なんだこの、春の不調は。
パニック発作は連発するわ、血圧は急上昇するわ、午前中にそわそわ・いらいらしまくるわ、息苦しいわ、だるいわ、あちこち痛いわ。
こんなもん、不安になるなというのが、どだい無理な話でもあります。
確かに、症状だけを見ていると、あちこち悪くなっているような気もします。
しかしもうすこし後ろに引いて、遠目から見てみると、「悪化しているわけがない」とも思うのです。
そもそも、ずっと調子は良くなかったのです。
今年の2月ごろ、別件で抱えていたわりと大きめのプライベート問題が解消しました。
その直後、ぼくは原因不明の高熱と腹痛を発症し、ほぼ2週間まるまる寝込みました。
そんなに長期間寝込んだのは、もしかすると生まれて初めてかもしれません。
腹痛は治りましたが熱は不安定で、加えてその後はずっと胃の調子が優れず、逆流性食道炎のような胸焼けが続きました。
パニック発作も、発熱するたびにしょっちゅう出ます。
また、とつぜん声がかすれて声が出なくなることもありました。
そういう症状が、4月の中頃まで続きました。
少し落ち着いたなと思ったら、今度は午前中に異様にソワソワするようになり、ひどい倦怠感を感じ、頭痛もよく出て、腰痛も出るようになりました。
急激に手足が冷えてのぼせ、不安になり、意味不明に大汗をかいたりします。
血圧が急上昇するようになりましたし、パニック発作はほぼ毎日出るぐらいの感じになってしまいました。
こうして症状だけ書いていると、わりとヒドい感じがします。
しかし実際には、ずうっと症状があるわけではなく、強いのはほぼ15分程度ですし、それ以外は小康状態で午後からはかなり落ち着いていることが多いです。
しかし倦怠感と若干の息苦しさだけは、大波小波を繰り返しながら続いている、という感じです。
だから、病院に駆け込むほどのことでもないのです。落ち着いている状態のほうが、多いといえば多いのです。
さてこのような症状を、点として捉えると、なにか重篤な病が隠れているのではないかと不安になります。
しかしもう少し巨視的な視点、時間も含めた三次元的な視点で見てみると、あながち悪化しているとも言えないのです。
1.抱えていた現実的な諸問題が解決した。
2.2月末に出た発熱と腹痛以来、完全に酒をやめた。
とくに「2」は、ぼくとしては衝撃的なことです。
かつては大酒飲みで、まったく休肝日なく大量に酒を飲んでいました。
2年ほど前にかなり酒の量を減らして、1日に360mlのビールを2〜3本、それを1週間に2〜3回というペースに変わりました。
この量は、かつてのぼくからすれば「飲んでいない」のと同義なくらい、微小な酒の量です。
しかし飲んでいることには、違いがありません。
それが例の発熱と腹痛以降、一滴も飲まなくなってしまったのです。
それがほぼ、2ヶ月続いていることになります。
とつぜん、酒をやめた。
このことが、今回の症状と関連があるような気がしたのです。
考えてみれば、あれだけの量の酒を飲んでいたら、からだに良いわけはありません。
今回の症状は、ひとつひとつ見ていくと、どうも肝炎の症状に似ているのです。
お酒を完全にやめたあとに、肝炎っぽい症状が出るというのは、どうも解せません。
しかし、聞いたことがあります。
「症状は、すべて治癒反応である」
ということを。
風邪で熱が出て、咳や鼻水が出るのも、治癒反応です。
治そうとしているから出る反応。
だからクスリで症状を抑え込むと、かえって風邪が長引くのだそうです。
肝炎ぽい症状も、治癒反応なのではないか。
ふとそう思ったのです。
いままでは、ストレスもあり、お酒もけっこう飲んでいました。
肝臓はストレスによって受けたノルアドレナリンの分解、アルコールの分解、そしてアルコールの分解によって生まれたアセドアルデヒドの分解などに必死だった。
しかし明確なストレスがなくなり、お酒も飲まなくなったことで、肝臓は急に暇になりました。
そこで肝臓は、「自身の治癒」に、動き始めたのではないか。
体内の毒素分解の必要性が薄れてきたために、そのパワーを「自己修復」に当て始めたのではないか。
そこで、西洋的には肝炎の、東洋医学的には肝気亢進の症状が、一気に出るようになったのではないか……。
薄皮を剥くように、日に日に良くなっているんです。
とくに今日などは、若干不安定なこともありますが、朝からかなり落ち着いていいます。
