もう、ええわ。
もう、ええ。
ほんとに、いろいろやっても結局パニック発作のヤローは、出てくるのでありますね。
こんな野郎のために、いちいち俺様の心的リソースを費やし、いちいち落ち込んだり悩んだりするの、バカらしくなってきたぜこの馬鹿野郎。
もう、ええ。
「どうしたら治るのか」
10年以上ずっとこれをメインにしてきましたけど、もう、ええわ。
そーゆーアレではなくて、やっぱり「どうなりたいか」をメインにしたほうがいいですよね。
各種努力の結果、万一すっかり治ったとしても、その後になーんに残っていないのでは、あほらしい。
「治ってからがスタート」とか言ってたら、いつまでもスタート切れねえじゃねえか。
最近筋トレをしています。
もちろん、筋トレがパニックに効くという「触れ込み」に影響されたところはあります。
ただ、それだけでもありません。
ぼくには、理想とするゴールがあります。
筋トレをする人のなかには、ムッキムキのマッチョを目指すひともいます。
人によっては、そもそも筋肉をつけたくない、という人もいる。
とにかく強くなりたいという人もいれば、ダンサーのように身軽になりたい、という人もいます。
目指すゴールは、ひとそれぞれ。
「どうなりたいのか」
ぼくのばあいは、結局以下の条件は、できるだけ外したくないというのがあります。
・筋肉はつけたい。けど、
・ボディビルのような「見せる用」の筋肉は大きらい。オナニーみたいでキモい。
・強さは絶対ほしいけど、ただ強いんじゃなくて哲学性とかも欲しい。
・しなやかさと柔軟性は絶対にほしい。けど、
・ただ踊るだけとかは、あまり興味がない。
・柔道とか合気道、空手とかは格闘技としてはすごく好きだけど、もう少し全身を動かすのがいい。
・競争とか興味ないから、マランソンもあんまりグっとこない。
けっこううるさいなあ。なんなんだお前。
……けど、わかった!
ぼくの要望を完全に満たすものが、バッチリあるんですよね。
カンフーです。
こういうことなんですよね。
柔道、空手、合気道、ぜんぶ好きだけど、ぼくは関節をフルに使いたいのです。
180度開脚とか、日本の武道ではあまりしませんし、必要でもありません。
柔道なんかでは、しまいにはこんなことを言われます。
「あまり関節を柔軟にしすぎると、弱くなるぞ。」
いや、まあ、そうなのかもしれないけどさあ。
ぼくは、謎でしかたがないんです。
じゃあなんで、人間の骨格は、180度近く開脚できるようになっているの?
そうしなくても強さに関係ないからしなくてもいい、そんなの、ちょっと説得力ないじゃん。
動くようにできているところは、100%動かそうよ。
ヒジを反対側に曲げるとかなら、もちろんいらないよ。そういうふうにできていないから。
でもそう動くようにできているところは、動かせるほうがいいよ。ぜったい。
って、すげー思うんだよなあ。
ぼくが柔道はじめ、武道を心底好きになれないのは、こんな理由。
「強さ」「技」を追求するがあまり、全身の機能をフルに使ってない。
だから、ヨガはやっぱり、結構好きなんです。全部動かすもの。
でもヨガには、決定的な問題があるんですよね。
ケンカに弱い。
あたりまえですけどね。格闘技じゃないからね。
強さが、ないんだよなあ。
でもあの全身をくまなく動かすトレーニングは、とっても魅力的です。
カンフーなら、
・柔軟性がかなり必要。
・筋力もかなり必要。
・運動神経もかなり必要。
・関節をフルに使う。
・けっこう強い。
全部、揃ってるんですよね。
ぼくの要望を、くまなく叶えてくれる。
で、少林寺とかになれば(日本の少林寺拳法じゃなくて)、ついでに「哲学性」までついてくるんだ。
どうして気が付かなかったんだろう。
こんなに「ええやつ」があったのに。
もう、ええねん。
治るとか治らんとか、もう、ええねん。
治すための努力とか、なんかもったいないし。
ゴールを「カンフー」にしてみようと思うんですよね。
まずは、180度開脚ですね。
これができないと、なんにも始まらん(そんなことないけど)。
ビョーキを治すためにヨガするんじゃなくて、強くなるために、ヨガするんだ俺。
ビョーキ治すために筋トレするんじゃなくて、強くなるために、筋トレするんだ俺。