心火逆上して肺金焦枯。軟酥の法。

最近こそちょっとマシになっているけれども、この春になってからの一連の不具合は、なんと江戸時代の有名人も経験していたようです。

その名は、白隠禅師。

師は高名な禅のお坊さんで「禅病」に長年苦しめられたそうです。

師の著作「夜船閑話」には、当時の状況について、このように書かれています。

心火逆上し肺金焦枯して双脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして挙措恐怖多く、心神毛困倦し、寐寤種々の境界を見る。
両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探ると云へども百薬寸功なし。

これを現代語に訳せば、こうなる。

激しい不安のめに頭に血が上り、胸がざわざわして落ち着かず、両足とも氷のように冷たい。ザーザーと耳鳴りがやまず、いつも気が弱った状態で、何かしようにも恐怖が伴い行動に移れない。神経が衰弱してしまって、悪夢をみて安眠できない。常に脇の下に汗をかき、眼にはいつも涙がたまっている。名医をことごとく訪ねたがどんな薬も全く効かなかった。

 

心火逆上」。

この言葉は、ぼくの「のぼせ」を、まことに完璧に表現しています。

まさに、この文字のとおり。

心の火が、逆上している感じなんだ。

 

試しに禅師の症状をリストにして、ぼくの症状と完全に合致するものに◯、たまにあるものを△、ないものを×としてみた。

 

◯ 心火逆上―激しい不安のめに頭に血が上る。
◯ 肺金焦枯―胸がざわざわして落ち着かず。
◯ 雙脚氷雪の底に浸すが如し―両足とも氷のように冷たい。
△ 両耳渓声の間を行くが如し―ザーザーと耳鳴りがやまない。
◯ 肝胆常に怯弱―いつも気が弱った状態であった。
◯ 挙措恐悲多く、動に入るを得ず―何かしようにも恐怖が伴い行動に移れない。
◯ 陰壁のところに死坐す―人気のないところにひっそりと身を隠す。
△ 心神困倦し―神経が衰弱してしまっている。
× 寐寤種々の境界を見る―悪夢をみて安眠できない。
× 両腋常に汗を生ず―常に脇の下に汗をかく。
× 両眼常に涙を帯ぶ―眼にはいつも涙がたまる。
◯ 広く名医を探ぐると雖も百薬寸効なし―名医をことごとく訪ねたがどんな薬も全く効かなかった。

 

ほぼ一緒だ。

 

こうしてみると、白隠禅師は、完全にパニック障害と広場恐怖症、自律神経失調症だったと思われます。

当時神経医学なんてたかったろうから、さぞかし不安なことだったと思います。

そしてこれは、かなりヒドいです。

このリストにはないですが、どうやら幻覚まであったんだそうで。

地獄だったろうなあ。

 

さてそんな師も、「軟酥の法」や「内観法」というのを行うようになって、完全に治ったんだそうです。

白幽子という仙人から教えてもらったのだとか。

これを本に書いて出版したところ、日本中から「難病が治りましたっ!!」といって感謝の声がとどろき、お寺に金品を捧げにくる人が多数いたそうです。

 

さて、軟酥の法というのは、以下のような瞑想法だそうです。

 

(1)あぐらをかいて目を閉じ、大きく息を吸いこんでゆっくり吐く。
(2)頭の上にニワトリの卵のような大きさと形の「軟酥」が載っているとイメージする。軟酥とは万能薬で、味よく、香りよく、柔らかい薬のこと。ゆっくりと呼吸をしながら、頭のてっぺんの軟酥が頭の熱によって溶けていくイメージをする。
(3)軟酥は溶けながら、頭の脳細胞をひたし、首、肩、胸をつたって、体の内部深くまでジワジワと溶けこんでいく。
(4)目の奥、鼻の奥、耳の奥にも軟酥がしみこんで治していく。食道にも、胃にも、心臓にも、肺臓にも、肝臓にも、ぜんぶの内臓に軟酥がしみこんでいく。体の奥へ奥へとつたわって、腸のあたりにもしみこみ、体中のあらゆる悪いところを溶かしながら、腰から下へもつたわっていく。
(5)腰から太もも、膝、すね、足首をつたわって、やがて両足の裏から、真っ黒な液体が外へしみ出していく。
(6)この真っ黒な液体は体の中のすべての悪いものが溶け出したもの。軟酥は悪いものを溶かし、足の裏からポタリ、ポタリとしみ出していく。
(7)そのしみ出す液体も、やがては白くなっていく。それは体の中の悪いところが浄化されて、治ってきた証拠である。
(8)やがて無色透明な液体が足の裏から出てくるようになる。そのイメージが出てくると、体中の悪いところはすべて消えて、すっかり健康になった。

 

軟酥の法、けっこう有名かもしれないですね。

知ってはいたけど、そういえばこれを真面目にやったことはなかったような気がします。

リラックス法としてもかなり有効なようなので、やってみて損はないでしょうね。

 

ちなみに白隠禅師が病気になった原因は「根を詰めた」ことなんだそうです。

勉強熱心な方で、ある日悟りのようなものを得て歓喜し、この悟りをもっと研ぎ澄まそうと躍起になって修行をしていくうちに、おかしくなってしまったんだそうです。

現代風に言えば、過労でしょうか。

とにかく、凝り性のように根を詰めて物事に取り組むと、こういった病気になってしまうのかもしれません。

ぼくもすこし、自覚があります。

凝り性で集中力が強く、わりと完璧主義の傾向があります。

これは良い方向に向かっているときは最高の性格なんですが、やりすぎてしまったら、最悪に傾く。

 

まじめ、凝り性、集中力。

世の中には、こういうのが欲しくてたまらない人がいるいっぽうで、これが「ありすぎる」ために、心身が壊れてしまう人もいる。

ほんとにもう、うまいこといかんねえ。

過ぎたるは及ばざるが如し。

なんでも、中途半端ぐらいで、ちょうどいいんだ。

中途半端が許せないのは、心が強いからとかではないです。

心に余裕がないだけです。

 

 

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