「大腰筋で腰を立てる」
これをできるだけ意識するようになって、感じるところがあります。
リラックスしやすくなった。
肩や背中、首や腕などの力を、抜きやすくなったのです。
リラックスしなさい!
そう言われたところで、できるもんかちくしょう。
落ち着け!
そう言われたところで、できるもんかちくしょう。
なぜ、できないのか。
それはもしかすると、「頼れない」からではないか、と思ったのです。
大腰筋のパワーが落ちてしまって、腰が抜けてしまっている。
よって、骨盤や腰椎でカラダを支えることができなくなってしまっているのですね。
いわば、家でいえば、土台や大黒柱の根っこががシロアリに食われてぐらついている状態。
家ならばそのまま倒壊してしまいますが、ヒトはそうもいきません。
倒れるわけにいかないし、倒れるものかと、がんばります。
仕事とか家事とか、しなければならないことがありますからね。
そこで、しょうがないので、腰以外の場所を使って、なんとか姿勢を保持しようとする。
椅子に座っている場合は、脚を組んででも固定させようとする。
腰以外の場所を使うとなると、背中とか首とか腕とか肩とかしか、ありません。
ほんとうは、そのへんは姿勢維持に使う場所ではないんだけれども、倒れるまいとすると、どうしてもそのへんを使わねばなりません。
腰が死んじゃってるから。
よって、どんどん上半身が緊張し、硬直しはじめる。
上半身の筋肉がずっと緊張していると、どうしてもそっちに血が集まります。
どんどん、のぼせていく。
ふらふらする、動悸がする、あたまが熱くなる。
いらいらする、不安になる、臆病になる。
いっぱい考えすぎる、悩む、妄想する。
結果、全体が緊張する。
「リラックスせよ」と言われたところで、やっぱりそのとおり、無理なのです。
だって、腰が気絶しちゃってるから。頼るべきところが、ないから。
腰がしっかりして、そこにちゃんと乗ることができたら、背中や首、腹筋は、そんなに頑張らなくてもいいんです。
ぼやっとしていられる。
しっかりした土台があるからこそ、上半身は油断することができる。
腰に頼れないんですよね。
頼れないから、休めない。
性格的にだれも頼ることができないひとが、ひじょうに疲れやすく、精神を病みやすいのと同じです。
からだだって、頼るところがなければ、とても疲れやすくなってしまう。
そこで、新しい座禅の「使い方」を考えました。
禅といえば、最近流行りのマインドフルネスとあいまって、どうしてもその精神集中、瞑想などが注目されがちです。
しかし、ぼくは気がついた。
いくら座禅をしたところで、頼るべき腰が出来上がっていなければ、結局リラックスなんかできない。
ただ、疲れが増すだけだ。
どのようなことも、はやり基礎体力が必要なんだ。
座禅は、結跏趺坐をして行います。
じつはこの結跏趺坐が、格好の「大腰筋トレーニング」なのです。
まず、結跏趺坐を組む。
無念無想とか、呼吸とか、そんなことはこの際、全くどうだっていい。
むしろ、やらないほうがいい。
テレビ見てても良いし、本読をんだって、スマホを触っていたって、何ならおしゃべりしたって、かまわない。
そのかわり、大腰筋を使って骨盤と腰を立てる練習をする。
ただしここで、背中の筋肉は、できるだけ使わないようにする。肩のちからも。
背中をまっすぐにするんじゃなくて、腰を反らせる。
むしろ背中は脱力して、猫背にしちゃってかまわない。
腰だけをしっかり、反らせていく。
反らせ方は、背筋を使うのではなく、両膝をおなかにくっつけるような感覚でぐっと引きつける。
両足の甲でふとももは押さえつけているから、引きつければ骨盤が前に倒れます。
そのちからで、腰が反るようにする。
腰の筋肉で反らせるのではなく、ヒザを持ち上げる力を使って、腰を反らせていく。
上半身はすこし後ろにもたれるような感じで、できるだけチカラをぬく。
「腰」に意識を持たない。
股関節に意識を持つほうが、効きます。
腰を意識すると、どうしても背筋を使ってしまうので、元も子もありません。
この状態を、可能な範囲でつづけてみる。
最初は、きつい。
30秒からはじめて、すこしづつ伸ばしていく。
15分もできるようになれば、腰は普通の人程度には、出来上がっていると思います。
座禅を瞑想や精神集中だけに使わねばならないというルールなんか、ありません。
ぼくはこれを、筋トレに使う。
大腰筋の、最も効率的なトレーニングとして使う。
やってみると、わりと上半身のちからが抜きやすく、いい気分になることがわかると思います。
そして、おなかで息をすることが、とても楽になります。
ゆったりと、深い呼吸ができる。
やはり腰が堅牢であると、上半身や腹筋はゆったりと油断ができて、力を抜きやすくなるのです。
リラックスや脱力を「考え方」や「意識」「呼吸法」なんかでやろうとしていたことじたいが、大間違いだったんだ。
そうではなく、リラックスとは純粋に「物理学的問題」だったのかもしれません。
支えがないから、支えるために、緊張していた。倒れそうで、焦っていた。
だから「支え」を強力にすれば、支えに必要のない上半身は意識しなくても、けっこう楽に脱力できるようになるんだと思います。