うーん、やっぱり自律訓練法って効くなあ。
かつてよく助けてもらった、立原啓裕の自律訓練法。
立原さんの「ええ声」で、自律訓練法をナビゲートしてくれるCDです。
やっぱり朝から、そわそわ、そわそわ。
うおおおおおおおおおお、と、と、と、とにかく、な、な、な、なにかをしないとっ!
ち、ち、ち、地球が滅びるっ! 的なっ!(滅びないっちゅーの)。
そんな理不尽な交感神経ド興奮を鎮めるために、上記の音源で自律訓練法をしましたら、ほどなくして収まりました。
あ、しんどかった。
ぼくはいったい、なにを焦っているんだろう。
休みの日なのに。
不思議なもので、これはじつは「休みの日」にこの傾向が強いのですね。
じつは平日は、それほどひどくないのです。
理由はかんたん。
「仕事ができるから。」
仕事に集中していると、そわそわしません。落ち着く。
ほんとにもう、情けないけど、仕事中毒なんですかねえ。
土日などの休日は、仕事をしないから、気持ちだけが暴走してしまうのかも。
さてこんな状況を、最近勉強中のアーユルヴェーダで考察してみて、思いついたことがあります。
自然のリズムに合致しない生活をしているからじゃないか。
アーユルヴェーダでは、24時間を4時間毎に分割し、1日のリズムを以下のように定義しています。
朝6:00〜10:00 カパ(水)
10:00〜14:00 ピッタ(火)
14:00〜18:00 ヴァータ(風)
18:00〜22:00 カパ(水)
22:00〜朝2:00 ピッタ(火)
朝2:00〜6:00 ヴァータ(風)
この感じはべつにインド哲学などという難しいことをわざわざ持ち出さなくても、そりゃそうかな、というのはあります。
朝起きてしばらくは、ふつうはぼーっとして、からだも重いし、あたまも回らなくて、動きが鈍重になるものです(水)。
で、だんだん血行が旺盛になって目が覚めてきて、気合が入ってくる(火)。
そして午後からは活動的、動的になってきて(風)、日没近くになるとおとなしくなって、だんだん眠くなってくる(水)。
よく自律神経失調症について、ネットなんかでこういう記述を見かけるのです。
「朝起きてもやる気がおきない、眠い、布団から出られない。そんな状態は自律神経失調症の可能性があります」
うそつけ。
ぼくは、これは「ごく正常」だと思うのですよね。
とくにアーユルヴェーダ的には、とてもすなおに、自然のリズムに合致していると思う。
ていうか、うらやましいんです。果報者じゃないか。
朝目が覚めて、突如として興奮状態になり、ウオオオオオオオオオーーーー、ギャオオオオオオオーーーー、ウオリャアアアアアアア!!!!
まるでサイヤ人かのごとく、怒髪天を衝き、暴走しはじめる。
そんなぼくの朝に比べれば、平和で静かで、いいじゃないですか。
「朝起きてもやる気がおきない、眠い、布団から出られない」
これが問題になるのは「会社や学校に行かなければならない」からなんですよね。
いまからしなければならないことがあるのに、どうしてもカラダもアタマも動いてくれないから、困ってる。
そこで、この「しなければならないこと」を、よくよく見てみる。
その「仕事」だの、「家事」だの、「学校」だのというのは畢竟「ヒトの都合」に過ぎないものなのであって、大自然のリズムとはほとんど関係がありません。
経済活動などの社会システムとして必要なことにすぎない。
問題は、この社会システムとして必要なことが、そもそも大自然のリズムに合致していないということなんだと思います。
朝9:00に出社するということは、朝の7時くらいには起きて、いろいろ準備しなくてはいけませんよね。
ということは、もう朝の7:00から仕事は始まっているようなものです。
「カパの時間」の真っ最中に、いろんなことをしなくてはいけないわけです。
そりゃあ、神経おかしくなるわなあ。
ぼくなんか、もっとひどいです。
なんの制約もなければ、ぼくは朝の5:30から仕事を開始したりしています。
「朝のそわそわ」を、できるだけ客観的に、時間計測してみたんです。
そうすると、
朝5:00起床 → すっきり目が覚めて、機嫌は良い。元気いっぱい。
5:30〜 → そわそわ、スタート!
