パニック障害やウツのひとはセロトニンが足りないということで、SSRIというクスリで治療をすることがあります。
一説によると、ジョギングなどの運動のほうがSSRIよりも効くという話もあるようです。
ハーヴァード大学医学部のジョン・J・レイティ博士の本に書いてありました。
不安障害や各種恐怖症、パニック障害でも、運動に強い効果が見られるというのは、もはや定説となってきているようです。
ぼくは長年パニック障害を患っていますが、ぼくも感じるところがあります。
結局、運動運動といっても、パニック障害に効くのは「ジョギングとサイクリング」ということに帰結しそうな気がしています。
じつはこの4月から、NHKの「筋トレ体操」を毎日続けています。
1ヶ月継続した時点で思うのは、筋トレは確かに「強い気持ち」を醸成するのには効果がある、と感じています。
しかし残念ながら、外出恐怖や予期不安というものについては、筋トレはあまり大きな効果はないようです。
これはあくまで相対的な比較なので「筋トレに抗不安効果はない」と言っているわけではありません。
筋トレよりも、ジョギングやサイクリングのほうが、圧倒的に抗不安効果が高いと個人的には感じています。
ぜんぜん違うのです。
ジョギングなら、たった1km弱を軽く走っただけでも、かなり気分がスッキリして、よけいな不安を感じなくなります。
そして外出恐怖についても、一気に改善することがあります。
しかし筋トレの場合は、1ヶ月毎日続けても、いっこうに外出恐怖や予期不安の改善には至りません。
気分の落ち込みや、弱々しい考えに陥りそうになることをグっと食い止めることは可能ですが、予期不安を「吹っ飛ばす」ことは、筋トレではどうしてもできないのです。
これは、ヨガとよく似ています。
ヨガはかれこれ4年続けていますが、ヨガによってパニック障害や予期不安が改善されたことはありませんでした。
上記の本「脳を鍛えるには運動しかない!」P116に登場する、パニック障害のエイミーさんも、同様のことを言っています。
ヨガは「こころを落ち着ける」効果は抜群だけれども「不安をふっとばす」ことはできないのです。
これはぼくの身の回りでも同様の意見をよく聞きます。
・ヨガ、筋トレ
・ジョギング、サイクリング
この2種の運動の違いは、何だろうか。
それはひとえに「心肺への負荷強度の差」ということかと思います。
パニック障害、不安神経症、予期不安、不眠症、恐怖症。
これらの症状は、東洋医学では「気滞」というそうです。
気が、滞っている状態。
なので、パニック障害等を改善しようとするならば、「気の循環」を促す必要があるというわけです。
ヨガや筋トレというのは、基本的には一箇所にとどまって行う、いわば「静的な運動」です。
かなりやりこんでも、「ヒイヒイ息があがる」「呼吸が苦しくなる」ということは、あまりありません。
筋トレは確かに辛い運動ではあるけれど、こと心肺に限って言えば、それほど強い負荷があるわけではありません。
ヨガも同様で、むしろ心肺に負荷をかけないようにすることが肝要です。
いっぽう、ジョギングやサイクリングというのは、筋負荷というより心肺への負荷が高い運動です。
心臓が強く動き、下半身の筋肉を酷使し血液をポンプし、血流が旺盛になり、息があがって換気もまた旺盛になる。
「気滞の改善」という点だけでいえば、旺盛なる気血の循環が見込めるジョギングやサイクリングに軍配が上がる、ということなのだと思います。
かつては「運動なら何だっていいんだ」と思っていた時期もありましたが、以降もろもろ自身の経験に基づけば、目的別に各種運動を行うほうがより良いのかな、と思いました。
■ 不安の改善、リフレッシュ
・ジョギング
・サイクリング
・登山
・水泳
■ 強い意志、自信の醸成
・筋トレ
■ リラックス、統合
・ヨガ
・ウォーキング
・瞑想
十把一絡げに「とにかくなんでもヨガ」「とにかく筋トレ」「とりあえず走っとけ」というのは、やはりあまり合理的ではないのかな、と思いました。
運動にはそれぞれ特長があり、またいっぽうで、弱点もあります。
だから、なんでもかんでも1種類のものだけで完了させようと考えてしまうのもまた、怠惰の一種かもしれませんよね。
筋トレ推進派の人は「自信さえあれば何でもうまくいく!」と言うひとが多いですが、自信過剰のデメリットを論じることがありません。
ヨガ推進派の人は「内なる平和こそが最重要である」と言うひとが多いですが、焦燥感や不安について、提示した方法で改善が見込めない場合は「修行が足らん」的なことで一蹴してしまう傾向があります。
ジョギング推進派の人は、「走る中毒」になっていく人が多く、足を壊してもまだ走ろうとする人もいます。
ゴハンと一緒で、バランスが大事な気がしてきました。
偏ったことばかりするのは、あまり良いことではないのかもしれません。
何かを突き詰めるということは、その何かが持っている、どうしようもないデメリットさえも享受する覚悟が必要です。
この世界には「完全なものごと」など、なにひとつなく、実情は不完全なもの同士が弱点を補完しあって、完全に近づいていきます。
だから何かひとつの方法論だけで解決しようという試みは、それこそが神経症的欲求かもしれませんし、傲慢な考え方かもしれません。
ただ元気になりたい、状況を改善したい、そういう謙虚な目的ならば、ストイックになる必要もないのでしょう。
不安を感じたり、もやもやしたら、走っとけ。
気が弱くなったり、自信がなくなってきたりしたら、筋トレしろ。
ゆっくり落ち着きたいときには、ヨガをしろ。
そんな感じで、臨機応変に柔軟に使い分けていったほうが、いろいろ良さそうです。
そしてゴハンと一緒で「腹八分目」も肝要ですよね。
なにごとも、やりすぎたら、及ばざるが如し。