広告のない世界

オッサンになってきて、親父がなぜNHKを好むのかわかってきた気がします。

NHKには広告がないから。

 

トシとってくると、どうして広告をウザく感じるようになるんだろう。

いや、年齢はもしかしたら関係ないのかもしれないな。

広告という存在じたいが、本質的にウザいものだから。

広告は国民の幸福度を低下させるという話もあります。

https://gigazine.net/news/20190529-major-human-dissatisfaction/

 

「デジタルデトックス」というものが提案されるようになって久しいです。

週に1日ぐらいはスマホやパソコン、テレビなどを見ないで生活してみましょう、というやつです。

ぼくもたまにやるのですが、確かにデジタルデトックスをすると、なんだか心が落ち着く気がします。

単純に目の疲れがマシになるからかもしれませんが。

 

ただ上記の「広告は幸福度を低減させる」という可能性からすると、案外デジタルデトックスはココロに効いてるのかな、と思ったりもします。

デジタルデトックスといいながら、実際には「広告デトックス」になってるんですよね。

デジタルガジェットには、最近広告がつきものだからです。

 

広告は、なぜウザいのか。

それはおそらく、人間の本能に基づくものだと思います。

広告というのは「不意に話しかけてくる」ものです。

ふつう、人間は見知らぬ人に急に話かけられると緊張します。

家族や知っている人ならそうでもないですが、全然知らない人だと、どうしても多少は身構えるんですね。

これは危機回避の本能として、当然だと思います。

その点、広告というのは、この人間の本能を刺激しまくっているところがあると思います。

表面的な意識上では、興味のない広告など上の空で聞き流しているように感じていても、じっさいには多少なりとも見聞きしてしまっています。

そして多少なりとも、その広告についてある種の「判断」をしています。

自分に必要か必要でないか、何を訴えているのかなど、いちおう最低限の情報は反射的に受け取ろうとしてしまうのです。

見知らぬ人に話しかけられると神経が緊張するのも、テリトリー侵害的なことだけでなく、この「判断を強引に迫られる」ところもあると思います。

 

広告が幸福度を低下させるのは、些細とはいえ頻繁に判断を迫られることなのでしょう。

かんたんにいうと、しょっちゅう広告を見ていると、疲れる。

そしてそのうち、腹たってくる。

スマホの追従式バナーなんかを、とてもうざったく感じる人は多いと思います。

またユーザーの操作ミスを誘導してタップさせる悪質なものもあります。

このへんは単純に「邪魔である」ということでイラっとさせますね。

何かの記事を読んでいるのに視界の片隅でチカチカ明滅するバナーや、いちどだけ楽天で見た商品が関係のないウェブサイトに何個も並ぶなど、センスのない広告も目立ちます。

 

ネットサーフィンを趣味にしていると、脳疲労が強くなるんだそうです。

これは何のことはない、広告疲れをしていると思うんですね。

いまから20年ほど前のインターネット黎明期には、広告なんぞ皆無でした。

そんなマイナーなところにカネ出して広告を打つ企業なんて、ほとんどなかったんですね。

しかしネットが市民権を得て普及すると、インターネットは広告チャネルとして重宝されるようになりました。

そして今や、ネットは「情報の海」ではなく「広告の海」になってしまったのです。

広告は、人々の幸福度を低下させる。

ネットサーフィンが脳疲労を招くのも、当然といえるかもしれませんね。

 

だから、今やデジタルデトックスというのは、デジタルガジェットから距離を置くというより「広告から距離を置く」ということに意味が変わってきたと思うのです。

AppleWatchなどのウェアラブル端末には、今のところ広告が出ることはほとんどありませんから、AppleWatchで脳疲労を起こすこということは、ほとんどないと思うんですね。

だからデジタルデトックスには、ウェアラブル端末は無理に含まなくて良いような気がします。

ただ椎名誠さんの小説「アド・バード」じゃないけれども、腕時計にまで広告が出てくる未来は、案外夢物語でもないのかもしれません。

もしAppleWatchにまで広告がガンガン出だしたら、ぼくは速攻でゴミ箱に捨てますけどね。

 

広告って、罪作りかもしれません。

人の幸福度を下げてしまうんですから。

Googleなんかは、どう考えているんでしょうかねえ。

現時点ではGoogleは広告収入が主体だと思うんだけど、「インターネットの未来」を担う会社は、今後広告をどう定義していくんでしょうか。

ユーザーの幸福を大切にすると宣言してるからには、なにか方策は考えているのかもしれません。

考えてないのかもしれませんが。

 

広告って、人の家に勝手に土足で上がり込んでくるような、品のない卑しさがあります。

ぼくはたまに「広告を大量に打っている商品は買わない」という衝動に駆られることがあります。

それはだいたい、疲れているときですけどね。

何に疲れているかというと、広告に疲れているんだと思います。

YouTubeも、最近はあまり観なくなりました。

広告をいっぱいベコベコ出しやがって、アダルトサイトのXvideosと大して変わらねーじゃねーか! と思う。

 

ぼくはこのブログから、一切の広告を排除しました。

理由は「ぼく自身が広告が大嫌い」だからです。

せっかくブログを読んでいても、サイドバーに鬱陶しいバナーがいくつも出ていたり、記事中に広告が突如出現するなんて、ダサすぎる。

ばかみたいなんだ。

またペイドパブ形式の、記事の形式をとった広告もダサい。

その記事の信憑性どころか、そのサイトじたいの品格まで疑ってしまう。

 

広告のない世界、というのを夢想したりもします。

しかし、もしそんな世界が実現してしまったら、Webデザイナーであるぼくは職を失うことになる。

むずかしいところです。

でも近い将来「無料なのに広告がない」ということが、サイトやアプリの価値を上げることになるかもしれないなとは思います。

いつまでも今みたいに、あちらこちらにトラップみたいな広告を仕込む所業が許されるわけはありません。

 

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