5:30〜6:00 → 完全に覚醒し、あたまがフル回転しはじめる
6:00〜10:00 → 手足が冷え、動悸がして、ひじょうに焦り、恐怖すら感じるほど。ソワソワ花びら大回転。最悪の場合、パニック発作に至る。
10:00〜12:00 → そわそわ感が消え始め、落ち着いてくる
12:00〜13:00 → 微妙にそわそわするが、基本的に安定
13:00〜 → いたって普通、たいへん落ち着いている。眠いくらい。
という感じです。
で、これを、毎日の業務スケジュールに照らし合わせてみる。
朝5:00起床
5:30〜 → 散歩、体操など
5:30〜6:00 → 朝食後、業務開始。難しい作業から開始する。
6:00〜10:00 → 業務は佳境に至る。非常に重い作業をこの時間帯に行う
10:00〜12:00 → もっとも集中している時間帯。
12:00〜13:00 → 昼食
13:00〜 → メールチェック、翌日のスケジューリング、経理等、軽微な作業
「午前中の興奮フロー」と、「日々の業務負荷」が、かなり一致していることがわかります。
つまり、こういうことかもしれません。
神経の覚醒と興奮が、体内時計にインプットされ、それを休日でも再生実行しようとしている。
問題は、朝に興奮しすぎていることかもしれないな、と思うのです。
よく生産性向上のためのハウツー本などでは「朝に難しい仕事を集中させよ」というようなことを言います。
だから早起きして、午前中にガッツリ仕事をして、午後からは読書や軽微な作業に当てよう。
世界の偉人はみんなそういう生活をしている、とか、そんなへんなことを言うのですよね。
それは、やっぱり、ヘンなのです。
ヒトは太陽とともに、活動するようにできているはずです。
朝日が昇り、気温が上昇し、明るさが激しくなるにしたがって、神経も興奮するようにできている。
しかし、上記のような生活は、まだ朝日が登り始めたばっかりの序盤に、神経大興奮をスケジュールしている。
これはものすごく、不自然なことなんじゃないでしょうか。
大自然の神経興奮スケジュールとズレたことをしているから、カラダのほうも混乱して、暴れだすのではないか。
「生産性」などという、たかが社会システムのようなことにとって都合の良い方法論に、まんまと引っかかってしまったんですよね。
そもそも社会というのは、ヒトのためにあるんです。
ヒトをしあわせに、健康にできないようなシステムは、欠陥品ですわなあ。
ヒトを中心に置かず、売上だの作業スピードだの効率だのという、ただの枝葉に過ぎないことのために、大自然のリズムをガン無視する。
これは「バチが当たって」当然かもしれませんよね。
「朝、だるいんです……」
それは、ものすごく、普通のことなんだと思う。
普通なのに「一般的な社会システムと合致していないから」あなたは異常である、なんて言うのは、どこのどいつだ!
もしかして、悪魔じゃないのかな。
仕事や勉強というのは、朝の10時開始ぐらいで、ちょうどいいんじゃないか。
朝は6時前ぐらいに起きて、呆然とする。なんにもしない。
2〜3時間かけて、ゆっくり自然に目を覚ませていって、活動的になってくる「ピッタ(火)」の時間帯、10時ごろに、ようやくアタマや神経を興奮させる。
で、夕方18:00ぐらいまでの「ヴァータ(風)」の時間帯までに、仕事や勉強は、すっかり終わらせてしまう。
18:00以降の「カパ(水)」の時間帯は、もう寝るための準備期間なようなものだから、仕事も、勉強も、遊びも控える。
原則的に、夜更かしして飲み歩き、食べ歩きもしないようにする。
10:00〜18:00勤務。
間に休憩を挟むから、実質は6〜7時間労働ですね。
そんなもんじゃないかな?
ぼくは普段の生活リズムのせいで「神経興奮が前倒しすぎる」ところがあったのかもしれないです。
たしかに、朝の6時から仕事をすれば、電話もかかってこないし、集中はしやすいです。
しかし、よく考えてみれば、集中したいときは電話を切っておけばいいだけの話じゃないか。
別途必ず折り返しすれば、それでなんの問題もないのです。
時計じゃなくて、太陽といっしょに、がんばろう。
上司や客や先生や先輩や親が言うことではなく、太陽に、したがおう。
太陽がいちばん元気な時間帯に、元気に働こう。
やっぱりこれが、基本原則なんじゃないかな、と思いました。
日の昇る前、あるいは、日が落ちてからも仕事をしている。
それはがんばりやさんとか、まじめだとか、夢に貪欲とかじゃ、ないんだと思います。
ただのバカで、謗法者。
ヒトとして、まちがったことをしているのだと思います。
ヒトがつくった、幻と全くおなじ便宜的な社会システムなんかに、まどわされるな、迎合するな。
ヒトは「生き物としてのヒト」をまっとうすることが、いちばんだいじな使命で、仕事だと思います。