やだあ!
もうっ!
などと、思わずカマっぽく声を出してしまいそうなのであります。
まーた、出やがったんですよね。
パニック発作が。
今朝、仕事しているときに。
で今回は、ほんとうに、たいへん体調がいいんです。
機嫌もすこぶるいいです。
先月久々に「発作祭り」になったのは、風邪をひいて、熱が出ていたというのがあるんですね。
それに、かなり仕事で疲れていたというのがあります。
だからまあ、しょうがないかな……と得心するところもありました。
しかしここ数週間は、ずいぶんいい感じなのです。
仕事も正直ヒマで、でも仕事はちゃんと来ているので、経営的にストレスを抱えているとか、そういうことではありません。
落ち着いた日々。
心当たりがああるとすると、数日前から、「脱力姿勢」というのを試していることです。
http://late-amami-8790.pinoko.jp/lookonbright.site/wp/archives/63014
つまりぼくは、非常に姿勢を意識するクセがあって、それを一回やめてみようと。
座るときに背中が丸くなるのは自然なことなんだから、いちいち抗うのは、やめてみよう。
そういう発想です。
それと、以下のような本でも「猫背は気にするな」というのが書かれていたりします。
なにもしていないのに調子がいい ふだんの「呼吸」を意識して回復力を高める
また整体系のWebサイトでも、「猫背は正常である」ということもよく書かれています。
ほかにも、いろいろあります。
つまり、脊柱の生理的湾曲から考えれば、背中が丸いことは正常なのであって、気にする必要はない。
むしろ「ピンとした背筋」のほうが、きわめて危険である。
肝心なのは、とにかく脱力をすることである。
……そのようなお話です。
そしてこれらのことは、ボク自身も、同様に感じることがるある。
自律神経の調子がわるいぼくや、ぼくの母親、祖母は、姿勢がとても良いのです。
ヨガでは姿勢をまっすぐにせよというが、ヨガ教室には自律神経失調症の人が多く、長年通っても治っていないという事実も直接知っています。
なので、試してみたのですよ。
腰や背中のちからを抜いて、「まあるい背中」をやってみよう、と。
そうすると、たしかに、たいへん具合がいいのです。
あまりややこしいことを考えなくなって、ぼんやりして、平和な気分になります。
あ〜あ、アレだな〜、べつに、そんなに、頑張らなくてもいいよね。
たのしければ、それでいいよね。
そんな楽観的な幸福な気分になってきます。
なるほどこれは良い、ということで、「脱力」を続けていたのです。
そしたら突然、今朝なんの脈絡もなく発作が出た。
発作そのものは5分ほどで収まるものの、2回連続で出ました。まあまあキツいやつです。
また座って仕事しようとすると、また出る。
そこで、「もしかして……」と思って、「腰を入れて」仕事を再開しました。
そうしたら、ほらこのとおり、もう大丈夫。
ウソみたいに治りました。
ぼくが姿勢をまっすぐにすることにこだわるようになったのは、「背中が丸いと発作が出やすい」ということに気がついたのもあります。
今思い出しました。
たとえばお客さんのところで打ち合わせをしていて、背中を丸めたまま、説明をしたりお客さんの話を聞いていると、しょっちゅう発作が出るのです。
そこである日「腰をシャキっ!」とさせて、姿勢をまっすぐにしていると、あまり発作が出ないことに気がついたんですよ。
電車で発作を起こすのも、だいたい座って背中を丸めているときでした。
そこで、電車の中でおかしくなったときも、立ってお尻の筋肉を「ぐーーーっ!」と引き締めていると、収まることも多かったです。
そんな経験を何度もして、「姿勢も関係あるのかも」と、思うようになったのでした。
さて、そういうことで。
今回の「脱力系まあるい背中トライアル」と、「腰抜け禁止・腰入れ堂々姿勢」の双方を考えてみて、ある可能性を見出しました。
闘うときには、戦う姿勢を。
そういうことなのかもしれない。
先の、「まるい姿勢が良いのです」系の本では、こんなことを書いていたりします。
「女子アナウンサーは、姿勢が良すぎる、あれは緊張しすぎて、正しい姿勢ではない」
いいや。
そうではないのかもしれないぞ。
だって女子アナウンサーさんは、いま「仕事中」なのです。
仕事というのは、ある意味「闘争」の部分はあります。
イヤなことでもしないといけないことはあるし、同時にいろんなことを考えないといけないし、きちんとケツを合わさないといけないこともある。
あははは〜、あははは〜、いいよね〜、たのしいよね〜、どうでもいいよね〜、だけでは、済まないことが多いです。
仕事というのは、もちろん全部ではありませんが「闘争」の側面は、まちがいなくある。
すくなくとも、自分とは戦わなくちゃいけません。
「背中はまるいほうが正しい」
よく考えれば、こういうふうに「正しい・正しくない」という安直な二元論に陥ることじたいが、あたまのわるい証拠でもある。
最近ちょっと仕事がヒマで、春であったかいし、ほんとにバカになっていたんだと思います。
臨機応変。
これがいちばん、大事なことなのかもしれません。
・仕事をするときは、ガッと腰を入れて、気合を入れてやる。
・休憩したり、休みのときは、腰のちからを抜いて、脱力系まあるい姿勢でよい。
この「メリハリ」こそが、大事なのかも。
そして、もし上記が正しいとしたら、ある結論に至ります。
姿勢なんか、どうでもええねん。
という結論に。
闘う気持ちが必要で、気合やパワーが必要なときは、どうしたって、そのような姿勢になる。
とくに気合は必要なく、ぼんやりしてよいときには、どうしたってそのような姿勢になる。
緩急自在、緊緩自在であるためには、「いちいち操作しない」ということが、いちばん大事なのかもしれないです。
逆らうな。
むかし、そんなことばが、天井から落ちてきたことがあります。
「緊張すべきなのに、わざわざ弛緩しようとする」これは「逆らっている」。
「のんびりしていいのに、わざわざ気合の入る姿勢をしている」これも「逆らっている」。
逆らうな。
それは「気持ちと、からだを、合致させろ」ということかもしれませんね。
いまから気合が必要なら、腰を入れて、気合入れろ。
いまから休むのなら、腰のちからをぬいて、まあるい背中になれ。
だからもし良くないことがあるとしたら、
・気合を入れっぱなし
・気合が抜けっぱなし
ということなんだと思います。
仕事にせよ、休みにせよ、遊びにせよ、同じことをいつまでも長時間続けていることがわるい。
そうしたら、ある特定の姿勢を過剰に継続するようになって、それぞれの「わるいところ」が出てくるのかもしれませんよね。
「これが正しい姿勢だ!」という硬直したバカっぽい考え方に陥ると、どうしたって不自然になり、ダメになっていくんだと思います。
この世界に、正しいもヘッタクレも、あるもんか。
もう、ええわ。
本もネットもテレビもラジオも、もう、ええわ。
情報が悪いんとちがう、それを書いたやつが悪いんとちがう。
気にするやつが、アホなんじゃ。
しょうもない!
姿勢だの呼吸だの、どうでもエエことをグズグズ言うとらんと、もっとオモロいこと考えろ。