倦怠感もかなり減ってきました。
まあ、だからといって「よっしゃあ、山登りにでも行くか!」とまでは、いきませんが。
ちょっとカラダが重いけど、ふつうに生活するぶんにはなんとかなる、という感じです。
だいぶマシなんです。
そもそもの話、パニック障害というのは「肝の疲労」であるという説はあります。
何らかの理由で肝が疲労し、肝気が亢進し、動悸やふらつき、不安、焦燥感、抑うつ感、絶望感などが出るという。
パニック障害で漢方医に相談すると、肝気亢進を抑える薬を処方されることが多いそうです。
肝の疲労は、アルコールやカフェイン、ニコチンなどの化学物質の摂取はもちろん、そのほかにも不規則な生活や過剰なストレス、寝不足、目の使いすぎ、偏った食生活もまた原因なのだそうです。
攻撃的な気分が続くとノルアドレナリンが過剰分泌し、これは一種の毒なので、肝臓が分解しなければなりません。
だからストレスは、肝を疲労させるのですね。
そして肝気の亢進というのは、そもそも肝がまあまあ強いからできることでもあります。
「治そうと頑張ることができる」のですよね。
だからパニック障害は、若い人に多いのかもしれません。
治そうとする元気さえなければ、ただたんに、肝臓が壊れてしまうだけですから。
なぜ急に、酒をやめたのか。
今回ぼくは全く努力をしていません。
なぜか、飲みたいと思わなくなっただけ。
飲んだほうが気分が楽になることを知っているのに、欲しくなくなった。
だから、まったく辛抱も我慢もしていません。
「お酒を我慢するストレス」さえ、ないのです。
そもそも、お酒を急激に減らせたのは、以外なことで「外出恐怖症」のおかげなんです。
そもそも「飲みに行けなくなった」んですよね。
おいしいお店を探して、仲の良い友人たちと飲み歩くのが、ぼくの趣味のひとつでした。わりとグルメなんです。
だから外出ができなくなったことは、当初はたいへんショックだったのです。
しかし長い目で見れば、この外出恐怖があったからこそ、酒の量が激減し、結果、とうとう断酒に至った。
また、外出ができず遊びにいけなくなったことで、仕事に集中するようになりました。
ていうか、仕事しかすることがないんですもの。
このおかげもあって、抱えていた個人的な問題が解決したところもあります。
症状だけを見ていると、なんだか悪化しているようにも見えます。
でも巨視的に見れば、全体的には良い方向に向かっているようなのです。
だから、思うのです。
ぼくの努力とは関係なく、良くなる方向に導かれていたのではないか
ちょっとオカルティックではありますが、そう考えないと説明つかないところもあります。
断酒も、外出恐怖も、決してぼくが望んだことではありません。
むしろ、絶対に望まないことです。
しかしこれがあったからこそ、断酒ができたし、仕事にも集中して生活が安定するようになり、あまつさえ個人的な問題も解消した。
逆にいえば、もし外出恐怖にならなければ、今頃かなり大変な事態になっていた可能性が大です。
すくなくとも、アル中になっていた可能性は高いです。ていうか、間違いなくそうなっていたと思う。
鳥は自らの意志で飛んでいるのではなく、飛ばされている。
魚は自らの意思で泳いでいるのではなく、流されている。
中国には、そういうことわざもあります。
ヒトもなにかに「動かされている」のかもしれませんよね。
悪くなっているのではなくて、良い方向に動かされている。
症状があったとしても、それは治癒のあかし。
頑張ったって、戦ったって、結果は変わらないことも多いです。
「頑張ったらうまくいく」などと本気で言っている人は、まだ完全には信用しないほうが良いそうです。
精神が成熟していなくて発達途上だから「頑張ることが全てではない」と腹の底で理解できるまで、すこし待ってあげたほうが良いんだそうです。
ぼくも、そういう意味ではまだ未成熟なところがあります。
こころのどこかに「頑張らなければ」というのが、すこーし残ってる。
でもパニック障害や外出恐怖を経過して、ちょっとだけ腑に落ちてきています。
努力が全てじゃないし、人は動かされて生きている。
良い方向に動かしてもらうために努力することは、思いやりを持つことと、正しい生活を送ることだけ。
そんなふうなことも、屁理屈ではなくて、実感として理解できるようにはなってきました。
少しだけ、ですけど。