先日ひどい事件に巻き込まれてしまった京都アニメーションですが、世界中から続々と寄付が集まっているようですね。
アニメ好きの人たちの気迫、のようなものも感じます。
ぼく自身はそれほどアニメが好きというわけでもないのですが、このたびの件でアニメ好きの友人と話していると、みな一様に言うことがあるんですね。
とにかく観てやってくれ
募金するとかDVD買うとかじゃなくていいから、とにかく観てやってほしい。
ほんとうに好きで愛しているからこそ、そんな言葉が出るんだろうなと思います。
また一様に、そういうひとに限って犯人のことをどうこう言ったり事件の詮索をしたりしませんね。
「ファンとしての自分は、次になにをするべきか」
「いま、なにをするべきか」
に集中してる。
正直、かっこいいなと思いました。
ある意味禅の境地でもあるなあ。
ではおすすめの作品はなにかと聞くと、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を勧めてくれるひとが多いのですね。
ちょうどNetflixにあったので、さっそく観てみました。
で、第1話を観た正直な感想。
こんなん泣いてまうやんけワレ
くそう、オッサンのくせに泣いちまったぞ。
どんな話かはもういちいち書かないけど、すごくいい話です。
キャラクターが可愛いとかそーゆー萌え豚系のアレではなくて、まっとうに「おはなし」として面白いし、美しいと思いました。
それに何より、絵がむちゃくちゃきれいですね。
ぼくが持っていた「アニメ」の印象を大幅に超えていました。
アニメは子どもが観るもの、オタクが好むもの、そんな発想はもう古すぎますね。
作品として純粋に、すごい。
で、なにがすごいのか。
ほんの10年ほど前のアニメと、なにが変わったのか。
それはいろいろあるんだろうけれども、ぼくがいちばん感じたのは「アートとデザインが融合した」ということです。
かつてのアニメや漫画というのは、才能あるアーティストが卓越した感性で作り上げる、そんな芸術的な側面が目立っていたように思います。
しかしエヴァーガーデンを観て印象的だったのは、フォントのチョイスと文字間と空白の使い方が痺れるほどうまい、っていうことです。
↑ この「ヴ」とか「ァ」とか「ガ」のカタチが、作品の全体のイメージとすげー合ってると思う。
↑絶妙な文字間隔とサイズ。
絶対に、敏腕のアートディレクターがいると思う。
才能と叩き上げだけでのし上がってきたんじゃなくて、グラフィックデザインをちゃんと勉強して、デザインの理論というのを理解しているひとが、スタッフのなかにいるんだと思います。
理論化をするというと「そんなの芸術じゃねえや」「表現はパッションだ」とか言うひともいるけれど、それはほんとは、ちゃんちゃらおかしいんですよね。ナメとる。
理論化というのは、多言語化でもある。
理論があるからこそ、多くのスタッフで共通のクオリティを担保できるし、文化が異なる海外でも違和感なく受け入れられることが可能になるんですよね。
そしてターゲットになる年齢層も拡大できる。
「いいもの、美しいものを、できるだけ多くの人に」
きっとそう想って作ってきたんだと思います。
だから京アニは、すごいんじゃないかなあ。
右脳的な才能や感性頼りだけで走ってきたんじゃなく、地に足がついた「理論」もしっかり基礎に持ってるように見えます。
ある意味、男性的な仕事をしているというか。
勉強になるんですよね、マジで。
なるほど、このフォントのバランスだな、とか。
そうかこの色か、とか。
すごい会社には、理由がある。
そんなアタリマエのことを、エヴァーガーデンを観て思いました。