更年期障害になると、どうして原因不明の不安やイライラ、動悸などが出てしまうのか。
どうして交感神経のスイッチが切れにくくなって、ずっと緊張したような状態なってしまうのか。
ぼくはこの件について「神経の不具合」みたいに考えていました。
じつは、そうじゃなかったかもしれない。
・不随意に筋緊張が起こる(力が入る)
・鼓動が早まる
・発汗する
・血圧が上昇し、のぼせる
・不安感や焦燥感が暴走する
これらの症状には、どうやらちゃんと「目的」があるようなんですね。
その目的とは、
ホルモンをいっぱい出す
という目的が。
更年期を迎えて、男性ホルモンや女性ホルモンの量が少なくなってくると、カラダがそれを「出そう・生成しよう」と頑張ってくれるみたいなんですね。
そしてこのホルモン大量分泌のためには、どうやら「緊張」が必要なんだそうです。
筋肉を緊張させ、ホルモンを絞り出し、全身に循環させなくちゃいけない。
そのために不安感や恐怖感、焦燥感などを出現させて、まず精神を緊張させる。
その反応を利用して、身体を緊張硬直させ、動悸なんかも引き起こすらしいです。
これは、すごく「よくできたシステム」ですよね。
なのにボクときたら、
「不随意に原因なく不安や恐怖感が出るのは神経の異常である」
と考えたんです。
そこで浅はかな知識でネットなどを調べていくと、「とにかくリラックスせよ」という話が満載なのですね。
ヨガや半身浴にはじまり、自律訓練法、呼吸法、瞑想、とにかく「副交感神経にスイッチを入れて弛緩をめざす」ことをまじめにずっとやってきました。
で、具合のわるいことで、これがまた「効く」んですよね。
まさに目的通り、そういう方法って、ほんとうに効くんです。
だからどんどん、副交感神経が優位になっていく。
なのに! どうしてずっと、不安や焦燥感、動悸などの自律神経失調症様の症状がずーっと治らないのか?
……それは、あたりまえだったのですね。
ぼくが全部ブレーキかけてたから。
ヨガなどのメソッドについて、ぼくは「効かない」と思ってきました。
だって、症状がひとっつも治らないんですもの。
だから、そんなの意味なかったんだ、ウソだったんだと思いかけていました。
そうじゃなかったんですね。
やっぱり、効いてたんですよ。
効いてたからこそ、ぜんぜん治らなかったんだ。
ホルモンが減少しているので、それをいっぱい出そうとして、カラダは交感神経をONにして、緊張させて、いろんな症状を「出してくれていた」んです。
ぼくはそれを「片っ端からぜんぶ無効にしていった」。
副交感神経を優位にしなくちゃ、そうしないと治らない。そんな「あたまのりくつ」で、せっかくのカラダちゃんのまっとうな努力を反故にしてしまっていたんですね。
そりゃあ、治らんわなあ。10年まじめに努力しても。
第一原因:ホルモン量の低下。
第二原因:ホルモン量を増加させる「緊張」を、意図的に排除していった。
聞くところによると、戦時中は更年期障害はほとんど発生しなくなるんだそうです。
むちゃくちゃ緊張状態にあるから、ホルモンドバドバなんですね。
だからわざわざ不随意に緊張を再現する必要なんかないんです。
よって更年期障害の症状は現れない。
緊張感が閾値を超えて減少してしまうと、更年期障害が発生するんだそうです。
しかしこれは、しかたがないことですし、よろこばしいことでもあります。
ずっと国民一丸となって「平和な世界」を実現しようとしてきたんですから。
更年期障害がたくさん出てきたということは、平和が実現されたということなんだと思います。
ぼくは平和な世界にいて、そのうえに「弛緩原理主義」に傾注してしまったんですね。
すこしイヤな言葉だけど「ダラけた」んだと思います。
緊張感を失い、副交感神経が優位になりすぎると、ホルモンが激減する。
そうるすと自律神経失調症様の症状が、わんさか出てくるんですね。
そこで「服装だけでも緊張させる」ということを最近やっています。
