苦しみがあるたびに、資産はどんどん増えていく。

朝起きると、憂鬱なんですよね。

「また、あの異様なのぼせやイライラが起こるんじゃないか」

最近、朝から午前中にかけてものすごくのぼせたり、イライラしたりするんです。

男性更年期障害かもしれないし、自律神経失調症なのかもしれない。

もともとパニック持ちなので、この不快感がトリガーになって、発作に至ることもあります。

朝起きたら、また「あの感じ」になるんじゃないか。

そう考えただけで怖くなって、少し寝付きが悪くなったりもします。

正直、つらい。

 

でも「ちょっと視点を変える」ことで、それほど怖がらなくてもいいのかもと思えました。

けさテレビをつけたら、面白い番組がやってたんですよね。

MBSの「ザ・リーダー」という番組で、LCCピーチ アビエーションの井上慎一氏の講演が流れていました。

途中から観たのと、朝食を作りながらの流し見だったので正確ではないかもだけど、テーマはたぶん「コミュニケーションについて」だったと思います。

その中で、井上氏が言ったのです。

 

よい話、プラスの話は、人を引きつけません。

ネガティブな経験こそが、その人の『資産』になります。

 

つまり簡単にいうと「よい経験はネタにならない」ということです。

井上氏は元リクルートという会社の社員だったそうで、そこでは営業成績優秀で、順風満帆に出世していったんだそうです。

しかしある日、将来進むべき道で悩み、ある病気にかかってしまった。

「メニエール病」という病気。

三半規管に関する病気だそうで、かなり苦労した……。

 

そこまで語って、井上氏は、観客に問いかけるのです。

「さて、私が今語った、私が会社でどんどん出世していった話と、病気になった話ではインパクトがあったのは、どちらでしょうか。」

当然、病気の話のほうですよね。

そうか、こんなに元気よく喋っている社長にも、たいへんな過去があったんだなあ。

営業成績とか優秀とかの話に比べたら、インパクトがすごい。

記憶に残るし、説得力まで生まれる。

 

これを観ていて、ぼくは「はっ」としたんですね。

井上氏とぼくは、全然違うけれど、似ているところがあります。

それは「最初は順風満帆で、ある日へんな病気になった」

ぼくも会社員時代は順風満帆で、そこそこ営業成績もよく、そこそこ出世していきました。

自分でいうのもなんだけど、そこそこ有能であるという評価もいただいていました。

しかしある日とつぜん、ぼくはパニック障害になって、会社をやめることになります。

 

ぼくは、じぶんがパニック障害という病気になったことを、痛く悩みました。

そして「これに絶対に打ち勝とう」と思いました。

この病気さえなければ、すべて順調だったのに!

それから10年以上、ずっとパニック障害と格闘してきました。

あえて薬もやめ、自力で治すことを目指しました。

 

ぼくには、その発想がなかった。

「苦しい経験は資産である」

 

パニック障害という病気、この苦しみは「不要なものである」と定義していたのです。

最近出ている、自律神経失調症のような症状についても、同様です。

病気なんて不要なものである、この苦しみは人生の邪魔者である。

物事にはかならず原因がある、だから原因をつきとめて、それを改善すれば、絶対に治るはずである。

徹底的に排除しなければならない!

ずっとそう考えてきた。

 

ある意味、そのように考えていたからこそ、病が長引いたところもあるのかもしれません。

パニック障害=不要なもの、邪魔なもの。そう考えてきた。

しかしこの考えは「近視眼的」であり「きわめて主観的」なのですよね。

確かにこの病のせいで、自由を奪われたところはあります。

しかし一方で、もしかするとこの苦しみのおかげで、ぼくは今の仕事がうまく行っているのかもしれないのです。

この世の中に、ホームページが作れる、コピーが書ける、デザインができる人間なんぞ、ごまんといます。

しかしデザイン事務所が10年以上持つことは案外珍しいです。とくに個人事務所の場合。

どうして、ぼくからお客さんが離れないのか?

ぼくの能力のおかげ? 人徳? 運?

