忽然と、発見したんですよね。
なぜぼくは、姿勢がわるいのか。
筋力が弱いんじゃなくて、クセでもなくて、曲がろうとしているからだ。
亡くなったオバーチャンは、生前はものすごく背中が丸かったです。
眠っても伸びないから仰向けになれず、横向いて寝てました。
でも亡くなったら、ピシーとまっすぐな姿勢になったんですよね。
ふと、思い出したんです。
ていうことはですな、姿勢が悪いのは筋力が弱いとかなんとかじゃなくて、ていうかむしろ逆で、「前に曲がろうとしている」パワーがすげー強い、っていうことなんじゃないか。
そしてこれは、つまるところ、意識の問題なんじゃないかと思ったのです。
なぜ、猫背になり、巻き肩になり、背中が丸くなるのか。
「内向きに曲がろう」とするのか。
何かを守ろうとしているのではないか。
こころとか、いのちとか、メンツとか、ほんとうの自分とか、約束とか、生活とか、時間とか、ルールとか、なんかわからないけど、とにかくそんなものを「守ろう」としているんじゃないだろーか。
それで、その代償行為というか反応みたいなことで、胸やお腹を抱え込むように、まるくなるんじゃないだろーか。
ぼくにはパニック障害という持病があります。
この病気は、ものすごーくカンタンにいうと「死にたくねえ病」です。
もうなにがどうあっても、ゼッタイに死にたくない!
そんな強い気持ちが特徴で、そんなだから、ちょっとした体調不良でも「やばいっ! な、な、な、なななななんとかせねばっ!」とパニックになるのです。
つまりぼくは「いのちを守ろうとしている」のだと思います。
これなんじゃないかなあ。
命だけじゃなくて、なんかじぶんのアイデンティティ的なものとか、売上とか財産とか、とにかくいろんなものを「守ろう」としている気がする。
この気持のせいで、だいじに抱え込むように、からだを丸めてしまうんじゃないか。
考えてみたら、ぼくが守ろうとしているものなんて、そもそも大したことがないか、守ろうとしたってどうしようもないものばっかりです。
いのちにしたって、いくら頑張ったって、アカンときはアカンです。
背中を丸めてかばったところで、守れるものでもないです。
カネなんてそんなに持ってないし、メンツとかアイデンティティとかいったって、巷間のいちオッサンにすぎないぼくのようなものが、なにをそんなに神経質になる必要があるか。
それになにより、そんなもん、死んでしもうたら全部ぼくのものではなくなるんですよね。
墓場まで、あの世までは持っていけないものばかり。
なにをそんなに、必死で守る必要があるか。
考えれば考えるほど、ぼくには「本来守るべきものなどなにもない」のですよね。
あるいは「守ろうと思っても、どうしようもない」ものばかり。
なのに、なんで、守ろうとするんだ?
これが「煩悩」なのかもしれませんね。
意味のない、目的のない、価値のない悩み。
「あしたのジョー」っていうマンガでも、「ノーガード戦法」っていうのがありましたね。
あしたのジョーはあんまり知らないんですけど、「ノーガード戦法」だけは知ってる。
インパクトありますよね。
まったくガードしないで闘う、っていう。
そういえば、人間関係もこの「ノーガード」のほうが有効なんですよね。
ていうかガードの硬いひとは、人間関係で絶対に頓挫する。
内に内に閉じていって、排他的で、じぶんの価値観を微動だにさせず、ひとを警戒しまくる。
ガードの硬いひとは、ウソもよくつくし、ヒトによって対応もかわる。
そんなもん、だれが信用してくれるねんな。
付き合ってて、しんどいわ。
ぎゃくにガードが甘く、ゆるゆるの人は、人間関係ではあんまりコケないんですよね。
ウソつかないし、だれともおなじ対応だから、陰日向がない。
どこを輪切りにしても、齟齬がない。
だからみんなも油断して接しすることができて、ギスギスしにくいんですよね。
ヒトとの付き合いも、ノーガードのほうが有利なことが多い。
ぼくも、ガードが硬すぎるのかもしれないなあ。
ヒトに対してはそんなことないとは思うんだけど、案外そうでもないかも。
「パニック発作で迷惑かけたらダメだから、約束はしないようにしよう」
そういう考え方がもう、「ガード」してますよね。
ひとに迷惑をかけない、という考え方がもう、強固なガードです。
んなファンタジーあるかい。
ひとはただ生きていくだけでも、だれかに迷惑をかけているし、だれかのお世話になってます。
それを「しないでおこう」という、強固なこだわりこそが、「ガード」です。
不安とか恐怖も、じつはぜんぶ「守ろう」という心理から生まれてますよね。
いちばんベーシックなのは「いのちを守ろうとする」っていう。
まあ、そりゃあ普通だれでもそうなんだけど、それが極端になったときに、神経症になる。
ガードが、ディフェンスが、強すぎるんだよなあ。
守ろうとしても、守れないもんは、いくらでもあるっちゅうに。
守ろうとしたら、ぎゃくに守れないものも、いくらでもあるっちゅうに。
わからないんだよなあ。バカだから。
あたまではわかってても、こころがわかってくれないんだ。
守らなくても、ノーガードでも、案外生きていける。
これを、ことばとか、あたまじゃなくて「こころに」教えていかないといけませんね。
なにもしなくても、ひとは生きるし、病気も治る。
なにもしないほうがよくなることも、案外多い。
多すぎるガードは、重すぎるヨロイと同じですよね。
結局あまり動けなくなって、逃げそこねて、とっつかまって、真っ先に殺される。
ノーガードとまではいかなくても、ガードは最低限なのがいちばん身軽で、安全ですね。