ネットでたまたま見つけた、いいことば。
「生まれ変わるなら生きてるうちに」
ツイッターのタグであるようなんですね。
ある日突然独り身になった、
ハゲ散らかした中年オヤジが、
ボディメイクのコンテスト出場を目指してトレーニングを始め、
コンテスト出場を通じて女性と出逢い
今は幸せに暮らしていると言う物語は実話である。
(※申し訳ございません。のろけました。)#生まれ変わるなら生きてるうちに pic.twitter.com/n85kDzKv6g
— しらぴょん (@lonestarsde66) 2019年5月15日
ダンサーとして生活してたけど、子供の頃から大好きだった落語をいつしか自分もやりたくなり、どうしても諦め切れなくて転身。
第二の人生と言うけれど、正に生まれ変わった感じ。#生まれ変わるなら生きてるうちに pic.twitter.com/qxd5V9aa5D— 三遊亭楽天 (@3utRakuten) 2019年5月18日
生まれてから生粋の一重。
小学五年生で澤穂希さんを経由し、
中学は顔パンパンマン。
高校でカッコイイ人を目指した結果、男の子に間違えられていたレベルの女の子(仮)が、
アイプチやって、化粧覚えて、可愛くなる努力したら普通の女の子になれました。
#生まれ変わるなら生きてるうちに pic.twitter.com/0IDCQjSEn7— 成田早織⚾ (@saorin_naritan) 2019年5月16日
「生まれ変わるなら生きてるうちに」 っていうのは、輪廻があったとしても、なかったとしても成り立つ最強のコトバですね。
■ 輪廻があった場合
「今生で変われない」者が、どうして「来世で変われる」と思うのか。
今生であきらめてしまうような者が、どうして来世で根性を出せると思うのか。
今生で大きくは変われなくとも、ほんの少しでも変わることができれば、来世で変われる可能性が少し生まれる。
しかしあきらめてしまって、なげうってしまったら、来世でも全く同じことをする可能性が高い。
■ 輪廻がなかった場合
今生で変わるしか、道は残されていない。
確かに、あきらめは肝腎でもありますね。
でもこのあきらめは「誤った方法を諦める」ということなんだと思います。
生きることや、目的そのものを断念してしまうことではない。
だからぼくも、変わろうと思う。
パニック障害や外出恐怖について、もう10年以上もいろんな努力を重ねて、でもしっかりとは治らずにいます。
正直もう、あきらめてしまおうかなと思うこともあります。
しかしあきらめたら、もっと悪くなるんですよ。
まだ戦っている間のほうが、マシなんです。つらいけど。
これはおそらく、ホルモンの関係かなと思うんですね。
あきらめて、受け入れてしまったら、ホルモンが激減するんだそうです。
そうなると精神まで老化して、臆病、気弱、陰鬱な気分になってしまう。
パニックはようするに「心が折れてしまった」のだと思います。
だから気が弱くなると、またやられる。
人間には、折れて良いところと、折れてはよくないところがあります。
たとえば関節は柔軟に折れるべきだけど、骨は折れてはいけません。
「柔軟性」というのは、タコみたいに全身くまなく折れ曲がることを言うのではない。
折れるところは完全に折れる屈曲性と、折れないところは絶対に折れない剛直性を持っていることを言うのだと思います。
こころも、同じだと思う。
10年も……ではなくて、まだ「たったの」10年なんですよね。
生きているうちに強く、元気になれなくて、どうするか。
輪廻があろうがなかろうが、いずれにせよ、今日のこの日はたった1回きりである。
背筋を正して腹を据えて、弱い心は張り倒そう。
一時的に戦士の休息として、「あきらめ」や「癒やし」に逃げ込むことは、良いことだと思う。
そこで英気を養うために。
でもそれを絶対とし、引きこもってしまったら、今生と来世での変革のチャンスを完全に失う。
「逃げたものは、もう一度戦える」とデモステネスは言いました。
ならば、こうなる。
逃げたのなら、もう一度戦え。
逃げることが、正しいのではない。
「時には」逃げることが正しいこともある、というだけの話だ。