オンとオフを、服装で演出する

来週の月曜からやってみようかな、と思っていることがあります。

それは、

「仕事中はスーツを着る」

ということ。

 

完全に在宅ワークになってから5年近くなります。

そもそもはパニック障害が原因で独立し、自営になったのでした。

最初の頃は、家で仕事をするので「服装は何でも良い」と考えていました。

そこでパジャマやスウェットのまま仕事をするということを、2年ほど続けていました。

合理的に考えれば、べつに誰とも会わないわけですからどんな格好でもほんとに良いのです。

デスクワークゆえ、むしろ肩が凝らないゆるい服装のほうが良いかもしれません。

 

しかし……ふしぎなもので、そういうことをしていると、どんどんウツっぽくなってくるんですね。

元気がなくなってきて、毎日がとてもつまらなく感じてきます。

メリハリがないのが原因かな、と考えて、朝起きたら「外へ出られる程度の格好」をするようになりました。

パジャマやスウェットのままではなく、朝起きたらジーンズとポロシャツぐらいには着替える。

そうすると、あの妙なウツっぽい感じは減っていくのでした。

 

最近わりと、このことを忘れていたのです。

朝起きたら着替えるのですが、いつしかジーンズは履かなくなり、トレーニングウェアに着替えるようになったのです。

理由は走ったり筋トレをしたり、ヨガをしたりすることが多くなったからです。

デスクワークで運動不足になりがちだから、「いつでもワークアウトできるように」という考えから、トレーニングジャージを着るようになっていったのでした。

 

これも、合理的ではあるとは思います。

じっさい、よくからだを動かすようになりました。

しかし腑に落ちないところもあるのです。

ぼくは最近、原因なく異様にイライラしたり不安になったりということがあって、長らくお目見えしなかったパニック発作まで連発するようになっています。

年齢や症状からして男性更年期障害かもと考えていましたが、日記などから調べていくと、非常に調子が悪くなったのは毎日トレーニングウェアを着るようになったあたりから始まっていることに気がついたのです。

だから最初は「トレパンのゴムがわるいんじゃないか」と考えました。

ゴムの締め付けが血行を阻害して、へんな違和感を感じているのではないか。

人によっては「ゴム紐症候群」といって、ズボンのゴム紐で体調を悪くする人もいるのだそうです。

そこでゴムを取っ払ってヒモだけにして、ズボンを履くようになりました。

しかし残念ながら、これは全然まったく効果はありませんでした。

関係なかったのです。

 

要するに、ずっと疲れが取れていない感じなのです。

毎晩お風呂に入ってよく温もっていますし、ヨガだってしています。

できるだけ歩くようにして、からだも動かしています。

仕事は基本的に夕方の4時ごろまでには終わって、朝は7時ぐらいから仕事をしています。

就寝は夜の9時で、起床は朝の5時。

食事も3食しっかいり食べていて、栄養バランスにも気を配っています。

お酒もきっぱりやめました。

なのに、どうも調子が良くならないどころか、むしろ悪化しているような感じさえするのです。

 

ふと、思ったのです。

ぼくは「疲れている」というよりも「休んだ気がしていない」のではないか。

毎日に、メリハリがほとんどないのです。

ハレもなければ、ケもない。

仕事中も、仕事が終わっても、場所は家です。

仕事中も、仕事が終わっても、ウィークデイでも、土日でも、ずっとトレーニングジャージを着ています。

確かに規則正しい生活は送っていて、それは休日でさえ例外ではありません。

しかし規則正しいということは、例外がないということでもあります。

ずっと「ケの日」が続いている。

 

案外、このことが自律神経をおかしくしているのでは、と思ったのです。

「休む」というのは、カラダや神経だけのことではなく「こころ」も関係しています。

そして「こころ」は、オンとオフを「相対比較」で認知します。

カラダのばあいは、横になって眠れば、それは絶対的な休養です。

しかしこころには「絶対的な休養」というのはないのです。

緊張と弛緩の「差分」によって、休息したという感覚を得る。

つまり、強く緊張することがなければ、しっかり休養もできないということです。

のんべんだらりとした、ただ平和なだけの生活を規則正しく繰り返す日々は、それはこころにとっては「休みがない」のとほぼ同義なのです。

からだは休めていても、こころが「休めた」とは感じていない。

そのせいで、妙な緊張感がずっと継続しているのかもしれないです。

 

こころは、チョロい女と同じである。

最近、このことに気がついたのです。

じぶんが考えているほど、こころというのは、難解でも頑固でも高尚でも賢くもない。

チョロい女とまったく同じで、作り笑いでも楽しくなるし、狸寝入りでも眠たくなるし、口笛ふくだけでも楽しくなったり、いい言葉を言うだけでもやさしい気分になったり、わるい言葉を使うだけでも怒りっぽくなったりする。

まるですぐに騙される、アホな子みたいなんですよね。

アホだから、あまり難しい・ややこしい・理屈っぽいことをしたって、ココロはまったく反応してくれません。

全然わかってくれないのです。

 

何時から何時まで仕事!

っていうふうに「数字で」言ったって、たぶんこころはわかってくれないんだと思います。

とくにぼくのような在宅勤務だと、環境になんの変化もないですからね。

だから、アホな子にもわかるようにしてみようと思うのです。

手っ取り早いのが「着替える」だと思うんですね。

「この服装ときは、仕事」

「この服装のときは、お休みか、遊び」

「この服装のときは、眠るとき」

 

遊ぶときと仕事をするときが同じ服装というのは、やっぱりあまり良くないのかもしれません。

それは礼儀とかマナーとかドレスコードとかいう儀礼的なことではなく「じぶんのこころ」にとって。

ジーンズにポロシャツなら、繁華街に出ていってもべつにおかしくない格好ではあります。

でもこの格好は「オフの格好」でもあるんですね。基本的には、遊ぶための格好です。

仕事をするときはもっと明確に、わかりやすく「仕事」とわかる格好にしたほうがいいのかもしれないです。

それにいちばん適しているのが「スーツ」だと思うんですね。

まあ上着やネクタイとまではいかなくても、せめてスラックスとワイシャツ程度の格好は必要なんじゃないか。

 

「カジュアルビズ」といって、最近ではスーツのようなガチガチのオフィススタイルではなく、わりとゆるい格好も出回っているようです。

ぼくも最初は、それはいいことだ、と思っていました。

合理的だし、健康にも良さそうだ。

しかしオッサンになって最近ハッキリと気がついたのは「合理的なことは非合理である」ということです。

合理というような、透明な理屈を好んでいるうちは、まだまだガキなんですよね。経験が足らんのです。

めんどくさいこと、ややこしいこと、矛盾があること、理不尽なこと。

そういったことで長く続いている事柄は、案外「背骨のある非合理」だったりします。

人間という生き物の特性にどうしても必要な事柄には、矛盾や理不尽が含まれていることが多いのですよね。

そういうことを理解できない、許せないなどと言っているうちは、まだまだヒトとして成長できていないのかもしれないです。

スーツだって、そうかもしれないです。

あんなヒモみたいなものをクビからぶら下げてバカじゃねえの。

デスクワークなのに動きにくいワイシャツとか、あたまおかしいんじゃないの。

そういった「理不尽」があるからこそ、それを脱いだ時に「いまは休めている!」と「こころ」が感じてくれるのかもしれません。

オンとオフは、堅苦しい服装と、らくちんな服装で、切り分ける。

それぐらいわかりやすいことでないと、ココロは理解してくれないのかもしれないですね。

 

 

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