集中するな。気を散らせ。

もう思い切って言っちゃうけど、風水が嫌いです。

正確にいうと、風水という理論じたいはきらいじゃないけど、それを使ってあれこれ言うひとが嫌い。

というのも、そういうひとたちはステレオタイプな固定概念にとらわれて、無用にひとを縛り付けていくことが多いからです。

 

かくいうぼくは、一時期わりと風水に凝ったことがありました。

運勢とか金運とかはわりとどうでもいいけど、そんなことより自律神経失調症がマシにならないかな、と期待をしていたのです。

結果から言うと、全然効かないばかりかよけいに悪くなった。

 

風水理論じたいに、問題があるわけではないのです。

けっこう心理学的なことも多くて、あながち迷信とは言い切れないです。

仕事部屋のレイアウトで、たとえばぼくは以下のようなことを守っていました。

・「望空」を避ける → 窓の真正面に机を置くと気が散ってしまうので、よろしくない。
・「空背」を避ける → 座った位置で、背中に大きな空間やドアあると気が散って集中できないのでダメ。
・「印堂」を圧迫しない → 印堂とは眉間のことで、机の正面が壁だと印堂を圧迫するので、圧迫感があって良くない。

さて、上記のことは確かに正しいと思われるのです。

机は部屋の入口に向かうように置き、背中に壁がくるようにする。

いわば、社長室の机の配置みたいな感じですね。

そうすると確かに、非常に集中力が高くなるのです。

よって仕事もはかどるし、効率もアップします。

だから、言っていることが間違っているわけではないのです。

 

ぼくがムカついているのは、じつはまさに、このところなのです。

集中、気を散らさない、効率が良いということを、あたかも良いことにように言ってる。

ちゃんと考えずに、本とかネットで勉強したことを教科書通りにペラペラしゃべっているだけなんですよね。

集中するということが、ほんとうに良いことなのか。

気を散らなさいでいると、どういうことが起こるか。

効率が良いということの、欠点はなにか。

こういったことを一切考えてないのです。

 

風水で良いというレイアウトにすると、自律神経が壊れます。

なぜか。

集中しすぎて、過労になってしまうのです。

 

やってみたら、わかります。

仕事部屋を、風水的に良いといわれる配置にしたら、そりゃもう、仕事が捗る捗る。

結果、何時間もぶっ通しで仕事をしてしまうのです。

「途中で休憩を挟めばいいのに」

そのアドバイスは、無効です。

なぜならば、集中しているので、時間が経つのを忘れてしまうのです。

 

過労になるんですよ。

とくに、嫌いではない仕事、好きな仕事ならなおさらです。

いくら好きな仕事であっても、何時間も座りっぱなしでやりつづけたら、からだにも、神経にもわるいです。

 

強く集中すると、なにが起こるか。

東洋医学的には「気滞」というのが起こるのですね。

で、気が滞ると、肝気が亢進しはじめる。

いらいら、そわそわ、のぼせ、不安、恐慌などが起きやすくなってしまうんですよね。

ぼくたちが子供のころからよく言われていた、

集中しなさい。

じっとしなさい。

おとなしくしなさい。

よそ見しなさんな。

こういうアドバイスは、非常に効率的に気滞を起こさせるのです。

 

こういうことは、学校でよく言われます。

そもそもの話、なぜ集中することや、気を散らさないこと、じっとすることを求めるのか。

それは学校というものが元来、工場労働者の育成を目指していたからです。

当初学校というのは、産業革命のころ、工場において経営者の都合に最もよく合致した人材を育成するために作られたのです。

ある意味、奴隷育成機関ともいえますね。

だけどもちろん、それは最初の頃だけの話です。

今ではそんな前時代的な教育をしている学校はないと思います。

でも「余韻」がまだ残っているのですね。

集中、効率、気を散らさないということが、いまだに非常に大切であると考えられている。

そりゃそうだ。

学校は結局、工場労働者育成から、頭脳労働のサラリーマン育成機関に変化しました。

しかしこれまた、経営者にとって都合の良い人材の育成機関なのですよね。

よく言うことを聞き、集中して仕事をして、遊び回らず、勝手なことをしない人が「有能な人」となっていったのです。

結局、あまり変わってない。

 

