朝起きた直後から、とにかくソワソワしてたんですよね。
このソワソワは空前絶後のソワソワで、ひどくなるとイライラになります。
このイライラもまた、空前絶後のイライラで、冗談抜きで誰かぶん殴ってしまうんじゃないかと思うほどの「怒涛の怒り」です。
基本的には温厚な性格なので、愕然としております。
なんだこれ? これはホントに俺なのか?
そろそろとうとう、本気でクレイジーになってしまったか?
なんて思ってしまうほどです。
これはだいたい、午前中いっぱいつづく。
しかし、一昨日の夕方に試してみたことが、かなり効果があったようなのです。
それをすると、アワワワワワワワとアタマに血が上るのを、食い止めることができることが多い。
怒り、そわそわ、不安感、恐怖感……そういったものが、スーーーと落ち着く。
「落ち着くような気がする」のではなくて「落ち着く」のですねえ。
それは
中心脱力
という方法であります。
コツとしては、コーモンや、会陰、下腹のちからバサっと抜いてしまう。
一般的には、そのへんにはぐっと力を入れたほうが良いという話が多いのですが、その逆ですね。
だるんだるんに、おなかの「中心」のちからを抜いてしまう。
結果、いわゆる「ひさご腹」というカタチのおかなになります。
・のぼせる。
・動悸がする。
・顔やアタマが熱い。
・ふらつく。
・急に立ち上がると気苦しく、めまいがすることがある。
・些細なことでイライラしやすい。
・些細なことにビックリしやすい。
・なんか怖い、不安。
この状態を「自律神経が……」「ホルモンが……」「神経が……」「性格が……」「呼吸が……」というふうな側面から考えるのではなく、ふつうに考えてみたのです。
すると、
要するにアタマに血が上っているんじゃないか
ということに帰結したのであります。
では、どうしてアタマに血が上るのか?
これも高血圧とか、起立性調節障害とか、ストレスとか、酸欠とか、そんな病名みたいなことからではなく、もっとすなおに考えますと、「おなかが狭くなっているのでは?」と思えたのです。
つまり腹筋が硬直して、萎縮している。おなかが自由に、動けていない。
おなかの中心のちからふっと抜いてやると、そこに気血が流れ込みやすくなると考えたのです。
で、そのとおりにやってみると、アタマから血というか、気血が下がっていくのをほんとうに感じるのです。
あたまが重苦しくパンパンに膨張していた感じなのが、すっと「しぼむ」感じがある。
そのかわりに、へそから下のおなかが、大きくなっていく。
いままでは、おなかの力を抜く……そのためには、ついヨガのポーズなどを考えてしまっていました。
コブラのポーズやらくだのポーズという、腹筋をストレッチするアサナですね。
しかしどういうわけか、ヨガのポーズでは、どうやっても「中心脱力」は、なしえないようなのです。
またいろいろな呼吸法も同じく、中心脱力ができないのです。
おそらくは、意識が脱力を阻むからだと思います。
「意識する」ことじたいが、緊張と緊縮を引き起こすようなのです。
このスジをのばそう。
こんなカタチになろう。
息を吐こう、吸おう。
そんな意識が強ければ強いほど、本気であればあるほど、真面目に取り組めば取り組むほど「意識に気を吸い取られて」、ぎゃくに中心が萎縮し、緊張していくようです。
腹筋や肛門にチカラを入れたまま、リラックスできる人はいませんよね。
また緊張するようなことがあると、腹筋や肛門には自然とチカラが入ってくる。
そうすると、アタマに血が上るようになる。
アタマに血が上ると、神経過敏になって、不安や焦燥感が大きくなる。
些細なことに過敏になる。
神経過敏というのは「腹筋や肛門によけいな力が入ってアタマに血が上っている」つまり、怒りのひとつの表現形態かもしれません。
神経過敏というと、つい「繊細」というような言葉が反射的に浮かびます。
ということは、繊細であるということは、怒っているということなのかもしれないのですね。
怒っているからこそ、神経がビンビンなのです。
だから「私は繊細だから……」とか思っているのは、じつはものすごい勘違いで、むしろ下品で雑な怒りを膨大に抱えているのかもしれないですね。
繊細と平和は、共存できないのです。
中心部が脱力すれば、怒りの火が消える。
怒りが消えれば、過敏が消える。
過敏が消えれば、繊細さが消える。
繊細さが消えれば、許しが増えていく。
許しが増えれば、平和になれる。
そんな気がしています。