楽だけど、楽しくない。

ラクチンなことは「楽」って書く。

たのしいことは「楽しい」って書く。

 

おかしいなあ。これ間違ってるよなあ。

ラクなのと、たのしいのって、全然ちがうもんなあ。

ていうかむしろ、楽しいのって、ラクじゃないことのほうが多くないか?

楽なことって、ラクちんで快適だけど「楽しくは」ないよなあ。

 

ここ数ヶ月の異常な体調不良について、ふと思ったんですよね。

プチうつだったんじゃないのかな、って。

 

午前中に異様にそわそわ、いらいらして、のぼせて、怒りがこみ上げてくる。

動悸がしたり、すげー汗かいたり、あたまがワーーーっとなったりする。

気が逆上してるんですけど、これって「ウツへの抵抗」のような気がするんだなあ。

 

ストレスフルなことがあると、それに対する反応は人によってちがいます。

ガクーンと落ち込んで、動けなくなって、しょんぼりするタイプのひと。

怒って、必死で抵抗して、なんとかしようと動き回るタイプのひと。

ぼくはだんぜん、後者ですね。

正直、こころのどこかで思ってるんです。

「なんかしたら、絶対なんとかなる」

ならねえんだけどなあ。

まあ傲慢なのかもしれませんね。

でも、どうにもならないことがわかっていても、何もしないでじっとして、逃げるように小さくなっておくなんて、絶対にできない。

暴れるぞ、おれは。

 

こういう性分だから、パニック障害になると思うんですよね。

そもそもの話「どうしよう」って思うことじたいが、「何かをしよう」っていう方向性のあらわれです。

あの恐慌状態の秘密は、ストレスや難問に対する精神的姿勢にあると思う。

 

「何をどうしたらいいのかわからない」ので「なにもできない」とか、ありえないんですよね。

「何をどうしたらいいのかわからない」けど「絶対になんかしようとする」んです。

「何をどうしたらいいのかわからない」からこそ「絶対になんかしようとする」んです。

とにかく、あがく。

何をどうしていいかわからないときに、すなおに何もできなくなってしまうようなひとは、パニック障害にはなりにくいんじゃないかな。

敵があらわれたら張り倒しに行くタイプのひとが、パニックになるような気がする。

あるいは、詰問されて黙ってしまうタイプより、あれこれ取り繕って逆に饒舌になる人のほうが、パニックになりやすいんじゃないか。

「生き残りたい」という衝動がむちゃくちゃ強くて、あきらめが悪いんだな。

 

考えてみたら、ぼくの生活って「楽だけど楽しくない」のです。

自宅で仕事してるから、出勤もしなくていいし、炎天下の中歩き回って営業しなくていいし、めんどくせえお客さんにヘコヘコしたり、顔を合わせる必要もない。

ずっとパソコンに向かってチコチコキーボードを叩いていればなんとかなる仕事ではあります。

しかしまあ、楽といっても目や肩や腰は最大限疲れますけどね。しんどいことは、しんどいです。

でも精神的には楽だと思う。

 

そもそも外出恐怖になってしまったから、あんまり外に出られないんですね。

家からほとんど出ず、出るとしても散歩とかジョギングだけで、毎日おなじところをウロウロするだけ。

飲みに行ったり遊びに行ったりもしません。

あとはずっと、パソコンに向かって仕事してる。

 

んなもん、ちょっとはウツっぽくなるわ。

あっちこっち具合悪いって言ってるのって、ようするに不定愁訴だと思うんですよね。

「太陽の光をあびればセロトニンが出ます」

とか言うやついるけど、そーゆーこっちゃないと思う。

太陽を浴びれば、セロトニンが出ればそれでいいとか、そんなわけあるか。

もちろんそれも大事なことだろうけど、楽しくないとすべての努力は意味がないと思うんだよなあ。

庭の置物みたいに炎天下でじっとしてて、楽しいか?

毎日決まった道を、太陽を浴びるためだけの目的でウロウロして、楽しいか?

楽なんじゃなくて、楽しくないと、本質的じゃないよね。

 

異様なイライラって「楽しさが足りない!」って言ってたのかな、って思います。

確かに、明確な原因はないんですよ。怒るようなことはなんにも起きてない。

だからイライラするなんておかしい、と思う。

 

そうじゃないんだよな。

トラブルや困ったことがなくても「楽しい」ことが抜け落ちていたら、りっぱなストレスなんですよね。

楽ちんでも、平和でも、楽しさがなければ、それは人間にとってストレスなんだ。

人間は「あそぶいきもの(ホモ・ルーデンス)」だから。

動物は、知能が高い種ほど、よく遊ぶようになります。イヌもけっこう、遊びますからね。

でもサカナとかムシとかは、あんまり遊ばない。

よけいなことはせずに、必要なことだけやる。

なにもする必要がないときは、ほんとになんにもしていない。

人間は知能が高いから、むちゃくちゃ遊ぶんですよね。

「なんにもしていない」ことなんて、そうそう長くはできないのです。

だから「遊びがない」生活は、人間の生活じゃないんだよな。

サカナとかムシの生活だ。

 

なのに仏教的な皮をかぶったヒトたちは「欲を出すな」とか「よけいなことはするな」とか「ミニマルにいけ」とかいう。

それ、よく考えたら人間がすることじゃないんだよなあ。

ムシとかがすることじゃねえか。

人間は、ヒマになったら、いっぱい遊ぶ。

遊んでばっかり、といってもいいかもしれない。

ヒマなのに、遊ぶことがなかったら、人間は殺し合いとかふつうにするよ。

殺すことさえ、遊びにしちゃうから。

そういう面しか見ない、ヘンなウツっぽい自己肯定感の低い連中は「だから人間はダメなんだ」とか言う。

じぶんも人間のくせに。

人間であることをやめよう、とか言い出す。

あいつらって、ムシみたいになれ、って言うんですよね。

欲を捨てて、よけいなことはせず、小さくなって、なにも考えず、無になって、じっとして、死を受け入れて、あんまり遊ぶなって。

なにをゆうとるねんなお前は。

そんなことするから、アタマおかしくなるんだろ!

このへんのタワゴトに付き合ってしまったことも、ウツっぽくなってしまった原因かなと思います。

 

ぼくは生まれてから死ぬまで、ずっと人間です。

だから死ぬまで、遊ぶのです。

それでいいのだ。

 

 

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