「昇華」っていう考え方があります。
これは錬金術のようにすばらしい考え方で、どんなに悪いことでも、良いことにしてしまう可能性があります。
きのうからまた、朝にイライラしやがるんですよね。
ぼくはことことについて「異常だからなんとかしないと」と考えてきました。
しかし最近、「イライラを、異常とか病気とかいうふうに悪いことだとしか思えないのは、感受性の低下だ」ということに気が付き、無理やりにでも「いい面」に顔面を近づける努力をしていこうと思うようになりました。
いらいら、怒り。
これは「わるいことだ」と一般的には言われています。
でも一概には、そうともいえないんですよね。
怒りが悪いといわれるのは「怒りのエネルギーを利用して悪事を働くことが多いから」です。
よけいなことしちゃうんだな。
しかしもし、怒りを「いいこと」に使えたら、どうだろう。
同じ火でも、放火に使えば、たいへんわるいことです。
でも料理につかえば、すごく良いことになります。
イライラや、怒りも、まったく同じなのではないか?
怒りやイライラについて、先走ってその結末を妄想するのではなく、いったんそのままの状態を見て、「ただのエネルギー」として考えてみる。
そうしたら、これはプルトニウムばりに強力なエネルギーかもしれないな、と思うのです。
喜びとか慈悲とか愛とか平和とか、そういったエネルギーは確かにとてもマイルドで汎用性が高いエネルギーではあります。
とても使いやすい。
しかしいかんせん「弱い」のですね。現実世界でのパワーが、とくに弱い。
ただの理想論や机上の空論で終わることも多いです。
いっぽう怒りは、ものすごく扱いが難しいです。へたすると、爆発して大怪我するぐらい、あぶないエネルギーです。
しかしそのかわりに、ひじょうに強いエネルギーを持ってる。
現実的なパワーを膨大に秘めています。
これといった原因がないのに、すごくイライラして腹が立つ。
このことについて、医学とか科学とかの理系ではなく、もっと人文学的に考えてみる。
そうしたら、単純な帰結に至るのです。
エネルギーが、余ってる。
イライラできる、怒れるってつまり、元気なんですよ。
高血圧は、もちろん良いことではないけど、これは元気のあかしでもあるんですね。
だから最近では、高血圧はあまり神経質に気にするな、とも言われているようです。
ぎゃくに低血圧のほうが、むしろヤバいのですよね。
それは生命エネルギーの低下を意味しているから。
たとえば、なにかストレスフルなことがあったとします。
このストレスへの反応のしかたには、大きく分けて2つのタイプがあります。
1)ものすごく怒って暴れる。
2)泣いて縮こまる。
どっちのほうが、エネルギーが強いか。
もちろん(1)ですね。
身近なところでは、娘は(2)です。
ショボーンとなって、落ち込んで、動かなくなってしまう。そして娘は、低血圧で体力があまりありません。
いっぽう、ぼく、ぼくの母親、父親は、完全に(1)です。
攻撃してくるようなやつがいたら、どんなことがあっても張り倒しにいく。
で、3人とも体力があって、血圧が高いです。
だから、どっちがいいとかわるいとかは、一概には言えないんですね。
すくなくとも、イライラや怒りには、「いいところ」がたくさんある。
そして最も重要なことは、怒りを良いことに使うのも、悪い事につかうのも、本人次第であるということです。
アンガーマネジメントといって、怒りをコントロールする技法が提唱されることがあります。
これはほとんど「抑える・ごまかす」技法なんですよね。
30秒待ってから発言しましょうとか、3−2−1の法則でキョロキョロしましょうとか、深呼吸しましょうとか。
しかし、そういうふうに「抑圧する」技法ばかり使うから、ウツっぽくなったりしてしまうのではないか。
根本的に必要なのは「昇華する」技法なのではないか。
更年期を迎えると、ヒトはイライラするようになります。
更年期というと、老化でありパワーの低減である、と考えることが多いです。
しかしいっぽう、人間が最も強靭なのは50歳から70歳である、という説もあります。
たとえば、年をとると爪に縦線が入ってきます。だいたい30代後半からでしょうか。
これはなぜかというと、「爪を強固にするため」なんですね。
若い頃は爪に縦線が入っていないのでキレイではありますが、弱いのです。
縦線がランダムに入ることで、ものすごく爪が強くなるのですね。
これはどういう意味なのか。
ぼくは、もしかすると一般に老化と思われていることは、むしろ成長である可能性もあるのではないか、と思うのです。
高血圧だって、そうです。
血圧が低いと、気力や集中力をすぐに発揮できなかったり、瞬発的な体力を発揮できません。
精神的にも弱くなりがちです。つまり、気が弱くなる。
トシとると高血圧になるのは、むしろ「強くなっている」あかしなのではないか。
だから、更年期を迎えたオッサン・オバハンに必要なことは、怒りを抑えたりごまかしたりする「抑圧原理」ではなく、この膨大なパワーをクリエイションに用いる「昇華技法」なんだと思います。
では昇華に必要なことは、なにか?
たぶんこれこそが「教養」だと思うんですね。
怒りが出てきたら、その怒りをそのまま暴力に使う。
そんなことをしてしまうのは、教養がないからです。
そして教養は、学校で習うものでもないです。
じぶんの意志で、学ぶこと。
「私の成長は、もう終わった。」
そう考えた瞬間に、教養はいっさい身につかなくなるんですよね。
更年期は「第二の成長期」なんですよね。
ヒトは、50歳前後で、もういちどちがう生き物として生まれ変わる。
変態するのです。
だから更年期を迎えた人たちは「セカンドステージにおける赤ん坊」だ。
幼少のころの経験がその後の人生においてたいへん重要なのと同じように、更年期の経験はとても重要。
生まれたての赤ん坊は親や環境を選べないし、食物や成長ホルモンという物質に頼ってしか成長ができません。
しかし「セカンドステージにおける赤ん坊」である我々は、あるていど環境が選べるうえに、じぶんの意志で成長することができる。
自由なのです。
更年期を迎えると、怒りという「強いエネルギー」が湧いてでてくるのは、これは「解禁」ともとれます。
人生経験を通じて、怒りという禁断のエネルギーを使っても良い資格をもらえた。
若いときはこれを自由にしていると制御ができなくて暴走してしまうから、ずっと封印されていたのかもしれません。
とうとう、免許が発行されたんだ。
「うまく使えよ」
そう言ってる。
意味なく怒ってしまうのも、きゅうに悲しくなるのも、のぼせるのも、動悸がするのも、ふらつくのも、考えてみれば赤ちゃんとよく似ています。
からだや神経や精神が「成長している」のではないのかな。
人間は、遺伝子上は100〜120歳まで生きることになっています。
更年期はだいたい、その半分あたりで起こる。
つまりあと半分の人生は、更年期の過ごし方で決定するということなのでしょう。
更年期のいま、症状に負けて消極的な生活をするか。
更年期のいま、成長の真っ最中と知って積極的な生活をするか。
もう、親は選択してくれない。
選択するのは、じぶんだ。