最近ようやく働き方改革などといって、「働くマシーン」から脱却することを目指すようになりました。

労働とはなにか、仕事とはなにか。

そういった一種哲学的なところにも、すこし目線が動き始めたのです。

とても良いことだと思います。

このように、大きく時代が変わろうとしている場合、風水も考え方を改めねばならないと思うのです。

いつまでもばかみたいに、集中、気を散らさない、効率化というようなドグマに汚染されたまま、ぺらぺらと軽薄に風水を語るのはヤバいと思うのです。

風水には効果があるからこそ、それを扱う人も、ちゃんと時代に合わせて変化するべきだと思うのです。

 

まあ風水の悪口はこれくらいにして、だから最近、一般の風水がダメだというレイアウトにあえて変更しました。

・真正面に窓
・背後にドア。

で、どうなったか?

わりと気が散って、仕事に集中できなくて、いい感じです。

疲れてきたら、すぐ立ち上がって部屋を出ていってしまいます。

そういうことなんですよ。

集中なんか、しちゃダメだ。

 

武道でも、絶対に守らなくてはならないと言われていることがあります。

・集中してはならない。
・見つめてはならない。
・固まってはならない。

古来、日本や中国、インドなどのアジア圏では、武道や健康法、宗教の各種修行法などにおいて、過度に集中することを禁忌としている傾向があります。

集中するのではなく、柔軟に変化すること、広い視点で観察すること、感じること、緊張しないこと、拡散すること、こだわらないこと、一箇所に滞留しないことを「よし」とするのです。

座禅でさえ、集中するのではなく、ただ眺めよと言われます。

そりゃそうですわなあ。

集中し、気を集めてしまうと気の滞留が起こり、いらいら、そわそわ、怒りなどが出やすくなります。

結果、心の平安がかき乱されしまう。

そうなると、集中とかを言う以前の問題になります。

からだにもわるいです。あたまおかしくなる。

 

集中とか、気を散らすなとか、そもそもは欧米から入ってきた産業革命時代の古い思想なんですよね。

ヒトを機械かなにかのように扱う、倫理的におかしな話。

人間というか、動物というのは、原則「集中」はしてはいけないはずなんです。

集中するということは、その対象以外の情報を全部放棄してしまうということで、それはたいへん危険なことでもあります。

全体をぼんやりと、広い視点であまり根を詰めずに眺めているからこそ、些細な変化を感じることができて、すばやい対応も可能です。

しかるに、椅子に座り込んで仕事にギンギンに集中するなど、それは本来、生物的に不自然な行為なはずなのです。

それを「よし」としたのは、国家レベルでヒトを優良な労働者に仕立て上げ、経済を活性化させる目的もあったんだと思います。

集中力高く、気を散らさず、一箇所にとどまって仕事に邁進するマシーンのような人材は、国家にとってありがたい存在ではあると思います。

 

もちろん、集中することは、時には必要だとは思います。

しかし集中しすぎることによって生まれる不具合ということも、ちゃんと考えるべきだと思います。

パニック障害や自律神経失調などは、もともと集中力が高く勤勉な人がなりがちな病気です。

そういうひとが、さらに集中できる環境を風水で構築したら、悪化するに決まっています。

集中力の強いひとは、ぎゃくに集中力を低下させ、気を分散させる工夫もしていったほうが良いのだと思います。

というか、これからの世の中は、集中や効率化、勤勉と逆の方向に動いていくほうが良いかもしれません。

集中や効率や勤勉は、今後はAIや機械がやっていくことです。

ヒトに求められることは、これからの10年20年で、大幅に変わるはずです。

「ちゃんと遊べる」

「広い視野を持っている」

「柔軟な思考」

そういったことが、今後は大事になってくると思います。

集中とは逆で、「拡散していく精神」が必要ですね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です