蜂と恐怖

さいきん毎晩座禅をするようになって、些細だけど、変わったことがあります。

蜂が、怖くなくなった。

 

「蜂は、刺す」

そう知っているからこそ、ぼくは蜂が怖かったのです。

昆虫そのものは、べつに嫌いではありません。

どちらかというと、好きなほうかもしれません。

でも蜂は刺すし毒があるので、とても怖いと思っていました。

 

うちの庭には草木が多いので、夏場にはよく蜂がくるのです。

庭でぼうっとタバコを吸ったりしているときに蜂が飛んできたら、ぼくは即効でタバコをもみ消し、家の中にすっとんで逃げ込んでいました。

刺されたらかなわん、そう思っていかたからです。

だから夏場の庭は、じぶんの家なのに、あまり居心地がよくありませんでした。

 

でも最近は、全然怖くないんですよね。

というのも、もともと「知識」はあるのです。虫は嫌いではないので。

蜂はそうそう、刺したりはしないんですよね。

こちらから意図的に攻撃をしたり、巣に近づいたりしたときにだけ、刺されるのです。

スズメバチだけはちょっと例外で、まれに一直線に刺しにくる場合もあるそうです。

でも幸いスズメバチはそれほど頻繁に見かけるハチでもありませんし、距離が離れていれば、めったなことでは刺しに来ないそうです。

見かけたら「気づかないふりをしてそっと引き返す」ことで、じゅうぶんなんだそうです。

でも、注意したほうがいいのは確かですけど。

 

アシナガバチは一見スズメバチっぽいですけど、「うしろあし」がダラーんとしていて、飛び方もフラッフラなんですね。

気性もやさしくて、べつにイライラはしてません。

スズメバチは、弾丸みたいに一直線に、すごい音を立てて、高速でとぶ。それに、ものすごく大きい。

だから見分け方はカンタンなんですよね。

クマンバチも、でかいけど、おとなしいです。

音は大きいですけど、飛び方はフラッフラです。

ハチについては、フラフラしてるやつはだいたいええやつ、と考えてよさそうです。

すくなくとも、こちらからイジメに行かない限りは、刺したりはしない。

ミツバチなんかはもう、イヌみたいですね。かわいい。

彼が刺すときはまさに「自爆」で、刺したら針といっしょに内蔵が抜けてじぶんも死ぬ。

だからめったなことでは刺さないそうです。

それにヒトにけっこう懐くんですよね。ええやつ。わかいい。

 

……という「知識」は前からあるのに、以前は異常にハチを怖がっていました。

なぜかというと、「ハチは刺すかもしれない」という危険性と、「スズメバチかもしれない」という可能性に怯えていたのです。

だからこのたび、ハチがそれほど怖くなくなって、気がついたのです。

恐怖はその対象ではなくて、妄想でうまれる。

ちゃんと見れば、それがアシナガなのかクマンバチなのかミツバチなのか、一目瞭然なのです。

スズメバチ以外なら、ほぼ100%刺されないと考えてダイジョウブなのです。

なのに一様にハチを怖がるのは、知識がないからではないのです。

ぼくには、知識があったのに、怖がっていた。

恐怖は知識とはそれほど仲良しではなく、恐怖と大の仲良しなのは「妄想」なのですね。

「刺されるのではないか」「スズメバチではないか」

これはまだ起こっていないうえに、事実ではないことです。つまり妄想。

妄想を持つと、恐怖は増大するのですね。

そして妄想は「ちゃんと見ようとしていないときにうまれる」。

もしかすると、毎日座禅をすることで「見る」「観察する」クセがついてきたのかもしれません。

 

また恐怖とハチは、とても良く似ているな、とも思いました。

基本的に、スズメバチも含めて、ハチはそうそう攻撃してくるものでもないのです。

「こちらからアタックした場合」だけ、刺される可能性があります。

また「巣をつついた」とき。

 

恐怖は、じつはまったく同じなのです。

「こちらから攻撃したとき」に、恐怖は暴れだす。

打ち勝とうとか、排除しようとか、抹殺しようとか、追い出そうとか、消し去ろうとすると、恐怖はハチと同じように「決死の覚悟で」こちらを攻撃してくるのですよ。

また恐怖の本質、すなわち「巣」をいじくりまわすと、恐怖は爆発的に噴出して、攻撃してきます。

 

しかしハチと同様、恐怖も、

「ただ眺めている」

だけなら、まずまちがいなく、なんにもしてこないのです。

ただふらふらと、ぼくのまわりをさまよって、そのうちにどこかへ行ってしまいます。

彼らは、もともと、ぼくのことなんて眼中にはないのです。

ぼくではなくて、お花を探してる。

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」

というコトバがありますけど、まさにそのとおりです。

こっちから、いらぬちょっかいを出すから、相手の眼中に入ってしまうのですね。

なにもしなければ、ただおだやかに通過していくだけものを、いちいち「意図をもって手を出す」ことで、ご丁寧にじぶんに引き寄せる。

 

ありのままに、そのままに。

そうやって、ただ眺めていれば、恐怖だと思っていたものは、じつは恐怖ではなかった。

スズメバチかもしれないと妄想していたハチは、心根のやさしい、おしゃれなアシナガさんだった。

ぼくの庭は実際には、アシナガさんと、クマさんと、みちばちくん、やさしいハチしかこない、平和な楽園だったのです。

 

 

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