それもあるかもしれないけれど、単純に「パニック障害という資産」のおかげかもしれない、と思ったのです。

 

ぼくは、すべてのお客さんに、じぶんがパニック障害持ちであることを公言しています。

体調を崩して迷惑をかけるかもしれないので、保険の意味合いもあります。

しかしこれは「ぼくから目線」の話です。

お客さんは、どう思うのだろうか。

ぼくの考え方からすると、「そんな不安定な人に任せるのはまずい」となるのが普通では、と思います。

 

しかしこれも、「ぼくから目線」なのですね。

さきほどの井上氏の話を聞いて、ぼくはこう思ったのです。

「なんだかエラそうに壇上から喋りやがって、いけすかない奴かと思っていたけど……。

そうか、メニエール病なんていう不思議な病気も経験しているのか……この人、けっこう苦労しているんだなあ。

話をちゃんと聞いてみてもいいかもしれない

 

ここだ! と思ったんですね。

たしかに、パニック障害とかいうヘンな病気を持っていたら、発注を避けるお客さんもあるとは思います。

しかしもしかすると「いいことばっかり言う」ほかの業者に比べて、ぼくの発言はとてつもない説得力を持っていたのかもしれません。

話を真剣に聞いてくれたのかも。

提案の内容じたいがほかの業者と大して差がなかったとしても、「苦労をしてきたこの人の話ならば」ということで、何割増しかで集中して聞いてくれたのかもしれません。

「パニック持ちで会社をやめ離婚し、自営でなんとか生きているデザイナー」というのは、たしかにすげーインパクトはある。

自慢話ばかりする人の話よりも、苦労話が一部含まれている人の話のほうが、説得力があるのは確かです。

そして、まったく同じ話をしたところで、苦労した人の話にはなぜか親近感を感じる。

すくなくとも「集中して話を聞いてしまう」ところがある。

 

苦労は資産である。

苦労は武器である。

 

この発想は、なかったなあ。

 

そう思うと、なんだか「またあの朝のソワソワがあるんじゃないか」というのも、見え方が変わってくるのです。

 

パニック発作が起こるたび、

のぼせや動悸が起こるたび、

予期不安がよぎるたび、

苦しいことがあるたびに、

ぼくの「資産」は増えていく。

 

マイナスは、引き寄せるちからである。引力である。

ひとの気持ちを鷲掴みにする、おおいなるパワーである。

それがどんどん、蓄財されていく。

 

そう考えれば、すこしだけ、病というものを許せる気がします。

まったくの無駄、まったくの無意味ということでもないのです。

苦しい、つらい経験は、かけがえのない資産。

お金は景気で価値がかわるけど、この資産は金相場以上に安定しています。

いくら持っていても、盗まれないし、税金もかからない。

 

苦労を「喜ぶ」ことはできません。

喜べるような苦労は、苦労とは言えませんからね。それは苦労してないということです。

ほんものの苦労は、どうしたってくるしい。

 

戦うのでもなく、逃げるのでもなく、防ぐのでもなく。

勝手にやってくるものを、待ち受ける。

それでいいのかもしれません。

 

苦労なんて、がんばったって、金積んだって、手に入らないですからね。

あるいみ、ラッキーかもしれません。パニック障害っていうのは。

ちょうどいいんだよな。

リアルに、ほんとうに死ぬほど苦しいし、だれも治してくれないけれど、ほんとうには絶対に死なない。

計算されたみたいに、よくできた苦労です。

「人生の資産形成」に、いちばん適した病気かもしれませんね。

苦労は、そのひとの器の大きさに見合ったものしか訪れないんだそうです。

器以上の大きな苦しみは、あふれてしまって、見えなくなってしまうんだとか。

苦しみが多いのは、器が大きい証拠だ。

「リアルな死の恐怖を幾度となく繰り返す」

この地獄を見ることができるということは、それ相応の器を持っているということ。

ぼくたちは、いつか来ることが決まっている栄光の日のためにいま、器いっぱい蓄財をしているのです。

 

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