最近ずっと息苦しかったのは、あまり歩いていなかったというのも大きいようです。
とにかく、暑かったですからねぇ。
家の中でラジオ体操を3種類やったり、いろいろ動いていたつもりですけど、やっぱ屋内では限界ありますね。
多少息が上がる程度の運動、となると、屋外で歩いたり走ったりがいちばんいいです。
呼吸筋を活性化させるためには、坐禅だけではちょっと無理がありますね。
凝り固まった呼吸筋は、運動でバラして活を入れるのがいちばん。
だいぶ涼しくなってきたので、ヒマさえあれば外をウロウロ散歩しています。
ふと思いついて、今日はゲタで散歩に行きました。
ゲタ、いいですね。
個人的にはこの、木がアスファルトに当たるときのカラン、コロンという音が好きです。
ただ人によってはうるせえ、と感じるひともいるかもしれないので、住宅街ではできるだけ音を立てないように歩いています。
久々にゲタで歩いてみて気がついたんですけど、ゲタって「いま・ここ」に適した履物のような気がしました。
禅やマインドフルネスでは「前後際断」といって、未来のことや過去のことをグジグジ考えずに、「いま・ここ」に意識を集中することがだいじだ、としています。
ゲタって、この練習にいいかもな、と思いました。
クツやゾーリだと、歩きやすすぎるんですよね。
とくにクツなんてもう、涙ぐましいぐらいに人体に迎合しています。
足の形に沿い、柔軟性に富み、着地時のクッション性まで鑑み、さらに靴底には滑り止めの機能までついています。
このおかげで、ぼくたちは足のことをあまり意識せずに歩くことが可能です。
クツは、すばらしい履物です。
しかしゲタは、これはもうほんとうに申し訳ないけど、板です。
ただの板。
まあ多少足のカタチに沿うように削ってくれているものもあるけど、それでもクツに比べたら、ねえ。
一切、曲がりませんし。
おれは板だ! 木の板なんだ! 文句あっか! ワレー!
断固として、木の板なんですよね。
しかしこの強固な姿勢のおかげで、「一歩一歩を注意深く歩く」ということも可能なんですよね。
歩く瞑想でも、足の裏が着地する感覚をしっかり感じながら歩きなさい、という指導もあるそうです。
ゲタ、いいですよ。
クツだと、よくできているがゆえに、足の裏の着地の感覚が曖昧なんです。
クッション性が高いので、足の裏が地面についている感触がうすい。
いっぽうゲタは着地したら音はするわ、クッション性なんぞ一切ないから「いま着地した」ということが、ガチンと下品なぐらいに伝わってきます。
長く歩いていると、すこし足の裏が痛いぐらいです。
そのせいでしょうか、ゲタで歩くと、とても気持ちがいいですね。
ぼくは若干外出恐怖症のところがあるんですけど、ゲタだと一歩一歩に意識が行くからか、それほど恐怖心を抱かずにすむような感じがします。
心地いいので、ずっと歩いていたいなあ、とさえ思います。
シンプルな構造のもののほうが、じつは人体に合ってる。
なんだか、そんな気が最近しています。
エルゴノミックももちろんいいですけれどね。
ただの板、ただの布、ただの棒。
案外そんなものが、ぐるっと回って、ひとのからだには、しっくりくることもある。
ゲタが、その好例かもしれませんね。