感情を抱え込むから、姿勢がわるい。

知り合いや友人には、姿勢が良いひととわるいひとがいます。

姿勢の良いひととわるいひとでは、性格や言動が大きく異なることに気がついたのです。

 

■ 姿勢が良いひと

・思ったことを、すぐ言う

・しつこくない

・愚痴や文句が面白い

・基本的に元気

 

■ 姿勢がわるいひと

・思ったことをあまり言わない

・しつこい

・愚痴が主観的で面白くない

・基本的に元気がない

 

能力や知性などには、差はないのです。

しかし性格や言動には、おおきな違いがあることは歴然なのですね。

 

姿勢がわるい友人には、ウツになった人が多いのです。

姿勢がわるいと呼吸が浅くなり、自律神経が……というような説をよく耳にします。

まあそれも確かにそうだろうけど、もっと「根本的な」ことがあるんじゃないか、と思うのです。

姿勢の矯正については、骨盤とか肩とか肋骨とか背骨をどうこうする、というのが多いです。

良い姿勢を心がけて習慣にしましょう、というのも多い。

そういうのは、もしかしたら対症療法に過ぎないのではないか?

ホネとかのまえに、「言動」に原因があるんじゃないか。

姿勢のいいひとは、とにかく思ったことをバッサリ言うんですよ。

感情を溜め込まないんですよね。

 

ぼくが大好きで尊敬している先輩は、有能なビジネスマンでもあります。

いつもとっても、姿勢がいいです。

今は会社の社長をしているんですが、むかし会社につとめていたときのエピソードを聞くといつも笑ってしまいます。

全国でもトップレベルの営業成績を出していた先輩は、有能ゆえにどんどん仕事を任されるのでした。

「仕事は有能な人にあつまる」というのは、ほんとうなのです。

連日徹夜、ということもけっこうあったそうです。

しかしあまりに会社が無茶を言うので、ある日先輩はとうとうキレた。

そしてそのキレかたが、豪快だったのです。

 

部長! おれ新婚なんで、もっとヨメとセックスがしたいんです! 仕事減らしてください!

 

部長は固まって、顔を真赤にしてわなわな震えはじめたそうです。

(やばい。さすがに怒鳴られるな)

先輩は覚悟したんですが、部長は口を開くと、

「わはははははは!!!!!」

部長は怒っていたんじゃなくて、笑いをこらえていたのでした。

「そりゃそうだ! わかった! 今すぐとはいかないが、少し仕事を再配分しよう」

おかげで先輩は少し生活にゆとりが出るようになったんだそうです。

 

つまり、こういうことなんです。

「笑える愚痴」というのは。

 

ふつうなら、同僚と酒を飲みに行ったりして、そこで部長の悪口大会をするのかもしれません。

部長に直訴するにしても、「ウソと戦略」を固めてやるかもしれません。

しかし先輩は違った。

思ったことを、ほんとうにそのままに、どストレートに言うのでした。

先輩の営業成績が非常に良かったのもこのことが関係していたようです。

お客さんに商品をすすめるときにも、「思ったまま」を言っていたのです。

商品の良い点ばっかりを言ったりしないし、お客さんが悪いと喧嘩までしていたそうです。

 

「営業成績がいいから、そんな思い切ったことが言えるんだ」

たしかにそうです。

しかし、営業成績が良い理由は、「思い切ったことを言う」からなのです。

いわば、良い循環。

いっぽう、思ったことを言えない性格のひとは、悪循環に陥ることも多いです。

 

1.文句がある

2.へんに気を使って、それを抱え込んで言わない

3.状況が変わらない

4.よけいに文句がたまる

5.それでも酒の席などで愚痴をいうだけ

6.状況は変わらない

7.さらにストレスがたまる

 

結局、分水嶺は「2」なんですよね。

へんに気を使って、自己防衛のつもりで、思ったことを言わない。

そのせいで、だれもその人のほんとうの気持ちを知ることができない。

だから意地悪とかじゃなくて、文句言わないんだから問題ないだろうと思われる。

だからだれも手助けをしてくれないし、状況を変える動きも起こらない。

ストレスは、どんどん溜まっていく。

 

