まあるい背中と、自然体

昨日、娘と雑談をしていて、はっとしたことがあります。

 

ぼくは自律神経の調子が悪いです。

そしてぼくの母も、自律神経の調子が悪い。

そしてぼくのおばあちゃんも、自律神経の調子が悪かった。

父は、自律神経の調子はすこぶる良いです。

父方の親戚に、自律神経がらみで調子のわるい人はいません。

娘は、メンタルや体力は別として、自律神経の調子は良いです。

まず、上記の事実があります。

 

そしてここからが、気になった点。

・ぼく、母、おばあちゃんは、非常に姿勢が良い。

・父、父方の親戚、娘は、猫背である。

あと、かつて通っていたヨガ教室では、先生じたいが自律神経の調子が悪いです。

そして長年通っている生徒さんにも、自律神経の不調で悩んでいる人が多い。

で、みんな姿勢がまっすぐ。

まあ調子が悪いからヨガをするんだ、ということが言えるので、なんとも言えませんが、以下のことは事実として言えます。

長年ヨガをしても、自律神経の調子は良くなっていない。

ぼくも含めて。

ヨガでは、姿勢をまっすぐにすることを要請されます。

 

……。

 

ぼくのなかで、なにかが崩壊したような気がする。

「まっすぐ背中」は、神経に良くないのではないか。

 

たとえばデスクワークなどでは、以下のような姿勢が「良い」とされています。


※https://josei-bigaku.jp/pasokonshisei33754/から拝借しています

このことは、もうハンコで押したのかというほどに、ネットではほぼ全部これが「良い」と言っています。

ある意味、気持ちが悪いくらいに。

 

ぼくもそう信じています。

だから日々このような姿勢を実現すべく、長年いろいろな努力と工夫を重ねてきました。

しかしいっこうに、自律神経の具合は改善せず、肩こりや背中のこりも治りません。

改善していないという事実がある

 

そしてぼくは、試してみたのです。

むしろ、背中をまるくしてみる

猫背だろうがなんだろうが、もう良い。

整体院や姿勢研究所、レントゲンでもぼくは「正しい姿勢」と言われてきました。

「まっすぐ」にこだわって、10年以上努力しても、治らなかったんだ。

じゃあ別の方法を試しても良いではないか。

 

昨日の昼から、背中を丸くするようにしてみた。

正確には、わざわざ丸くするというのではなくて、動きのままに従うことにしました。

座ると背中は丸くなります。

ぼくはそれを、気合を入れてまっすぐにする努力をしてきたのですが、それをやめたというわけです。

立ったり歩いたりでも、背中が丸くなることを、食い止めないようにした。

 

そうすると、自律神経が安定しているのです。

調子が良い、とまでは言いません。

しかし、あの朝起きた直後の「ワーーーー」という焦燥感がない。

夜も、ひじょうに気持ちよく眠れました。

呼吸が楽だ。

 

そこで、わかったのです。

姿勢を良くしようとする努力が、自律神経をぶっ壊す。

背筋を伸ばそうとするということは、その該当部位の筋肉を収縮させるということです。

そして背中には、自律神経のうち「交感神経」が通っています。

ここを緊張させるということは、交感神経のスイッチが入ってしまうということ。

 

そもそもの話、「姿勢がまっすぐである」ということを正しいとしたのは、西洋の風習だったようです。

西洋では、背中が丸くなっていることは恥ずかしいことだったようです。

背中が丸いのは、原始人であるという概念があったようです。

諸国を威圧し、征服してきた民族が考えそうなことです。

 

いっぽう、古来日本では、仕事をするときなどに「腰を入れる」ことは重視していましたが、「まっすぐ」はあまり言わなかったようです。

寺子屋の絵を見ても、せなかがまっすぐな人なんかいません。


※https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49130662.html より

背中がまっすぐ。

これは生物学的には「威嚇と緊張」である、ということがいえるかもしれません。

イヌでも、だれか知らないひとがきて、ワンワン吠えるときには背筋がしゃんっ!とします。

しかしひなたぼっこをして、のんびりしているときには、まるでネコのように丸くなっています。

 

背中がまっすぐな人は、たしかにキレイなように見えます。

しかしこの「キレイ」という感覚を、もう少し微細に観察してみる。

そうするとこの「キレイ」は「カッコイイ」にほど近く、じつは「威圧されている感覚」ということだ、ということがわかります。

威圧感を受けたことで精神が緊張し、その興奮を「キレイ」と表現しているのです。

 

つまり、ぼくはこう思うのです。

まっすぐな姿勢は、闘争と拒絶の姿勢である。

 

だから、神経がおかしくなるのだと思う。

闘うとはつまり、交感神経を興奮させるということです。

四六時中、せなかをまっすぐにしていたら、つねに交感神経が興奮状態にあるということ。

 

ぼくたちは、何らかのイメージに汚染されているのかもしれません。

よく考えてみれば、そんなに背中がまっすぐである必要性はないのです。

「背中が丸くなって伸ばすことができない」というのなら、話は別です。

それは柔軟性が低下してしまっているということだから、良いはずはありません。

しかしいつでも闘う姿勢である必要が、どこにあるのでしょうか?

 

話は変わりますけど、超人的な体力と能力を持つチベットのお坊さんは、みんな背中が丸いです。

※ http://guganji.com/india/?p=1705 , http://d.hatena.ne.jp/eucalyptus_carrie/20080402/1207146290から拝借しました

実際にお会いしたこともありますが、上記の写真のように、みなさん背中は丸かったです。

 

背中はリラックスすれば、丸くなるようにできている。

まあるい背中こそ、自然体なのかもしれないですね。

自然に逆らうから、神経がおかしくなるのかも。

まあるい姿勢は、安心と抱擁の姿勢かもしれない。

 

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