習うな。考えるな。読むな。調べるな。感じろ。

「ラクダのポーズ」を行うと、息苦しさやふらつき、動悸、立ちくらみなどが大幅に改善されることを昨晩発見しました。

この状態で、30秒ほど大きく呼吸をする、というやつです。

 

ずっと悩んでいたんです。

息苦しい、背中が痛い、ちょっと動いたら動悸がする、きゅうに立ち上がったら立ちくらみがする。

自律神経だ、自律神経がおかしいんだ、病気なんだ。

そう考えていましたけど、なんのことはない。

デスクワークのしすぎで、胸やおなか、肋骨なんかが固まってしまっていたんですね。

呼吸も浅くなって、血行も悪くなっていた。

「ラクダのポーズ」は、デスクワークで萎縮したところを、全面的に伸ばしてくれます。

これをやると、姿勢も良くなってきます。

 

今回は、ラクダのポーズが効く効かないという話ではないです。

もっと大事なことに気がついたんです。

 

昨晩は、ほんとうに何も考えていませんでした。

なんか眠くなってきて、アーア、そろそろ寝よっかな、あああ。

で、何気なく膝立ちになって「ワオーーーーー」などと叫びながら伸びをしていたら、そのまま自動的に、ラクダのポーズになった。

そこで、

「おわー! なにこれ! 気持ちええ!!!」

ヨガをしよう、だなんて一切考えていなかったのに、勝手にやっていました。

そうすると、突如として俄然、ムネの苦しさがとれた!

もやもやが、なくなって、すごくラクになったのです。

 

ぼくはヨガをかれこれ4年ほどやっているのですが、どういうわけかこのポーズだけ、ほとんどしてきませんでした。

しかしふしぎなことで、ヨガを習う前は、これに準ずる動きをよくやっていたのでした。

ヨガなんか、全然知らないのに!

デスクワークや運転などで胸がきゅうくつな感じになったら、べつになんの知識もないのに、こんな感じのことを家でよくしていたんですよね。

アレですわ、イヌが何も教えていないのに、ヨガっぽいポーズでノビをするのと同じです。

 

ヨガで習っていたのに、なぜしなかったか。

「広背筋をストレッチする必要がある」

「血行を良くしなければならない」

「骨盤の位置を正さなくてはならない」

ヨガの授業やネットの情報、本などで「学習した」結果、「じぶんに必要であると考えるアサナ」を、論理的に考えて選択的に行っていたのです。

問題箇所を仮定し、その問題を解決する行動が必要だ。

そんな考え方だったのです。

 

ヨガやストレッチというのは、習うものではないのかもしれない。

元気な頃は、やってたんだもの! 本能的に!

むしろ、習うとアタマで考えるようになるので、かえって必要なことができなくなるのではないか

どんどん、りくつで考えはじめてしまうんですよね。

いわく、肋間筋や広背筋、僧帽筋が固まっているのではないか。

いわく、脊柱が曲がっているのではないか。

じぶんで分解して調べることもできないくせに、そんなことをエラそうに考え始める。

結局そういうのは、全部妄想なんですよ。想像と類推。

ヨガの先生が言ったことや、ネットなどの情報を鵜呑みにしたりして、類推して考えるようになる。

 

考える必要なんか、ないですよね。知る必要さえない。

だってこれは、じぶんのカラダなんだもの。

なんかこのへんが、くるしいなあ、違和感があるなあ。

その部分を、どうすればいいのか。

じつはカラダのほうが、よく知ってる。

ヨガの先生も、ましてやネットも本も、教えてくれるわけないじゃん!

ふつうにしていれば、かってにカラダが、そのような動きをしてくれる。

イヌもネコも、誰にも習わないのに、やってるじゃないか。

そもそものはなし、

習わなければなにもできないというのが、どアホすぎるではないか。

いつまでも学生気分でいるんじゃねえや。

 

「学習」がかえって人間を不自然にしてしまっているんだと思います。

何か特殊なことをしなければ、健康になれない

そう考えること自体が、病気なんだ。

なにが病気かといって、これがいちばんの、強烈な病気。

 

あたりまえだろ。

ヨーガ・スートラを熟読し、百数種類のアサナを覚え、全身の筋肉をすべて柔軟にして、呼吸を完璧にして、週に数回ヨガをしなければ健康になれないし、病気も治らない。

そんなわけあるか!

もしそれが本当だったら、地球上のほんとんどの人間が、一生具合が悪いことになってしまうよ。

 

クソガキを見てみろ。

アホな顔して、なにも考えず、走り回っているだけで超元気です。

バカでなければ、ここで気がつくべきなんだ。

「なにも考えず、とくに何もしないほうが、自然で健康だ」ということに。

「なにかを考え、計画し、何かをするということが、不自然で不健康を生む」ということに。

 

ぼうっとしていたら、誰かに習わなくたって、必要なことは自動でカラダがやってくれる

勉強しすぎて、アタマに頼りすぎた結果、なーんにも聞こえないし、なーんにも見えなくなってしまったんですね。

 

ぼくはもう、だれの言うこともきかない。本も読まない、勉強もしない。

ぼくのからだが望むことに、すなおにしたがう。

 

習うな。考えるな。読むな。調べるな。感じろ。

 

 

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