ストレスが多いのは、多分に「じぶんのせい」でもあるんですよね。

状況を変革する努力を一切せず「わかってくれない」みたいな甘えたことをいう。

あたりまえだっつうの。

超能力者じゃあるまいし、ヒトはヒトのことなんてわからねえよ。

だから、ことばがあるんだ。

なのに、そのことばを「飲み込む」。

ケンカになったり、場がざわめくことや、じぶんに注目が集まったりすることを避けようとして。

まあ「言ってるのにわかってくれない」っていうのも、確かにありますけどね。

しかしこれも、あたりまえなんだ。

言ったことは、半分ぐらいしか伝わらない。

言ったことがそのまま全部伝わるのなら、世の中の広告やさんは苦労しねえぜ。

だから、その確率を上げるために、コピーライターとかデザイナーとかの表現のプロがいる。

 

愚痴や文句を溜め込むと、姿勢がわるくなるんだと思います。

おなかに、重たいものがギッシリ詰まってしまうんだな。

おなかが重いから、引っ張られて背中が丸くなるんだと思う。

あるいは、おなかのなかの「くろいもの」を、隠そうとするのかもしれません。

あるいは、おなかのなかの「ほんとうのわたし」を、守ろうとするのかもしれません。

いずれにせよ、おなかを抱え込むように、まるくなっていく。

「呑気症」というのも、似たようなメカニズムなんだと思います。

ぐっと感情を飲み込む代償行為で、ほんとうにツバを大量に飲み込んでるんじゃないかな。

 

「空気を読む」

このことが、いつからか解釈が変わってしまったんですよね。

空気を読むというと、最近は「人の顔色をうかがう」みたいな意味になってしまった。

でもほんとうは、そうじゃない。本来は、

思ったことを言う、タイミングをはかる

が「空気を読む」なんですよね。

思ったことを、勢いや感情にまかせて、ただ言うとさすがに問題が多いです。

だから全体の場のストーリー、つまり「空気」を読んで、「いまだ!」というその時を探すことを「空気を読む」と言うのです。

つまり目的の主体は「相手の反応チェック」「流れの妨害の予防」ではなく「じぶんの思いの発露」だった。

しかし最近はそういったアタマの使い方はあまりしなくなって、ただ相手の反応ばかりを見るようになったから、空気を読むというのは顔色を伺うという意味に差し替わってしまったんだと思います。

思うに、ドラマとかマンガとかの見過ぎなんじゃないかなあ。

「こういうふうに言うと」「ひとはこういうふうに反応する」というステレオタイプを参考に、コミュニケーションのイメージトレーニングをしてるように感じる。

形而上の世界の反応雛形を現世に持ち込んで、それをトレースしようとしているんだ。

そりゃあ、そんなことをしたら「相手ばっかり」見てしまいますからね。

その反応が「雛形と合致しているかどうか」を確認しなくてはいけませんから。

「じぶんがいまどう思っているか、どう反応したか」や「発言主の本意を考える」は、もうどうでもよくなってしまう。

「じぶんが正しい反応をしているかどうか」が気になって、言動にいちいち、ブレーキがかかる。

だからどんどん思いや感情を抱え込んでいくようになるんだと思います。

こなるともう「会話」「議論」ではなくて「型の実行」でしかありませんね。

 

言ったことは、取り返しがきかないという怖さがあります。

しかしそのかわり「残りにくい」という利点もあります。

発言の怖さのほうにフォーカスすると、抑制的になります。

しかし発言の利点のほうにフォーカスすれば、おしゃべりになる。

 

発言は基本的には、残りにくい。

ヒトは忘れる生き物でもあるから。

だから「文書」が発明されたんですよね。

発言なんて、カスミみたいなもの。あまり実体はない。

 

「うまいことを言う」「タイミングをはかる」よりも、大事なことがあるのだと思います。

それは「思ったことを、そのまま言う」っていうこと。

そのまま言ったらまずいような、そんな怖いことを考えているのなら、それこそが大問題です。

それを言った・言わないよりも、そう思っていることじたいが、おそろしい。

ハラのなかに大して悪いものがないのなら、それをそのまま出したって、たいした問題にはならないのです。

だまりこくるから、肚の中に感情が溜まって発酵して「毒」に変わるんですよね。

ふだんから、感情をぜんぶ吐き出す習慣をしていれば、たいした闇はこころのなかに生まれないんだと思います。

姿勢が悪いのも、発言したらまずいようなことを考えてしまうのも、ぜんぶぜんぶ「感情の抑制」の習慣かもしれませんね。

 

困ったときは、だまるな。

なんか言え。

 

 

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