日がつまらんのだ。
つまらないことを、どれだけ真剣に、いっしょうけんめいにやれるか。
これこそが人間の、真の価値だと思うのですよ。
大事なことをいっしょうけんめいにやるのは、機械にでもやらせておけや。