在宅ワークだけど、仕事中はスーツ着るようにしたんです。
そうしたら、ふしぎふしぎ、どんどん自律神経失調の症状は減少していってるんですね。
服装の緊張感というのだけでも、多少は効果があるようです。
別件だけど、たとえば女性なんかでは、専業主婦をするよりも会社で働く人のほうがいつまでも若々しいというのはあるようです。
これもやっぱり「会社」という緊張感のある世界に頻繁に出入りすることで、ホルモンバランスが適正になりやすいというのもあるのかもしれません。適度な緊張感がある。
また老人でも、お化粧をしてたまにちょっと高価なお店で外食をする、なんていうことをする人は、ボケにくいという話もあります。
やはり緊張感というのは、人間にとって不可欠な要素なんですね。
ゆったり、のんびり、ほんわか、ふわふわ、やさしい、ゆるゆる、のびのび、ゆらゆら。
そういうのは確かに快適だけど「そればっかり」になると、ホルモンが枯渇してしまうんですね。老化が早くなる。
緊張があるからこそ、ヒトは元気になれるんですねえ。
しかしここで間違ってはいけないのが、
「だったらウツやパニックの人とかも、もっと緊張させればいいんだ」
っていう話ではない、ということだと思います。
おそらくメンタルがやられてしまったひとは、逆にどこかのタイミングで「緊張の閾値」を超えてしまったんだと思います。
ストレス過多によって、緊張の天井をブチやぶってしまった。
そうなるとカラダは「非常強制停止」をかけると思うんですね。あぶないから。
問答無用で極度の副交感神経優位状態に切り替え、非常に強い弛緩状態にさせ、やる気が出ない、ちからが入らない、考えられない、動けない、起き上がれないと言った、究極の弛緩状態に移行させる。
これは一種の防御反応だと思います。
だからそういう状態になってしまったのに、無理して緊張を強いるようなことをすると、どんどん悪化していくことになる。
さっきの「リラックスしすぎ」の逆ですね。
だからそうなってしまった場合には、やっぱりすなおに弛緩させて疲労をとり、できればストレッサーを排除改善して、生活を立て直すことがまず第一なんだと思います。
しかしある程度疲労がとれ、ストレッサーの整理もついたなら、いつまでも「弛緩」をしていてはいけないんだと思います。
そんなことをするとホルモンがどんどん減少していってしまい、こんどは純粋に自律神経失調の症状が出てきてしまうようになるはずです。
カラダは「もうそろそろ、心身を緊張させてホルモンを増加させなければならない」と考えているのに、アタマのほうが無理やり「だめっ!あたしゃ神経がオカシイのだから、もっともっと弛緩しなきゃ!」という逆ザヤをやる。
あっためたり、ゆるめたり、イキをながーく吐いたりして。
そうしたらホントに副交感神経がONになって、いつまでたってもホルモンバランスが正常化しないから、症状もいつまでも消えない。
アタマ(知識)とカラダのケンカなんだな、これは。
人間にはやっぱり「適度な緊張」はどうしても必要なんですね。
知識がこわいのは、ここなんですよね。
ヨガなどを半端に勉強すると「弛緩こそ正義だ」みたいな話に傾注しがちになってしまうんですね。
そして、じぶんのカラダを一切信用しなくなってしまう。
あたまで考えたことを、からだに言い聞かせようとしてしまう。
そりゃあ、うまいこといかんわ。
カラダは「生きることのプロ」だけど、アタマは「生きることについてはど素人」なんですわ。
アタマが得意なのは、考えることだけ。
だからアタマの知識や思考を「船頭」にしてしまったら、もうわけわからんところに行ってしまうんですね。
ビシっとせい!
これはべつに、厳しさとか恐喝とかではないんですね。
たまにはそうしないと、人間はほんとうにいろんな意味で「だめになる」から、そういうアドバイスが存在しているんだと思います。
これは攻撃ではなく、愛だったのです。